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品切れのハム(エッセイ)

ひとつしか空いていない駐車場のスペースに枯れ葉が落ちていた。
そこへトラックを止め、灯りの方を見る。営業所の灯りに安堵した。
23時。
一日の外回りが終わり、ぼくは営業所のドアを開けた。
「ただいま帰りました」
疲れた身体から振り絞るように声を出した。持っていたかばんを机に置くや否や、右から先輩営業マンが血相を変えて飛んできた。
「パチプロ! おまえ、クレーム入ってるぞ!」
えっ、なんだろう。
もうひとりの先輩も左からやってきた。
「パチプロ! スーパー・シミズヤさんて、きょう新装開店だったんだろ。その初日に品切れなんて営業失格だぞ!」
スーパー・シミズヤはきょう新装開店で、ぼくは朝一番で開店前に納品したことを思い出した。

ぼくは先輩方からパチプロというあだ名で呼ばれている。平均睡眠時間4時間で仕事漬けのぼくは日曜夕方にパチンコをするくらいしか息抜きがなかった。社会人になりM食品というハム屋に入社して1年目のぼくは、早朝からトラックでハムやソーセージ、ベーコンなどを運び、スーパーや食料品店などに商談して納品していた。
この会社は、M食品に3年勤務できればどこでも通用する、といわれるほど過酷な労働条件の会社だった。毎日くたくたになりながら働いた。営業所の建物の上の階が社員寮になっていて、帰所後の仕事が終わって夜中に寮に上がり、食堂でようやくぼくの晩ご飯が始まる。
まかないのおばちゃんが作ってくれたおかずは、時として12時間後にラッピングを剥がされ外の空気を吸うこともあった。あるとき、ぼくはご飯をもぐもぐしながら、いつしかまぶたが閉じ居眠りをしているところを食堂脇の乾燥機に洗濯物を取りにきた先輩に起こされたこともあった。

営業所内で3人目の先輩も連絡帳を持って右からやってきた。
「パチプロ! 見てみろ。きょう15時にスーパー・シミズヤさんからクレームが来ているから」
「はい」
ぼくは連絡帳をのぞきこんだ。そこには、外回りの営業マンに代わり電話対応してくれた事務員のことばがあった。
≪15時電話あり。スーパー・シミズヤさんから。きょう新装開店しましたが、上級ロースハムが品切れです。至急追加納品してください≫
思い出した。きょうスーパー・シミズヤさんには上級ロースハムを5枚しか納品しなかった。他の商品は10枚から20枚ずつ納品したが、上級ロースハムは早朝営業所に入荷がなかったため、持ち越し在庫の5枚しか納品できなかった。
先輩のひとりが聞いてきた。
「上級ロースは何枚納品したんだ?」
「5枚です。入荷がなかったもので」
先輩が語気を荒げた。
「5枚って!? おいおい。新装開店のお店に迷惑かけるなよ。それにこちら側としても売上げ上げるチャンスなんだからな。上級ロースのフェイス(陳列棚)が競合他社に奪われてもいいのかよ!」
ぼくの疲れた身体に先輩方の6つの目が突き刺さっているのを感じた。
でも今のぼくにはどうにもできなかった。
「すみません。明日朝一で納品してきます。どなたか上級ロースを分けてもらえませんか。一枚もなくて。明日入荷するかもわからないので」
6つの目が背を向け始めた。
「いまだに学生気分じゃダメだぞ! それじゃあ、おつかれさま!」
先輩方は三々五々営業所をあとにした。
ぼくは悔しさよりも不安だけが残った。
クレームあったのに、明日も上級ロースが入荷しなかったらどうしよう。新装開店なのに。
奥に座っていた副所長が営業所を出て行った。戻ってきた副所長がなにかを手にしている。「パチプロ。これ10枚しかないけど持ってけ。じゃあ、おつかれ。おまえも早く上がれよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
副所長が持っていたのは上級ロースだった。副所長もわずかであるがお得意先と新規開拓用に商品を持ち運んでいた。
これで明日上級ロースが入荷しなくてもスーパー・シミズヤさんにはなんとか格好がつく。椅子に座る。ぼくはまだ座っていなかったことに気づいた。
でもクレームはクレームだ。不安は残った。
店長に怒られるだろうな・・・。

翌日早朝、トラックに商品を詰め込んだ。上級ロースはやはりきょうも入荷しなかった。
だれもいない営業所を出ようとした。
「おはよう!」
副所長だった。
「おはようございます。やはり上級ロースは入荷してませんでした。きのう副所長に分けてもらった分をありがたく納品してきます」
「おお。あのな、パチプロ。クレームだけど、心配すんな。まったく納品しなかったわけじゃないだろ。5枚でも納品してきたんだ。むしろ、おまえが置いた商品が売れた、っていうお店側への印象付けに成功したんだから」
「・・・ありがとうございます。では、行ってきます」
ぼくは不安であまり眠れなかった。だけど副所長も夜通し、ぼくのことを考えていてくれたんだ。
営業所の外に出た。木々にはさびしくなった枝に何枚か葉がしがみついていた。
上を向くと、空が高かった。

「まいど、おはようございます! M食品です」
いつもより大きな声でスーパー・シミズヤさんに入った。レジ周りのパートさんが笑顔を向けてくれた。
「ああ、Mさん! きのう置いていってくれたあの高級そうなハム全部売れちゃったねえ。売り切れたのおたくのあのハムだけだよ。店長に報告したらすぐ電話してた。きょう追加していって」
「はい、ありがとうございます! あのハムはほかのお店でも人気になっていまして」
「やっぱり? わたしもきょう仕事が終わって帰る前に、残っていたらあのハム買っていこうかな」
「まいど、ありがとうございます!」
店長が奥からやってきた。
「おお、Mさん! あのハム持ってきたか? 売れたなあ。来週ワゴンに山積みして特売でもしようか」
「ありがとうございます!」
「あと、きょうはなにかソーセージの特売できるもん、ある? あったら下段の品薄になっている他社の商品を詰めて、そこへMさんのソーセージ置いてよ」
「ありがとうございます! ちょうどきょう特売できるソーセージ2個束を積んできました。5ケースくらい置いておきますか」
「おお、よろしく!」

トラックに戻り、荷台のうしろの扉を開き、ぼくは勢いよく台車を下ろした。


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