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誰が陰謀論を唱えるのか

令和元年4月30日深夜、尊皇心の塊である俺は人生で初めて経験する改元と言うそのタイミングを、一人の友人とスナックで迎えていた。その時ついてくれた女のコ二人は、どちらも若く素直で可愛らしく、ラッキーな日だった。だがこの記念すべきタイミングを、楽しく談笑している間にすっかり過ぎてしまった。大失態(もっと前から間違っているとの指摘は受け付けない)!

思い出した俺は改元について少し触れてみた。女のコ達は優秀だから男に話させるのが上手い。とりあえず元号も天皇も知らんと言うことで色々と教えていたら、思いの外興味津々だったそうで、目を輝かせてきた。なんと健気な。

そこから話はガンガン広がり、この地域の歴史や、その派生で日本史を少し語ったところで、当然ながら「そんな話は初めて聞いた」と言うレスがあったので、

俺は人が何故「真実を語らないのか」を語った。

この手の戦後語られなかった歴史の基本は所謂左翼的なマスゴミ的な奴等が政治的に隠したがることを教えた上で、

話は2つの「しがらみ」に移る。

一つのしがらみは、今目の前で何かを話している人達に異論を唱えることが難しいこと、

そしてもう一つは馴染みの人への批判は思っていてもするのが難しいこと。

これは客商売をやっている彼女達には解りやすかった。自分の太客への悪口だったり、本当は違うと思っていても言えない。

ではなぜ彼等はそんな「違う」話をするのか。それはやはり本人達の偏見と願望があるからに他ならない。

彼等は事実を分析したいのではなく、ある物事を自分の先入僻見に基づいて再構築したいのだ。そうなってくると彼等にとって都合が悪くなるのは「ファクト」となる。なのでその「ファクト」は徹底して無視する。

そしてその反対の配慮、遠慮的な2つ目の場合は、これも彼女達の理解は簡単だったようだ。

やはり世間体と言うものはある。だから事実と分かっていても言えない。言ったら、いや言おうとしたらその時点で自分はその世間から排除されると懸念を抱く。しかも現に排他的言論の光景をテレビを通じて見ているともなると、尚更言えなくなるだろう。

そうやって2つ目の事実が言えなくなるメカニズムと、1つ目の事実に基づかない放言が重なると、陰謀論が蔓延る。

コロナ禍以降、様々なデマ、陰謀論が世間を賑わした。河野太郎やコロナ脳が言う「デマ」は、正直「デマとして流行っていると言う認識すら事実に基づかない、と言う新しいデマ」と、「デマと片付けるには無理があるくらい科学的思考がないタイプの新しいデマ」とに分けざるを得ない。

河野太郎ブログで言う、

「ワクチン接種された実験用のネズミが2年で全て死んだ」

が前者であり、

「ワクチン接種で遺伝子が組み換えられる」
mRNAワクチンが遺伝子に組み込まれる可能性はありません

と言うのが後者だ。

前者は誰も知らないから論外として、後者は明らかに事実に基づかない。

タンパク質生成に関して、DNA→RNA→タンパク質と言う一方向しか有り得ないとする旧来の説、セントラルドグマは、HIVウイルス発見以降、否定されたのだ。RNAがDNAを書き換えることが証明されたし、そしてだからこそ生物の進化が可能であることも分かってきた。こんなもん、宮沢孝幸先生の本を読めばある程度理解できる「常識」を、媚び靡のメンバーは誰一人知らないと言うのは恐ろしい話だ。

それからデマと言うか、人々の認識を撹乱させる上でもう一つあるのが、

重要なことを無視することだ。

例えば母体への健康不安については、

このような記事がある。

アメリカでコロナが流行れば2週間後は東京がニューヨークになる!と言っていた奴等は真っ先に妊婦へのワクチンは堕胎に繋がると主張せねばならない。それが「危機管理」と言うものだ。

また河野太郎が触れていない大切なことがある。それは何度も触れているが、


死亡例の報告について(資料1-3-1、1-3-2、1-5-1)
○今回の対象期間(6月13日まで)に、ファイザー社ワクチンについて277例の報告がありました。その後6月18日までには、さらに両ワクチンを合わせて79件の報告がありました。

