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その人らしさを取り戻していくために必要なのは、安心して一息つける場所。「あの人が悪い」という偏見を乗り越えて。

夜の池袋、雑踏の隅でうずくまっている男性がいる。その男性に向かって一直線に近づき、
「こんばんは、最近どうですか?」
と声をかけたのは、NPO法人TENOHASI(てのはし)事務局長の清野賢司さんだ。

清野さんが話しかけた男性に、今夜眠るための家はない。清野さんは男性の近況について話を聞き、体調を気遣い、おにぎりを渡す。会話の中で、少なくとも今日はここから動きたくないことを聞くと
「また来ます」
と言って、再び歩き出す。


ホームレス問題との出会い

NPO法人TENOHASIは、池袋を中心に炊き出しや夜回りなど、ホームレス状態の方への支援活動を行っている。

清野さんがTENOHASIと出会ったのは、中学校で社会科の教員として勤めている時だった。2002年、中学生がホームレス状態の男性を襲撃し、殺害する事件が起こった。
加害者は清野さんが勤める学校の生徒ではなかったが、加害者となった生徒のいる学校のことを清野さんはよく知っていた。
当時、とてもショックを受けたと清野さんは語る。

「この事件は、自分の受け持った生徒がやってもおかしくなかった。それほど、身近に感じました。それと同時に、考えてみればホームレスの問題って授業でやったことなかったなと。
明らかに周囲から蔑まされている特定の集団がいて、偉い人がその人を蔑んだ言葉を言っても問題視されず、学校も教育課題だと思っていない。
これって、差別の本質だなと思ったんですよね。それまでも差別問題は授業の中で取り扱ってきたので、ホームレス問題についても取り上げなければと思いました」

ホームレス問題について授業で取り上げるために、清野さん自身も勉強をするなかでTENOHASIのことを知り活動に参加し始めた。

それ以前にも、差別問題を授業内でたびたび取り上げていたという清野さん。差別問題について関心を持ち始めたのは小中学生の時だったという。

「小中の頃本は好きだったんだけど、特にドキュメンタリー、人々の息遣いが聞こえて来るようなものが好きでした。
その中でも、水俣病が衝撃的で、こうやって公害が発生し、それを会社や政府がここまでひた隠しにするのかと。そして、その隠蔽や不正に対して戦う人がいて……。
思い返すと、自分の国にこういう不正があって現在進行形なんだってことを知ったのが、その時でした」

大学時代には、在日韓国朝鮮人への差別についても当事者と共に活動をした。
学生時代に、社会の不合理と、そこで戦う人々の存在を知った経験が、社会に対する鋭い眼差しを培った。

そして現在、その眼差しはホームレス問題へ向けられる。

「2000年頃、日本に貧困はないとされていました。
だから、ホームレスはなまけもので、臭くて汚い。昼間から酒飲んでて良い身分だと言われてきました。
ただ、ホームレス状態の方に障害があるとか、福祉の施策が不十分であるとは知られてなかったし、行政の違法な対応で生活保護を受けさせて貰えない人がいても誰も疑問に思わない。
その頃、新宿区だったら毎週1人が路上で死んでいた。豊島区でも月に2人は路上で死んでいた。『一体どこの国なんだ!』というような状況が、それほど報道されない」

「ハッと思ったんですよね。中学生が障害児を襲ったら教育委員会がひっくりかえるくらいの大問題になるよなと。それなのに、ホームレスだったらそこまで問題にならない。
学校も真剣に取り組まない。教員も含めて、偏見を持っているから。
何故それをしちゃいけないのかって根拠がないんですよね。
しっかりした答えが教員の中にないから「命の大切さ」を説くしかない。
けど本音は「あいつらが悪いんだ」って思ってしまっている」

ハウジングファーストの実践

この現状を変えようと奔走しているのが、清野さんが事務局長を勤めるTENOHASIをはじめとしたホームレス状態の方に対する支援団体だ。
そして現在、TENOHSIが支援指針のひとつに掲げているのが「ハウジングファースト」という考え方だ。

