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ただ立つ、ただ歩く

あっというまに9月。

ずっと有酸素運動の趣味を持たなかった(登山を除く)自分がダンスを始め、その全身運動っぷりに全身で驚いている。

初回は、こんなとこに筋肉があったの?!と、筋肉痛になって気づく。次に、ハムストリングスて聞いたことあったけどこいつか!と知る。3回目、腹を引き込み骨盤を立てて腿の力で立つ形が分かる(ヨガのTTでも何度も手を添えられたが、一度も腹落ちしていなかった)。そして4回目、自分が実は日常の中でただ歩くこともまともにできていなかったことを発見した。

左足を踏み出すときに体重が外に逃げて足首グラグラするんだ、それで体重移動がうまくできないからドタドタ音を立ててしまう。恐竜の骨を発掘したからってすぐにそれに肉が付き動き出すべくもないのだが(私の筋力のなさはそういうレベル)、わかったってことは、一歩前進。

ちえ先生、ありがとう・・・!

そして諸々にかまけて書き遅れたけれど、先週はだいぶ前から計画していた、ナチュロパスのかなえさん、ボディマインド・セラピストのしほさんと共同開催のワークショップ、平日日中にもかかわらず多くの方にお越しいただき、座っていただく椅子を(当初予定の椅子では足りなくて)折り畳みのものに変えて、実施することが出来た。

高福院僧侶の川島さんのお話もいつもの事ながら興味が尽きないし、参加者の皆様の発言も面白くて考えさせられるし、かなえさんのデトックスの話も、しほさんのセルフケアワークも、すべてが私は楽しかったのだけれど、なかでも個人的に感動したのは、お寺という場のすばらしさ。

だいぶ前のアフリカでの個人的な体験から、虫の声には人のビートを揃える効用があると確信していたけれど、シャンシャン響く蝉の声が自然なポージングにつながり、特別な仕掛けをしなくてもイントロがとてもやりやすいことが検証できた。

毎朝、川島さんがピカピカに掃除をされている空間。護摩焚きの残り香、弘法大使さまの掛け軸、足の裏にやさしい畳…お寺って、全体が心を静める装置なんだね。

ワークショップでは、みなさんに「真の自分とつながるってどういう感じ?」と問いかける場面があったのだけれど、そこでもいろんな方の考えが聞けた。後から「”お祈り”を大事にしているなんて発言したら変な人と思われるかと怖くて手を挙げられなかったけれど、他の人が自分が思っていたことを言ってくれて嬉しかった」というシャイな方のフィードバックもあって、本当に良かった。

本来、日本はそういう目に見えないものを大切にする文化があったはず。証明は難しいけれども魂や神仏について思いを馳せることは、人生を豊かにしてくれることであるはず。感謝や祈りは、わたしたちが日々生きることと切り離せない所作であるはず。

なのに、スピリチュアルな考えについて安心して語れる場所って、実はなかなかないよね。散臭くさく思われるんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないか、高価な壷を売りつけられるんじゃないかって。

わたしがただ立ち、ただ歩くのに苦労しているのと同じくらい、現代人は本来その身体に備えた潜在意識の力を使うことに音痴になってしまっているのかもしれない。

だけど、ここは安心して話して良い場所。誰の考えも否定しないし、どこかに連れて行く気もない。

頻繁にはできなくても、そういう場を時々提供していけるといいなって、改めて感じました。

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