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Apple編:(4) わたしが売っていたもの

表題写真も地味ですが、今回は話も地味です

社運をかけた転換は地味だったはなし

2000年代にAppleが瀕死の状態から突如として特別なブランドに転換した、その転機はどこにあったかというと、iPodの登場を思い浮かべる人が多いのではないかと思います。

でも、2001年、同年のiPod発売に先駆けて、Mac OS X 10.0 Cheetah(チーター)がリリースされたことは世間的にはあまり触れられません。

Mac OS X は、従来型のMacintosh OSとは根幹からして別物のBSD UNIXベースのオペレーションシステムでした。当初は完成度も低く、3rd Partyのソフトの対応もなかなか進まなくて、人間味のある旧OSに親しんでいたコアなファンの方々からは概ね不評でした。当時のAppleの売上はそのような方々に支えられていたので、近未来に登場するセンセーショナルな製品群のことなど知るよしもない遠国の社員であるわたしは、それこそ社運をかけた大転換であるように感じていました。社員は強制的に最新OSを使わされるのですが、最初はとにかく使いにくかったし、バグも多かったし。

でも、会社が財務的にヤバい状態にあってもその基盤の変換に踏み切る勇気があったからこそ、そのあとに続くiシリーズが可能になり、今のAppleのプラットフォーマーとしての成功があるのです。今や陳腐な言い回しですが、あれだけ足元の厳しかったときに、誰も見ぬ未来にむかって歩みを進めたスティーブ・ジョブスは大いなるVisionaryでした。

Netboot のはなし

わたしが営業に移ったのは2003年、Mac OS X もバージョンが10.3 Panther(パンサー)となり、ちょっとはこなれてきた時期でした。それでも、まだまだコンシューマ市場ではマニアックなブランドという位置付けで、営業は苦戦が続いていました。(iPodが爆発的に売れ始めたのは、Windows版がリリースされた2004年以降のことです。)

製品の歴史の話はこれくらいにしたいと思いますが、ウィキペディアの Mac OS X v.10.3 Panther に関するする以下の記述は、これこそがわたしが最初に立ち会った営業の仕事だったということで紹介したいと思います。

引用)ライセンス使用料の追加がないクライアント無制限の「Mac OS X Server」搭載の 1U サーバ「Xserve」と NetBoot が評価され、東京大学、東京女子大学に大量導入された。

わたしが配属されたのは、売り上げの根幹を占めるコシューマ営業部ではなく、法人営業部、そのなかでもインキュベーション的に大学や研究機関にOSXのシステムを導入することに特化した、新設のエデュケーション・セールスチームでした。世の中的には「Appleにそんな製品あったの?」と言われそうな表題写真の Xserve と Mac OS X Server が売り込みの鍵。(ちなみに2011年には完全に製品ラインナップから外されてしまいましたが、Xserveは人目に触れないサーバールームに置いておくのがもったいないような、とても美しい筐体だったんです...って、あまり共感が得られなそうな思い出...)

時はまさに2003年。日本の教育市場における最初のフラグシップ案件(=そこで成功事例を作れば、横展開で爆発的に売れるかどうかの関ヶ原的な案件)として、上記、東京大学への提案が佳境というタイミングでした。チームはネコの手も借りたい状況だったし、卒業生であるわたしの配属は大学側と話すネタにもなるという配慮がなされていたのかもしれません。

現在のAppleのエデュケーション営業部は、学生販売やK12マーケット(=幼稚園~高校の市場。米国Appleは本来こちらでの勝者なのです)への販促活動中心に、大きな組織になっているときいています。やはり教育の場で採用してもらって、未来の消費者に親しみを持ってもらうのは、ブランド戦略的に大事なことなのです。

しかし当時は、東大案件を命運をかけて取りに行く一方で、コールド・コール(ウェブの情報や研究者名簿をもとに片っ端から電話をかけてアポをとり、ついでに周辺の飛び込みをして、まず存在を知ってもらう)が営業活動の基本でした。もちろん狙いは情報処理センターの大型案件ですが、そこにたどりつくまでの関係構築のために研究室単位の細かな要望に応えて見積書を手作りすることもあれば、発注書には直接ハンコをもらったりもしていました。

国立大学の情報処理センターのシステムは3〜4年起きに入れ替えになります。その予定は数カ月前には官報で公示され、提案募集・仕様確定を経て入札に至ります。表立って入札するのは、ネットワークから通信機器まで全てを揃えられるNTT, NEC, Fujitsuなどの大手インテグレーターです。しかしそういったところは同じ「パソコン」ならば安く仕入れられるWindows端末の選択肢がいくらでもあるので、なにもしなくてMacを担いでくれることは、まずありません。

でも、大学側が「Macが欲しい」と言って「Macでないと実現できない要件」を仕様書に盛り込めば、どの応札者も、システム全体をとるために端末はAppleから調達せざるをえなくなります。だから、わたしたちの仕事は、公示が出る前から大学内の意思決定者と関係を築いて、Mac OS X のソリューションを知ってもらい、「Macしかできない、これが欲しい」と思ってもらう仕様を直接提案することでした。半年〜数年と、仕掛けのスパンの長い営業です。

そのための鍵が、当時その業界でもてはやされていた シンクライアント(=ほとんどの処理をサーバで一元管理して、個々の端末は最低限の作業用とするシステム)のApple版、OS X Server の機能を使った「Netboot(ネットブート)」というソリューションでした。