「ハウジングファースト」とは、何らかの理由で住まいを喪失した生活困窮者に対して、まず安定した住居を提供し、そこを拠点に生活の確立を行っていく支援方法だ。
従来の福祉制度では、ホームレス状態から生活保護を申請すると、アパートで一人暮らしできるかどうかの審査が行われる。その審査のために簡易的な宿泊施設への入所がすすめられる。
その施設のほとんどは個室ではなく、一部屋に複数人という劣悪な環境での生活を余儀なくされる。

しかし、清野さんによると、ホームレス状態を経験された方々にとって、何より優先すべきはプライバシーだという。仕事や住まいを失い、路上での生活を余儀なくされてきた人たちは心身ともに疲れて、ストレス耐性も弱まっているからだ。

だがその一方で、それまで住み込みの寮などを転々としてきてアパート暮らしを経験したことがない人にとって、いざプライバシーが確保されると安心と同時に寂しさや不安を感じ、環境の変化に馴染めない場合もある。
そのため、それまで一人暮らしを切望していても、アパートでの一人暮らしから再び路上生活に戻ってしまう人もいる。

これを防ぐため、清野さんをはじめTENOHASIのスタッフがその人その人に合わせて、ほぼ毎日だったり週一程度だったりと頻度を柔軟に変えて、定期的にアパートの訪問をおこなっている。
別にその人がお話好きというわけでもなくても、顔を見て話をする。一言、二言でいい。その積み重ねが重要なのだ。

「現在TENOHASIでは、協働しているつくろい東京ファンドや理解のある大家さんの協力を得て、豊島区とその周辺区で約20室のアパートへを確保しています」

シェルター運営の試行錯誤

清野さんは淡々とTENOHASIのシェルター支援について語る。

「最初は、健康状態が悪化して緊急性の高いホームレス状態の方を事務所で一時的に保護したことから始まりました。それまでも泊まれるところがあればと必要性は感じていました。ただ、小さい団体なので、それまで宿泊出来る場所を持っていなかったんです。

「最初に入った方は、その晩にたまたま出会って、泊まるとこがないって人でしたね。ほんとボロボロでね、真冬だったから野宿してもらうのも可哀想だと。じゃあうちに泊まるところあるけど来ますかっていったら喜んで来てくれたんですね。そういう人が2人、3人とあらわれて、ワンルームの事務所にドミトリー形式で大人数寝るようになったのがはじまりだったんです。
それが2010年で、そこからシェルター運営の第一歩を踏み出しました」

まずは、ドミトリー形式から始まったTENOHASIのシェルター運営。その後シェアハウス型のシェルター運営にも挑戦するが、そこで集団生活の難しさと直面する。

「見守りが大切だと思ってシェアハウス型のシェルターをやっていました。確かに話好きな人にはいいんだけど、やっぱり人がいるとずっと気が休まらないって人はいて、シェアハウスなら出るって人もいる。完全なプライバシー保護を目的に、2016年から完全個室型シェルターをやっていこうという方向転換をしました」

私たちにとって、当たり前である「自分の時間」、「自分の空間」。路上に放り出されると、その当たり前のものが一瞬でなくなる。通行人から暴行されないか、物を盗られないか常に警戒し、冬になれば凍死の危険性もある。それでは、その生活を逃れるため生活保護を受給し、施設に入居すれば一件落着だろうか?
集団生活しか選択肢はなく、施設に帰っても自分の空間はない。常に人に気を使い、ほっと一息つける瞬間はいつだろう。

屋根があるんだからいいじゃないか。そんな意見もあるかもしれないが、思い出して欲しい。あなたが何もかもに疲れても、自分の家に帰ってきた時の安堵感を。
辛いことがあった夜、さっさと忘れるために潜り込む自分の布団のあたたかさを。それを望むことは路上生活に追い込まれた人間にとって不相応なのだろうか。

緊急宿泊支援が足りない!

