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Rush Gamingが、初めて世界への切符を手にした日を、思い出して。

2018年2月のことを、ふと思い出した。
闘会議だ。
あの日書いた文章を、思えば公開していなかったので、
振り返りの意味も込めてここに残しておきたいと思う。
あの日の、本心を、いつまでも思い出せるように。

ーー
2018年2月10日から11日にかけて行われた、闘会議コール オブ デューティ ワールドウォーIIプロ対抗戦。
CWLへの出場をかけた最終決戦は、Rush Gaming VS SCARZ。
1試合目はハードポイントで、マップはARDENNES FOREST。
Rush GAmingは250-211でフィニッシュし、1試合目を無事勝利で終えた。
2試合目はサーチアンドデストロイで、マップはLONDON DOCKS。
6-1で勝利し、世界大会への切符を手に入れた。

時間で言えば、15分程度の短い試合だった。
でも、私にとってのこの15分は、永遠とも思えるものだった。
思えば、なんて愛おしい時間だったんだろう。

最終試合直前は、バンクーバー五輪で浅田真央を見ているような気持ちだった。
自分のことではない。
それなのに、こんなにも胸が熱く、苦しくなるものなのか。

試合前は、いつも私ばかりが心中おだやかではない。
グリードに、どう接して欲しいのこういう時と聞くと、いつもどおりにしてくださいという。
そしていつも通りに振る舞ったつもりが、いつの間にか過剰に話す私。
鼓舞しているつもりが、それが逆にプレッシャーになっていた気もする。
でも、何を言っても、何をしても、安心なんて1ミリもできなかった。
私よりみんなの方が、緊張で苦しかったのではと思う。
一緒にご飯を食べて、控え室でヘアメイクをして、たくさんマッサージして、嫌がられながらも、あったまるように手を揉んで、一度でも手があたたまるように祈り続けていた。
この場では、私は本当にただのサポート役。
プレイに助言できない、緊張を解してあげることもままならない、だけどきっと会場にいる誰よりも、みんなの勝利を心の底から願っていたと思う。
もう何度、人生の何を犠牲にしてもいいからと願ったかわからない。

思えばここまでの道のりは、決して順風満帆じゃなかった。

どうしても行かせたかった世界大会。
GreedZzの昔からの夢だった世界大会は、出会った当時2016-2017年、日本からは参加する権利がなかった。
夢は夢だから美しい、なんてよく言うけれど、私はそうは思わなかった。
少しでも可能性を信じ、色んな伝を辿り、数え切れないほど多くの人にメッセージを送っては事情を話し続けた。
送り続けていたメッセージから必死さが伝わったのか、最終的にESLアジアの方と繋がることができた。
世界大会は無理でも、オーストリアの大会になら、自腹で行けば出れるかもという話が出た。しかしやっぱりそれもだめだった。
向こうのビザがないと参加できないらしい、それなら、GreedZzを留学させるのはどうかと考えた。
GreedZzの大学の教授に相談して、ビザを取得の情報収集をし、海外サイトでチームメンバーの募集を始めた。
当時やれる事は全部やった。でも、結局全部ダメだった。
気合いと予算だけではどうにもならなかった。
やったことは全部無駄になった。こんなに願っても、努力しても、叶わないことがあるんだと知った。

そんな現状に追い討ちをかけるように、IW(2017年のCoD)ではGreedZzがスランプに陥った。
YouTube再生数・登録数が伸び悩み、ランクマッチ、交流戦でもうまく行かず、毎日苦しんでいた。
そんな姿を知っていたけど、それでも私は変わらず彼に繰り返し言い続けた。
世界に行かなきゃダメだよ。グリ、あなたは世界に行くんだよ。
そう、何度も言った。
世界への道がないのに、「世界へ行かなきゃダメ」なんて、なんて残酷なのか。

舞台の上で闘えないなら、せめてもということで、オーストリア大会に2人で観戦に行った。
ESLの方がチケットを用意してくれて、この観戦がMindfreakと関係を持つきっかけとなった。
今でもこの出会いは、私達にとって大きな意味を持っている。
この出会いが、CoD champ 2017への出張に繋がった。

