図書館_フリー素材_

図書館の理念を台無しにするネット上の有料記事や電子書籍たち~富裕層による「知」の独占の先にあるもの~

 なんだか最近、このnoteを使って有料記事を売るのが急に流行ってきてるようですね。以前から使ってる者として、あえて苦言を呈したいと思います。

 ずばり言って有料記事ばかりが増えていくのは、貧困層の排除につながり、富裕層による「知」の独占を生み、格差をますます拡大していくものとしか思えません。
 なぜか? ネット上の有料記事や電子書籍は、図書館には所蔵されないからです。

 日本図書館協会が「公立図書館の任務と目標」というページで、こう解説しています。

 日本図書館協会は,1979年の総会において採択した「図書館の自由に関する宣言 1979年改訂」において,「すべての国民は,いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する」こと,そして「この権利を社会的に保障することに責任を負う機関」が図書館であることを表明した。また,「すべての国民は,図書館利用に公平な権利をもっており,人種,信条,性別,年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない」とも述べており,われわれは,これらのことが確実に実現されるよう,図書館サービスの充実に努めなければならない。

 国内で発行された書籍であれば、図書館に頼めば、時間はかかるかもしれないけど、誰でも無料で読むことが出来ます。それこそ国会図書館は日本国内で発行される全ての書籍を収集していますからね。
 必ずしも貸し出される必要はありません。図書館に行きさえすれば、無料でそれらの情報にアクセスできる、これはとても重要な権利です。さきほどの引用に有るように「すべての国民は,いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する」わけで、図書館はその権利擁護に大きな役割を果たしてきました。貧富の差を問わず、時間差は有るかもしれないけど、同様の情報へのアクセス権を守ってきたわけです。
 これは書籍だけでなく、音楽や映画という分野にも及びます。
 立派な活動をされてきたなと、あらためて図書館運営に携わってこられた方々に、尊敬の念をいだきます。

 ところが最近、紙の本が存在せず電子書籍だけという本が増えてきました。こうなると図書館はお手上げです。読みたい者は、無料公開でないかぎり、必ずお金を払わねばならない。
 それ自体はかまいません。筆者にだって生活がありますからね。ですが問題は、紙の書籍のように、無料で読む手段が存在しないことです。
 これはnoteの有料記事も同様です。筆者がその内容を終生無料で公開しないならば、その情報は永遠に有料の世界に囚われ続けることになります。少なくとも、著作権が切れるまでは無料で見る手段は皆無であると言ってもよいでしょう。

 これは大いに問題のある流れだと、自分は思います。今までは曲がりなりにも、お金のない貧困層でも情報にアクセスする権利がありました。ですがこうなってくると、アクセスできなくなります。
「有料記事は100円200円だぞ」と言われるかもしれないけど、ちりも積もれば山です。とてもじゃないが、日々数百円の食費で悩む人が気軽に購読しまくれるものではありません。

 この動きがどういう結果を生むか? 自分は、富裕層による知の独占が強まり、貧困層との格差をますます広げていく要因になるだろうと、考えています。
 インターネットの登場によってそれまでとは比較にならないだけの文章や情報が無料で溢れかえるようになりました。情報爆発などとも言われます。
 これの素晴らしい点は、最低限の経費だけ払えば、はるかに莫大な情報へのアクセス権を得られることにあります。最近では無料wifiも増えてきました。本当に貧乏で貧乏でどうしようもないような人でも、5年10年ぐらい前の型落ちパソコンやスマートフォンを数千円で買い、近くの東京メトロの駅入口に行って、メトロが提供している無料wifiに繋げば、情報にアクセスできるのです。
「端末を買うお金」は、いわば「ちょっと離れた図書館に電車やバスで行く経費」です。それを出せるなら有料記事ぐらい買えというツッコミはまったく筋が通らないことは、これでわかると思います。