東京大学は、そのNetbootの機能を使って、数万台の教育用端末の配信イメージを Mac, Windows, Linux の3種類のOSに切り替えて使えるという、それこそMacでしかできない仕組みの最先端事例でした。

一般的なAppleのスタイリッシュなイメージとはかけ離れた、泥臭い世界でした。おじさま率100%の入札説明会に出席したり、蓮舫さんに「2番じゃだめですか」と切り捨てられたスパコンを見学に行ったり、納品する数千台のiMac端末からディスクを抜くという手作業を人海戦術でやったりという。

ホイホイ営業だったはなし

そんなチームのなかでわたしは、技術的な知識も営業的な素養もゼロからの出発でしたが、部署内のコールドコールのアポ獲得率はダントツでした。他の営業が10本かけて3本くらいしかとれないところ、7本くらいはアポがとれました。多分、チームで唯一の(そして業界的にもかなり珍しい)女性営業だったから、明るく元気に電話をすれば、最初のきっかけはいただけました。

電話でアポがとれたら、パンフレットを持って挨拶に行きます。筋が良ければ、学内のシステム導入予定や意思決定者などについて教えてもらいます。あとは、時間の許す限りそのキャンパスの研究室に片っ端から飛び込み、時間がとってもらえそうなら10分でも説明をして、忙しそうだったら資料と名刺だけを置いてきます。

わたしがアポとってキーパーソンにたどり着き「1〜2週間ほどテスト環境を置くので、自由にさわってみてください!」とデモ機械設置の許可までもらったら、技術的な説明は大男のエンジニアが引き受けます。そして、それが案件につながりそうになったら、担当はいつの間にか、弾丸トークの男性セールスにすり替わります。その事情を知る社内の先輩からは「ホイホイ営業」と呼ばれていました。

大学研究室という浮世離れした世界だったから?女性営業が珍しかったから?それともMac OS X Serverのソリューションがホットになりつつあった時代だから?いや、多分その全部の組み合わせのおかげで、わたしは、その手の飛び込み営業にありがちな容赦ない門前払いにあったことはありませんでした。ヤクザみたいなお客さんに幽閉されて帰れなくなったり、怒声とともに灰皿を投げつけられたり、接待の席で宴会芸を強要されたりという、他の先輩たちから聞いていたような嫌な目にも、一度もあいませんでした。

辛かったことといえば、研究者はめりこむタイプの方もいらっしゃるので、3時間以上ひたすら研究分野の深い話を拝聴することになって、お腹が減ったと言い出せずに参った思い出くらい。(内容は音声認識に関する面白い話で、IBMのビアボイス開発の困難の歴史を聞いていて、まさか自分のいるAppleが、10年後にSiriで自然言語処理の実用化において先陣をきるなんてね、その時は思いもしませんでした。)

失敗もいろいろありました。忘れられないのは、一度、技術的に実現不可能なシステムを売ってしまったこと。提案の前にはもちろん社内確認に回したけれど、Netbootなんていうニッチな技術はPMもイマイチよくわかっていなかったので「いいんじゃない」って感じで、わたしの書いた構成図のミスが見逃されてしまったのです。発注後にそのことが発覚して真っ青になったけれど、構築に入っていたキヤノン販売の技術者が、サーバーを無駄にしない構成変更を考案してくれました。そのお詫びでお客さまのところに出向いた時は返品対応になることも覚悟していたのですが、その技術者の方が上手に説明してくださって、お客さまも「ではそのサーバは無駄にならずに使ってもらえるんですね」というわけで、拍子抜けするくらい平和におわってしまった。それも、女性ってことで配慮されているなと思うと、感謝すると同時に申し訳なくて、いたたまれませんでした。

営業の1年目はそんな感じで、Netbootのおかげで、新規案件の獲得には事欠きませんでした。2年目には東大事例が成功したので横展開がどんどん進み、国立大学の情報処理センター市場での単年度でのMac端末の導入シェアは30%超えになりました。ほとんどゼロだったところから。社内集計かつ記憶頼りの数字なので厳密ではありませんが、でも、凄い勢いでしょう?

組織の外を向く営業の仕事は、それまでの仕事とはまったく違う刺激に満ちていました。先輩たちは動物園みたいにクセのあるメンバー揃いでしたが、勢いのある小さなチームの一員でいることは、楽しかったです。

ただ、当時売上成績が良かったのは、わたしが良い営業だったからではありませんでした。若い女性だったからです。時代に恵まれたからです。そして今になって思えば、ベテランの部長が、注意深く筋のよいお客様だけをつけてくれていたからです。いろんなものに守られていました。ありがとうございました。

以降、マーケティングにせよセールスファイナンスにせよ、ずっと売上サイドの仕事をしてきましたが、本当の意味で数字を引っ張ってくる「デキる営業」に対するRespectは、自分が、成績はよかったけれど、その実は全く良い営業ではなかったこの時期の体験、そして、本当の営業の厳しさを知らないままに営業を卒業してしまった、という思いからきているように思います。

※ Apple編は今回で終わりの予定だったけれど、思ったより書くことが多くなっちゃったので、ここで一旦切って(5)に続きます。次こそ卒業の話です。

※ 履歴書シリーズはこちらのマガジンにまとめています。

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目指せ高天ヶ原(たかまがはら)!外資IT企業で17年の実務経験の後独立経営コンサルタント。ロジシンなどの左脳系研修に右脳刺激を交えて楽しくデリバリするのが得意です。インタビュー&ライティング(英語も可)、個人カウンセリング承ります。ご相談はmaki@milieup.comへ。