GreedZzは、2017年の5月位から、私に凄く意見を言うようになった。
「やっぱり、このRushっていうチームじゃないと無理です」と言われた。
でも、当時の私は、GreedZz以外のチームメンバーのTwitterや配信を聞いた上で、Rushのスポンサーにはならないという判断をしていた。
その後、彼らに自らをプレゼンをしてもらった上で、改めて正式に断った。
会ったこともなかったし、顔すら知らない子達と何か活動するなんて考えられなかった。
「twitterでアニメアイコンを使用している子供に、スポンサーなんかつくわけない。私はやるなら、意味のあることがしたい。適当にお小遣いをあげて、そこらの男の子のオーナーになる趣味は持ってない。」
と、包み隠さず伝えた。

そんなある時、GreedZzが、Rushが、小さい大会で負けた。
野良連杯ーーNamiとの出会いの場でもあり、私とRushメンバーが初めて対面する場となった大会だ。
大会後、GreedZzが初めて弱音を吐いた。
「もう僕伸びない、もうダメ。みんなの成長についていけない」
絶対にそんなことを言う子じゃなかった。
だって、今まで一度も私に弱音を吐いたことがなかった。
今までGreedZzは、何度躓いても、何度でも立ち上がってきた。
だから私もHASESHINもGreedZzを信じて、待った。
HASESHINにWinRed、Light、Ngtの連絡先を聞いて、LINEした。
この連絡をきっかけに、Rushのことをもっと知りたいと思うようになった。

ここからは、CyACオフライン大会。
TGSへの復活劇。
あのTGSの後、膝が痛くて歩けなくなったNgtをみんなでおんぶしながら、しみじみと、
「あぁ、この子達と未来を作っていくんだな」と思ったんだ。

ーーRushと出会ってからの、前日夜から直前まで出来事が、走馬灯のように溢れてきた。
最終試合のサーチ中、叫びながらただ、ただ、祈っていた。
みんなとアメリカに行きたい、アメリカに行きたい、アメリカに、アメリカに……。
考えすぎて頭が割れそうなほど、ひたすらそれだけを願っていた。

あの勝利の瞬間は、一生忘れられない。
何も持たない私が、こんなに感動を貰ってもいいのか。
こみ上げる涙が止まらなかった。
このときの感動を、どうやって伝えればいいのかわからない。
表現する言葉が見つからないのだ。

今回の試合でのMVPは、個人的にNgtにあげたいと思った。
前回の大会で負けた時、
「すいません……今回は勝たせることが出来ませんでした……」
って、凄く責任を感じていた。
チームの勝利の為に、チームの誰よりも考えて、研究してきた姿をずっと見ていた。
敗北後、チームを繋げようと一番頑張ってくれていたのは、他でもない彼だ。

スポーツ推薦だったのに、学生の時に腰を痛めて学校にも通えなくなって、更に膝を痛めて、長く歩く事も働く事も出来なくなった。
TGS中のちょっとした移動ですら、最後は全く歩けなくなって、みんなでおんぶして帰った。
出会った頃は、自分に自信が無くて、自虐ばっかりで、不必要に明るく振舞う子だった。でもオフィスに来て、たくさん時間を過ごして、こんなに才能のある子なのかって驚いた。
絶対自分でアピールしないけど、いつも誰よりも早くオフィスにいるのはNgtだ。
これから沢山、今まで出来なかったことをしようね。
膝も治そう。
リハビリして、アメリカに一緒に行こうね。


ーーーーーここまでが、2018年2月闘会議直後に、Twitterにつぶやいた文章をまとめた文章。

そして来る、アメリカでの挫折、崩壊、別れ、新たな出会い。
Nami、Ngtとの別れは今でもその最後の瞬間を思い出しては筆舌に尽くしがたい気持ちになる。
また同時に、GP、Luke、Huntとの出会い、Lightの復活は、私達にこれ程にもない幸せと感動をもたらしてくれた。
この2018年は、私達にとって、また新たな挑戦の始まりだ。



現在、Rush Gaming はスタメンの5人目が決まらないという危機的状況にある。
5人目が決まらずとも、GPのストリーマー転向はチームから、そして本人と熟考した結果だ。
あの5人とって、最善の決断をしたと思っている。
こんな危機すらも、きっとみんななら乗り越えられると信じている。
常に、一番本質的な事を大事にしてきているあなたたちなら、必ず良い事があるよ、必ず周りが味方してくれる。必ず良い結果につながる。
物事というのは、解決するのに時に時間がかかるものだ。
そんなことを噛み締めて、人生の学びにできればいいと思う。
2019年も、ひたむきに、一日一日を大事に、また歩いていこう。

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