 たとえば最近はどの新聞社であっても、ネット配信を行っています。これはたいていは有料のサービスです。asahi.comは以前は全記事無料でしたが、今は文章の頭しか読めず、全文読もうとすれば会員登録が必要、それでも無料で読めるのは一日あたり数記事で、それ以上は有料会員にならなければ、読めません。
 でも今はまだ、図書館に行けば最新の今日の新聞を、無料で読むことが出来ます。
 さて、将来的に朝日新聞が紙媒体の新聞の発行を停止し、電子版だけにしたとします。有料会員登録しないと全部が読めないのが当たり前になるとする。この時、とても毎月数千円の購読費を払えず図書館で読んでいた貧困者は、新聞という情報源から排除されます。新聞記事はお金を出せるものだけの独占情報となってしまうのです。

 この調子で新聞が、書籍が、ブログが、ニュースサイトが、どれもこれも「価値あるものは有料で当たり前」となっていったら、どうなってしまうでしょう?

 これは「最近の老人はネットを使えないために、なんでもかんでもネット化していく情報源から排除されていっている」という問題とは別の話です。それは手段からの阻害であって、目的からの阻害ではありません。もちろん手段からの阻害も対策が必要です。ですが手段を持っていても目的から排除されたら、どうしようもない。しかもそれは、お金を出せる出せないという貧困が関わる、なんとも悲しい次元での話なのです。

 世の中には昔から、有料会員でしか読めない情報というのはいくつも存在していました。企業分析、極秘情報、いろいろあります。ですがここ数日のnote有料記事ブームから感じるのは、ともかくお金になる要素があるならばそれは有料にしないともったいないという考え方です。
「無料だと流し読みされるが、お金を出してまで読んでくれる人は真剣に読もうとしてくれる人だけだ。そういう人に読んで欲しい」などと書いてる人もいますが、では、これまで図書館で無料で借りて読んでいた人は、真剣ではなかったのでしょうか? それはそれでバカにした話だと思います。

 有料化出来るものなら有料化したい。それはクリエイターである以上、誰もが持つ願いでしょう。それは分かります。ですがどうか、そうそう気軽にお金を出せない貧困層、貧しい者たちが情報にアクセスする機会を奪わないで欲しい。
 たとえば一定期間経過後に無料公開するでもいいと思うんです。「1年後に無料にしますけど、それだとこの新鮮な情報は価値がなくなってしまいます」で構いません。それでも、読めないよりははるかにマシです。ゼロとイチでは大違いです。

 このままでは、有料情報にアクセスできる富裕層はますます知識を蓄え、貧困層はそこからはじき出される流れが加速していってしまいます。インターネットの登場で情報の拡大や取得が容易になったかと思いきや、紙の新聞や書籍の発行停止といったことがそう遠くない未来において次々と起きるようになり、結果としてネットの登場が知識の貧富格差を拡大してしまったなんてこともありえなくはないと思います。

 どんなものでも、発売・発表時が一番価値が高く、その後は落ちていきます。ところが電子書籍や有料記事の場合、自然に落ちていかない。クリエイターが自由に決められてしまう。
 これはクリエイターからしたら天国でしょうけど、消費者側からしたら、辛い状況です。まして貧困層にとっては、本当にどうしようもない事態の招来です。有料記事を読みたければがんばって金を稼げ……それはまさに、この日本に覆いかぶさる、悪しき自己責任論の発想そのものです。

 これまでも著者・クリエイターと、図書館の間にはいろいろな衝突があったのは事実でしょう。でも無料で情報にアクセスできる図書館という存在が、国民全体の知識レベルの底上げに寄与していたのは、紛れも無い事実です。
 どうかこの有料記事ブームに乗っかっている方には、この記事で提起した問題を考えていただきたいと思います。

 当然ですがこの記事は無料公開です。noteにはクリエイターの活動を支援するシステムもあります。もしこの文章に「後からでもお金を出す価値があった」と思われる方がいらっしゃいましたら、100円なり下の「サポートする」からカンパいただければ、望外の喜びです。
 お金を出す余裕のある者が出し、出すのが難しい者であっても読める。「寄付文化の無い日本でこういう手法では、クリエイターはお金をもらえない」という主張もわかりますが、自分としては、こういう記事が増えてほしく思います。
 どうぞよろしくお願いします。

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