一方でTENOHASIや協力団体が用意している個室シェルターに入居できる人はまだまだ少ない。
さらに緊急を要するのが、すぐにでも身の安全を確保する必要がある障害者や健康状態の悪い生活困窮者である。
清野さんによると、路上に寝泊まりしている生活困窮者で、今から生活保護等を申請したいと相談に来たけれど、申請までの宿泊費や食費を持ち合わせていない人に、緊急宿泊費としてネットカフェ代や食費を渡している。

現状として、緊急宿泊費は生活支援費の予算200万から捻出されている。200万のうち、緊急宿泊費に充てられるのはせいぜい50万円程度だ。

緊急宿泊費が必要となるのは、月にだいたい8人程度。1泊だったら3000円で済むが、土曜日に相談に来た人には役所が開く月曜日までの2泊分必要だ。それに食費が追加される。そして、年末年始には人が増えるので、さらにコストが増える。

「ほんとはね、野宿で疲れてるから役所に行く前にシャワーくらいあびて、ちよっとゆっくりして、ご飯もしっかり食べてから申請に行けるようにしてあげたいですね。けど予算には限りがありますので、冬の夜で凍死の危険があるとか、野宿では命の危険があるような病気の人には宿泊費を出しますが、春先や夏場・病気ではない方にはとりあえず野宿のまま頑張ってもらうしかない。忍びないですが」

清野さんの願いは切実だ。
寄付や助成金で集められた予算の中、清野さん自身に最低限の給料らしい給料が支払えるようになったのも最近だ。それまではほぼ無給だったという。
それでも、シェルター運営や、緊急宿泊費の補助といった活動は、日本を変えていくためにも必要だと言う清野さんの言葉は力強い。

「いまの、路上で生活されている人のバックグラウンドはあまりにも複雑。心身の障害や依存性、家庭環境など個々のケースが様々。いまの福祉制度の許容量を超えています。
だからこそ、私たち民間が制度にないことを実験的にやっていって、その経験を積んで、世の中にこういうことやったほうがいいですよと広く伝えたいということをやるわけですよね」

「たとえば、現在は家がない人が生活保護を申請したら、施設に入る可能性が高いんですが、ワンルームに6人とかで共同生活をするんですよね。それが当たり前とされている。それっておかしいですよねと。希望する人には個室を提供し、安心して心と体を癒し、そこから自分らしい生活を作っていく。そのような新しい自立のモデルケースとなれたらと考えています」

「私たちも福祉の制度を変えられる」

さらに、今後支援活動を広げるためのパーツも揃ってきた。
長年の支援活動を通して、住宅、医療(クリニック、訪問介護)は、池袋内のネットワークで独自に発展してきた。
それが、2019年の4月から運用が始まる予定の、TENOHASIを含めた8団体が協働して緊急宿泊費の助成をおこなう「東京アンブレラ基金」のように、より広範な、様々な社会問題と向き合う支援団体が共通の問題を対処するため連携も始めた。

相互に補い合い、それぞれのフィールドで培ったものを組み合わせて制度に訴えかけていく段階がやってきたのだ。

清野さんは語る。

「11歳下の弟は自閉症です。いま全国各地に障害者のための継続型就労支援作業所、就労移行支援事業所がありますよね。うちの弟が小さい頃、作業所は、親達が手弁当作って、職員雇ってってやってたんですよね。行政がきちんと関わる以前の話です。
それがいまや全国各地にそのような事業所があって、時代は変わったなと思います。
障害者は家にいるしかない時代で、その介護は家庭内に留まっていました。それが公の責任でお金を出し、昔は仕事が出来る環境がなかった障害者も仕事ができるようになった。
それだったら、今度は私たちも福祉の制度を変えられると思うんです」

TENOHASIが活動を開始して20年近くたった。一人一人の社会に対する違和感が、日本の福祉を変える日も近い。[了]


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【写真提供】認定NPO法人世界の医療団
【取材・執筆】 原田詩織
都内の私立大学4年生。有限会社ビッグイシュー日本東京事務所と、ビッグイシュー基金で計1年間のインターンを経験。現在、ビッグイシュー日本アルバイト、つくろい東京ファンドボランティア。

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