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倉橋ヨエコのこと。

まさかまさかまさか。
ヨエコが15年の時を経て復活するという日に、復活すると知らずにヨエコについて書かねばと思ってnoteを開きました。
運命感じたそのままを書きます。



どうして私には何もない 何もない
部屋と幻(『礼』2000年)

仕事がうまくいかなくて、帰りの車でふとこのフレーズを口ずさんだのが1ヶ月ほど前。
私自身が選んで好きだと思ったのは倉橋ヨエコただ1人だと。幸せな時もどん底の時も、いつもそばにいたのは倉橋ヨエコだと。
忘れていたけど、思い出してしまった。
それから毎日のようにヨエコを聴いてはド鬱に浸り、吹っ切れて日常に戻ることができていた、と思う。


私と倉橋ヨエコの出会いは約20年前。
当時高校生だった私は某野球漫画にハマっていて、とある個人サイトに日参していた。
ある日お絵描きBBS(書いてて懐かしすぎて泣ける)に、推しキャラと

「盗られちゃいました かわいいあの子は」

と書かれた絵がアップされた。
わーい推しキャラ!でもなんだこの歌詞。倉橋ヨエコって誰だ。きっとこのキャラに合う歌手なんだろうな!
今ならサブスクかYouTubeで聴けるけれど、当時はそうもいかず、聴くにはCDを買う一択。部活が休みだった日曜日に、天王寺MIOのCD屋さんで『婦人用』を購入した。

帰り道、父親が駅まで車で迎えにきてくれたので、待ちきれずCDを車内でかける。
一曲目『盗られ系』。
父親は「なんやこの曲」と一言。駅から家までの10分間、倉橋ヨエコを初めて聴いたこの時のことを私は絶対忘れない。

正直なところ、その独特な声が、音楽が、予想していたよりもはるかにすごくて、面食らった。
父親の「なんやこの曲」も、確かにそうやな、と思えた。
しかし私は面食らうと同時に、心をガッチリ掴まれて、離れることができなかった。

今まで聴いていたジャニーズや浜崎あゆみやモー娘。とは全てが違った。
こんな音楽が、声が、存在するのか…!と。

その後全部のCDを揃え、たくさんの人に布教したが、聴いてくれて、一緒にライブに行ってくれたのは2人だけだった。
だけど、それが、それこそが倉橋ヨエコなんだと思う。
万人受けはしない。分かる人にはよさが分かる。私だけがヨエコを知っている。ずっとそう思ってきた。多分やばいオタクである。

15の時から倉橋ヨエコと一緒に生きてきたと思っている。
そんなヨエコが、また活動してくれる。
解体ピアノ以降、ヨエコが幸せに生きていればいいなぁと思ってきた。折に触れて倉橋ヨエコと検索し、新たな情報はないかと探してきた。
そして今日。
「こんな歌でも役に立つなら」と、ほんとに全くもうヨエコらしいなぁ!と思わせる表現で。
また、歌ってくれると…!
でも、持病があるとのことなので、無理のない範囲で歌ってほしい。
そして、私の人生をまたヨエコの声で彩ってほしい。

大好きなヨエコ。今はなきマルビルタワレコのインストアライブに行った。カレンダーにサインももらった。何度もライブに行った。二列目で聴いた。ライブにキノコのチョコレートを差し入れした。結婚式では『卵とじ』を流した。先輩に「何あの卵の曲!?」って言われた。生きるのが辛くてたまらない時聴いたのはヨエコだった。

私はまた、今日のこの日のことを絶対に忘れないと思う。

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