韻踏みを考える

最近中国ドラマをよく見ているのですが、中国語の曲は、韻踏みがすごく綺麗だなと思いましたので、少し韻踏みについて考えてみようと思います。

今回は、日本語・英語・中国語に分けて、考えてみることにします。

日本語

そもそも日本語の曲はあまり韻を踏んでいるイメージがありません。韻を踏む、といったら一番思い浮かぶのがラップでしょうか。

でもラップ以外のジャンルでも韻を取り入れてる曲は意外とありそうです。日本語の曲は、全体に統一感のある韻を入れるというよりは、どちらかというとアレンジ寄りの一手間を加えてる印象があります。

日本語はひらがな、カタカナ、漢字、外来語が混ざっていて、散文のイメージがあります。全てに韻を踏むというと、歌詞作りが大変になってしまいそうですので、他の言語と比べると音を揃えるのが難しいのかもしれません。

日本語の韻踏みを具体的な例で言うと、(著作権の問題がどこまで適用されるかが難しいので歌詞は載せられませんが、)ヨルシカの 「夜行」は頭韻が日本語の言葉を綺麗に活かした韻の踏み方ですごく好きです。

また、ずっと真夜中でいいのに。「あいつら全員同窓会」は同音意義語での韻踏のアクセントと、脚韻の母音の韻踏みのまとまり感が心地よいなと思います。

英語

英語の曲は、日本語よりは韻を使う率が高いけれど、中国語のように全体的なまとまりがある韻を踏んでいるというよりは、所々で韻を踏んでリズムを整えつつ進んでいるイメージです。

英語は、歌詞のスペルの綴りだけを見た場合、韻を踏んでるのが分かりづらいかもしれません。音で聞くと同じ音だなとわかるけれど、歌詞だけだと音がどこで区切られてるか分からないし、綴りを見ただけでは韻を踏んでるのが気づきづらかったです。

また、たまに、歌手が歌い方で工夫しているように聞こえる箇所もあります。本来しっかり発音すると発音される音だけれど、音の長さを揃えたり、余分な音を小さくしたりして、韻を踏んでる母音を目立たせているというイメージです。

具体例として、Ed Sheeran "Shape of You"は形式的に韻を踏んでいます。メロディも一定のリズム感があり、脚韻の歌い方を揃えているように聴こえるので、曲にあった韻の使い方だなと思います。

また、Vanessa Carlton "A Thousand Miles"は脚韻と頭韻が飾りのように使われています。あまり韻は使われていませんが、歌詞と合わせると韻を多少使いつつまとまりを見せつつも自由な感じがして、逆に韻を踏みすぎないこの状態が合っているな、なんて思います。

中国語

最後に中国語ですが、一回ある音を踏むと一小節文くらいはしばらく綺麗に同じ音の脚韻を入れている曲が多く、全体的な統一感があります。

日本語や英語だと部分的にここの母音を揃えようというのがばらばらある感じだけれど、中国語の場合は「-i」の音で終わったら、しばらく一、ニ小節はずっと「-i」の音で終わるというような感じの曲が多いと感じます。

こんなに韻が踏めるということは、中国語は韻が踏みやすい言語なのだろうなと思います。学生の頃、漢詩では押印を踏むルールがあると習ったことを思い出しますが、古くから伝わる慣習がそのまま残っているのかなと思います。

具体例として、李健「一念一生」は、最初の一括り、歌詞の1番に当たる部分はほぼずっと「-an」の脚韻です。2番は「-o」サビで「-en」「-an」と、かなり統一感があります。(声調は難しいので無視しています)

また、蔡依林 & Jony J「我是誰」は、メインボーカルとラップがあるのですが、メインボーカルがずっと「-ei」に対して、ラップが「-an」多め「-u」「-i」が多少ありつつだったのが、後半で「-i」ばかりになるのが、個人的にお気に入りです。

恐らく、後半はラップがメインボーカルとの掛け合いになるので合わせてるのだと思いますが、ドラマがロマンスということも考慮すると、ここの掛け合いは、二人の思いが通じ合っている状態、とも捉えられるので、合わせて解釈すると深みが出てきて良いなと思います。

ということで、長々と書いてしまいましたが、それぞれの言語の韻の踏み方はこのようなイメージでした。

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