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 通常弟子入り志願は、寄席や落語会の楽屋口で直訴する形が多い。僕の場合は都が話を通してくれて、直接師匠の住まいがある市川市八幡へ伺う段取りになった。
 都のシナリオによれば、金曜が狙い目。何故かと聞くと、発売されたばかりの競馬新聞を持って機嫌がいいからだと言う。右生師匠に限らず、競馬ファンというのは、次の日のレースは全部当たると信じて疑わない幸せな人達だ。反対に月曜は無口になるか、一日中言い訳をしているかになる。いずれにしろ他人のお願いを聞く余裕はない。
 師匠は京都の大学に進んだのだが、東山の疎水沿いにある「哲学の道」という観光名所近くでアルバイトしていたのだそうだ。そのうち感化され、思索には流れに沿った道が最適だと信じるようになったらしい。寡聞にして予想を「しさく」と読むとは知らなかった。とにかく、金曜日の師匠は駅で新聞を買って葛飾八幡宮に願をかけ、京成電鉄一駅分を歩く。そして鬼越駅近くの「ふわふわベーカリー」に寄り、マドレーヌとコーヒーで過去の(おそらくはハズレた)記憶を蘇らせ検討するそうだ。飲み物が紅茶だったらプルーストモドキである。『失われた金を求めて』の構想中といったところか。まさに「時は金なり」だ。
 落語をおぼえる時、ブツブツ喋りながら歩く噺家は多い。多分すれ違った方々は不気味な想いをされることであろう。業界を代表してお詫びしたい。師匠の場合は競馬の予想も同じわけだ。真間川の遊歩道をひたすらブツブツ歩く。すれ違った方々の感慨も同じだと思われる。一門を代表してお詫びしたい。
「ほら、あそこ」
赤いシートに「無添加・天然酵母」と白く染め抜かれている可愛い店だ。僕の視線に気付いたのか、「師匠は意外と添加物とか気にするのよ」と都が言う。いっとき流行ったロハスってやつか。そのシートの下に、考え込んでいる横顔があった。高座とはいでたちも表情も違う。カウンターで唯一手元が見えない場所を選んでいる。凝視しているのが何か分からない。知らない人相手なら、ビジネスマンで通るだろう。耳に赤エンピツさえ挟んでいなければ。今日日、ドジョウ髭に頬っかむりをして唐草模様の風呂敷包みを背負った泥棒に比肩し得るくらい希少価値のある姿だ。と、突然その赤エンピツを抜き取り、手元の新聞に書き込みを始めた。そして上目遣いでブツブツ(これが初見で初聞だった)言ったあと、配当の計算でも済んだのだろうか、ニヤッと笑った。ただの競馬親父である。
「師匠、おはようございます」
うーん“おはようございます”かぁ。
「先日お話しした兄でございます」
「え、ああ」
師匠は、未練がましく新聞を一瞥してから顔を向けた。
「初めまして。牧村稔と申します。いつも妹がお世話になっております」
「いやいや、こちらこそ。小右女、コーヒーでも」
師匠が立ち上がって千円札を取り出し、奥のテーブル席を示す。都が「ありがとうございます」と受け取ってカウンターに向かう。遠慮などという言葉が入る余地のない、流れるような自然な動きだ。型の文化はここにも及んでいる。
 テーブルへ移動した師匠は、都が帰ってくるまで一言も喋らず、さっきの競馬新聞と同じ眼差しで僕の履歴書を見ていた。赤エンピツで印を付け始めるのではないかと不安になった。もし付けるなら◎にして欲しい。
 我々がコーヒーに口をつけるのを確認すると、師匠が身を乗り出した。
「君はみのる君というのかい」
「はい。稔でございます」
「素晴らしい! 昔イギリスにミノルという馬がいてね、ダービーを勝ったんだよ。それも何と国王の服色、つまり名義でね。二百年を越える長い歴史の中で、国王の馬が勝ったのは一頭だけなんだ。それが日本名だなんて名誉なことじゃないか、うん。妹さんがミヤコでお兄さんがミノル、そして苗字が牧村。実に素晴らしい組み合わせだ。親御さんはタダ者ではないな」
 わが両親がナニ者なのか定かではないが、とりあえず競馬マニアではない。
「カナダに住んでたのか……ノーザダンサーのふるさとだ……ミノル君、ノーザンダンサーって知ってる? 」
「いえ」
「二十世紀最高の種牡馬だな。お蔭で、ナントカダンサーだとかダンスナニナニだとかの名前が世界中に氾濫している。由来は日本語なんだよ。彼の曾々お祖母ちゃんの名前がミヤコなんだ。それでね、ミヤコが日本の女性名だからか、娘はゲイシャと名付けられた。芸者さんは土着……って言葉は雅じゃないな、そう、昔からの踊り子だろうってんで、その息子がネイティヴダンサー。ほらっ、あのオグリキャップの父方のお祖父ちゃんだよ」
「そうですか、オグリキャップの」
