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持続可能性について思うこと

おひさしぶり!くろまきです。起業して対人支援の仕事もするようになってから、本体は「Blogはしろまきに任せねば」と思っていたらしいんだけど、最近何を考えたのか「別にいいんじゃないの」と規制緩和されたので、出てきました。はじめましての方に補足をすると「白まき=基本的に前向きで陽気」「黒まき=ダークサイド」で、どっちも本体のアイデンティティ。ネガティブなことを読んだら重くなる人は、今回は読まないでね!

最近、GAFAへの風当たりが強い…ヨーロッパから吹いてくる風。Google在籍の最後の1年くらい、わたしはA&Cにいたのですが、その時ちょうど、日本でも「国境を越えた役務の提供に関する消費税の課税」という、まさにGAFA狙い撃ちの課税方式の変更がありました。それに関わらざるを得ず「矛盾や盲点を孕んでいて、中途半端で、何とも不細工な法律だ、作った奴の顔が見てみたい」と思った、なんてことは、多くの人には「なんのこっちゃ」だよね、と、いう話は前座で、

最近、わたしが色々なクライアントの企業(主に日本の大企業)に行くと、どこでも、経営課題としてのSDGsという言葉をよく聞きます。

説明不要かもしれないが、Sustainable Development Goals(持続可能な目標)、2015年に国連で採択され、2016年~2030年の国際目標として設定された、持続可能な世界を実現するための17のゴール&169のターゲット。知りたいという人にはこの本あたりがとっつきやすい。

現時点でまぎれもなく資本主義の勝者であるGoogleは、企業理念ともいうべき「10の事実」を掲げていて、それはすべて善意から発されたもの。同社はここ数年流行っているマインドフルネスの震源地でもあり、それは、わたしが社内受講した時には、ただの瞑想ではなく、隣人・他者に対する思いやりのエクソサイズでした。

なのに、皮肉なことに、SDGs的な観点で言うと、その全体が引き起こしている結果は「我」と「彼」との対比を生み、貧富の格差を加速させました。集中した富を昇華させ、世界国家的な立場となってあまねく世に還元するというならともかく(そしてそういうことも夢想するいい人たちの会社だとは思う、こういう取り組みもしているし)、所詮事業会社だし、インとアウトのバランスが違いすぎるのです。それに、今の風向きを見る限り、世界がそこまで行かせてはくれない感じ。本質的に、持続可能ではない。

そんなことを思う一方で、最近、日本の未来がいよいよ心配です。

SDGsを真面目に考え、働き方改革なんかにも頭を悩ませ行動しようという意思を持つ国内企業や経営者がたくさんいることにはまだ救いを感じます。が、ポピュリズムに執心する政治家は経費の用途どころか基本統計まで改ざんしてポジション・トークに使うでしょ。「すべては事実の把握から」と官僚が言うと、言葉はまともなのにもはや空虚にしか聞こえないでしょ。人の発言を嫌らしく切り取って叩くネタを与えるマスコミもほんとクソだし、それを祭り上げる着火しやすい人々は追い詰められてストレスのかたまり(で、自分で学んだり行動したりするのは面倒くさい)でしょ。

自営業時代に滞納していた国民年金に対して黄色の紙で督促され、諦めて納めながらも、これ、絶対戻ってこないよねという怒りが収まらず、そんなことまで考えました。

日本はこの先、一体どうなるんだろうかと。

わたし自身は、Google社員ではあったけれど、「わたし」のアイデンティティを所属する国と言うところまでひろげて俯瞰したなら、日本は相対的に貧に進んできた側にあると思います。

上記の通り、それはこの国の自己責任でもあると思うけれど。税金も国民年金も、それを使う側がしっかり考えて無駄なく本質的なことに活用してくれるって信頼できるなら、もっと気持ちよく払えるんだけどね!

結局、自分は自分で良いと信じる生き方に従って出来ることをしていくしかないけれど、「いつかしよう」の「いつか」は、のんびりしていたら、ずっとこないと最近感じることもあるので、勉強にウェイトを置いていた去年とは違って、今年は兎に角、意識的にどんどん動いてアウトプットしていこうと思います。

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