とあるように、約2週間前時点での356件の死亡が確認されている。

この件について彼は一切触れていない。極めて不誠実であり、それこそ触れたくない意図が有ったのだろう。

こう言う意図のある人間が陰謀論を撒き散らす。しかも立場から過度の信憑性を纏って撒き散らす。極めて有害なのだ。

大体、こびナビ自体が怪し過ぎる。何の実績もない奴等の集まりが何故政府に入り込んだ?それこそこいつ等の入り込めた背景こそ明らかにすべきことだろう。

それをしないと不要な陰謀論がまた蔓延る。

道理では説明できないところは人間の良からぬ意思が介在する。

その意図が誠実であることを示すことが陰謀論を無くす鍵となる。

河野太郎や媚び靡はそれを怠ったまま、ゴミ未満の情報で愚民をナビゲートしている。ぐみナビでもいいくらい不誠実な奴等だ。

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このデマブログ末尾に記してあるが、こびナビについてはしっかりと情報を集めねばならない。

胡散臭い馬鹿ばかり、と言うことしか今のところは分からないが。

そんな感じで俺は常に自分の「考え方」を示した上で、更に疑問があればそれに対しても分かるものは答え、分からないことは分からないと答える。

それが本来のコミュニケーションではないか?

今の世の中は分からないことを分からないと認めて留保することや、分かっていることを分からないと敢えて話を混乱させる言論が目に付きやすく、相互不信は絶えることを知らない。

とは言え、人間とは不完全な生き物だ。

俺だって誰だって畢竟、偏見や誤謬から逃れることはできない。

そう言う時に大切なのが議論だ。以前スクリーニング検査の是非について、専門の方から指摘を受けたが、

念の為議論の推移に触れると、

俺「PCRの結果だけで陽性にするのはおかしい」

先方「場合によっては、例えば結核の疑いがあればやるし、PCRだけで十分とする。ただしスクリーニング検査はやらないし無意味」

俺「確かに症状があるなら念の為に検査するのは意味がある。しかし過剰なスクリーニング検査をやめろ」

先方「"無症状への大規模な"スクリーニング検査が不要、だよね?」

俺「そうですね。それから不安だけを煽る報道も良くないですね。それが問題を大きくしています」

と言うことで、検査不要論から、大規模無症状スクリーニング検査不要論まで「後退した」。

しかしそれは俺にとっての敗北ではなく、前進でしかなかった。

それは俺が勝ち負けの為の目的化した議論をしないからだ。

俺の主張はあくまで国家社会の為の最善の模索なのだ。

それを証明するのが常日頃の意見表明であり、反論への反論、即ち議論だ。

そもそもnoteには記事に批判をする文化が無い(半年間見てきた限り)。

まあ皆好きなこと書いてるだけだからそうだろう。

しかし政治家である原口一博や他に何らかの専門家の妄言に対してコメントで批判をしたが、彼等は完全に無視した。

未だに何もこない。

別に何百何千と並ぶコメントから俺のを発掘しろと言っているのではない。

俺のコメントくらいしか書いてないのに無反応なのだ。

そう言うところで人間の、また選挙事務所の限界を見るのだ。

こんな奴等は信用してはならない。

陰謀論を無くしたいなら徹底した公開の議論を増やすしかない。

そこをなくすから陰謀論が蔓延るのだ。

陰謀論だ!しか言わない奴等も陰謀論が蔓延る環境を作っているのだ。

具体的に質問し、意見し、自分の納得を手に入れろ。

2年前のスナックで、俺は彼女等と短い時間ながら信頼関係を築いた。

女のコのうちの一人が別れ際に「マスコミの話は信用しちゃだめですよね」

と言ってくれた。

俺はそれを遮ろうとしたが、間髪入れず、彼女の方から

「スポンサーとかの影響を受けるから」

と、俺の話をよく理解してくれていたようだ。

そんな「社交」による生きた言葉を交わしたい。





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