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旅人たちへ

ノマドランドという映画を観た。

以下の文章は、ネタバレに類する内容を含みます。今後、近いタイミングで本作を見るご予定のある方は、念の為お引き取り下さい。

緊急事態宣言下の大阪・京都はダメでも、それがしは奈良県民である。20時過ぎから9番スクリーンで始まったこのレイトショーには、僕を含め4名のおっさんがいた。それぞれがどんなキッカケとモチベーションでこの映画を見ることになったのか。人数が少ないとそんな一人ひとりの偶然が、少しだけ気にかかる。

引き返されましたか。自分の素直な感情の発露をこそ、大切になさる方にとってネタバレは益が少ないかと思うので、出来たら映画の後に読んで頂けると嬉しいです。No more 映画泥棒! それでは本編に入ります。

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旅人特有の表情だな、と思った。

この映画の主人公は、60代に差し掛かったぐらいの女性で、旦那とは死別しており、子供もいない。彼女は、Amazonの工場などで季節労働を繰り返しつつ、一人でバンライフを送っている。

バンライフとは、自家用車(バン)を改造して、リビングやベッドの機能を持たせた上で、遊牧民(Nomad)のように移動しながら暮らす生き方のことである。引き返しましたね。

彼女が、旅人であることに気がついたのは、映画もやや終盤に差し掛かった頃だった。僕はいつしか忘れていた。旅人には、旅人特有の表情がある。仕草がある。言葉があることを。

彼らは生身でそこにいて、何にも属さない。彼らを説明するのは、唯一名前だけである。(一人旅の人により顕著だと思うが)彼らはあるがままに周りに触れ、自然や歴史といった大きなものに晒されるうちに、自分の存在をも無条件に受け容れていたり、そうしようとしている。

そこでは、人生の何か重要なものに近づいている感覚があって、そのものと共にあろうとしている。

ともすれば身勝手に映ることもあるかもしれないが、彼らにとっては、誰かからどう見られるかよりも、自分が何を感じているかの方が重要で、それに素直であろうとしているだけなのだ。

だからこそ、する表情。だからこそ、する仕草。だからこそ、言うセリフ。

「つまらない」

この主人公は十分に成熟しているから、ルールから逸脱したり、自分の考えや感情を誰かに一方的に押し付けたりすることはない。彼女は淡々と歩く。自然や景色を眺める。いいものに触れると明るくなって、つまらないものには表情が陰る。「なぁんだ」とでも言うように。

その表情に、思い出した。

僕がいつしか忘れていたのは、今の自分がその瞬間を楽しめてるのか、そうじゃないのかにすごく敏感で、それに素直な人がするこの顔だった。それが旅人特有の表情である。

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この映画は、老齢期に差し掛かった人たちに、自分の生き方をもう一度見つめ直させるようなところに、常識を揺さぶるものがあるのだと思うけれど、そんなことよりも、僕には、ただ懐かしい感じがした。

いつしか出会った、あの旅人たちは、どうしているのだろうか。さみしくて、つまらなくて、美しくて、胸のすくようなあの感情の中で、僕たちは一瞬深くつながった気がしたのだ。

(以上)

補遺)
こぼれ話①
本編が始まるまで、10分ぐらいCMがあったけど、少しでも見たいと思えるものが一つたりともなかった。こんなことは始めてでビックリ。この映画を見ている層に対する、映画CMの最適化みたいなことは、やってないものかと訝しんだ。是非やって欲しい。

こぼれ話② ※ネタバレ含む
この映画は、2名のプロを除いて、残るキャストは皆一般人であるらしい。エンドロールに配役の名前がそのまま出てきて、あれっと思ったのが、後になるほどと納得された。

こぼれ話③ ※ネタバレ含む
とあるシーンで、ちょっと醒めてしまったのだが、今思えばそのシーンは、②を前提にすると「実在するリアルな人物の語り」のハズだった。とするとちょっと困ったことになって、もし彼が、本当に彼自身のリアルを”演じていた”のなら、僕はフィクションの演技に没入する一方、ノンフィクションの語りに嘘っぽさを感じたことになる。何が本当で、何が作り物なのかは、僕には”感じ分けきれない”ようだ。

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。