「知ってるの? 」
「はい。自称競馬通の知人がおりまして、三流血統なのにエリートを蹴散らして活躍したとか……(あれ、顔色が変わった)まぁ……そんな風に崇拝してまして……」
「う~ん、そう信じてる人が多いんだよ。話としては面白いからね。一般の方はいいよ、でも、自称競馬通で冗談じゃなくそんなこと言ってる人がいるとしたら、失礼だけどサラブレッドとホルスタインの区別がつかないレベルだな」
「はあ……サラブレッドとホルスタイン……」
「オグリキャップは良血だよ、名血と言ってもいい。それも世界的なね。色々細かく言いたいところはあるけれど、とにかく、あの時代に現役で走っていたネイティヴダンサーの息子を経由した孫ってだけでも貴重だよ……。そして、同じ馬の娘を経由した孫がノーザンダンサー。カナダ生まれだからノーザンになったんだろうな、北国の踊り子ってところだ。……北国と言えば、ミヤコもゲイシャも色白だったらしい」
人間のミヤコが「また始まった」と、微笑の下に漂わせている。
 師匠の恍惚とした視線が、しばし時空を超える。やがておもむろに履歴書を封筒に戻し、改めて僕を見た。
「これは競馬を離れても、芸人には大事な点だ。他にもモノ書きだとか、何かを表現する商売にはね。売りやすい形を頭から信じちゃう、オブリキャップが三流血統からのし上がったと、だからロマンなんだと信じちゃう人は、少なくとも噺家には向かないな。……ときに、何でまた噺家なんぞになろうと思ったんだい? 前から好きだったの? 」
「いえ、正直申しまして、よく知りませんでした。妹が落語家になってから興味をもちました。これは失礼かも知れませんが、仕事として自分に向いているのではないかと思いました。やってみたいと思いました」
「ふ~ん、別に失礼じゃあないよ。仕事として向くのは一番だ。よく落語を聞いて“雷にうたれました! ”なんて奴が弟子入りに来るらしいが、そんな避雷針か電気ウナギみたいな奴、俺には合わないな。例えば、ほら」
師匠が店の奥を示した。
「いい顔して働いてんだろう。この店はハンデキャップを持った人がたくさん働いてる。彼らがみんなパン屋さんに憧れてた訳じゃないと思うよ。でもあんないい顔でこんなにうまいマドレーヌを焼いてる。それが大事なんじゃないかな。もちろん経営者や先輩、同僚の人達の尽力は言うまでもないけどね」
そう言うと残っていたパンを頬張って、コーヒーを口に運んだ。
「才能の量は皆同じ。種類や見え方が様々なだけだ。我々は単に多数派に過ぎない」
 ただの競馬親父だと思った自分を恥じた。
「だいたいハンデってのは、能力の高いほうが重くなるものなんだ、人間もサラブレッドもね。そうそう、君は競馬はやるのかい? 」
そこから来たか。どこかからは来るだろうと都が言っていた。
「はい。少しですが」
「向こうでも観たことある? 」
「カナダでは観られませんでしたが、ずっと前の学生の頃、アメリカの競馬場に行ったことがあります」
「ほう。どこ? 何ていうところ? 」
「はい。ロサンゼルスの、えーと、サンタ何とかと言ったように思います」
「サンタ……サンタ・アニタかい? 」
「あ、はい。そんな名前でした」
「すごいじゃないか。世界一きれいだなんて声もある競馬場だ。こう、借景になっててね。うん、そうか。で、レースは覚えてる? 」
「はい。たまたま観たのが大きいレースだったらしくて、それがマグレで当たったものですから、かすかに記憶があります」
「へえー。馬の名前はわかるかい? 」
「はい。えーと、……有名な歌のタイトルに似てたような気がします」
「お兄ちゃん、誰の歌? 」
「誰だっけな……そうだ、サイモンとガーファンクル」
「サイモンとガーファンクル? じゃあねぇ、スカボローフェア? 」
「昔ゲインズボローという馬がいたけど古すぎるな」
師匠が解説を入れる。
「ミセスロビンソン? 」
「ミスタープロスペクター、ってのはいたけどミセスは聞いたことないな」
「ボクサー? 」
「そりゃ犬だ」
「明日に掛ける橋? 」
「……」
そんな馬はいない。
「サウンドオブサイレンス? 」
「あ、それ。そんな名前でした。なんとかサイレンス」
「まさか! サンデーサイレンス? 」
「あ、そうです。土曜日なのにサンデーが勝っちゃったね、なんて話したのを思い出しました」
「サンデーサイレンスかぁ。じゃあレースはサンタアニタダービーだな。ブッ千切った時だ。あれを観てたのか。運がいいなぁ。で、名前がミノル。君はよほどダービーに縁があるようだね。うん、きっと初夏の生まれだろう? ズバリ、日本ダービーのある五月! 」
どうやら、履歴書はまともに読まなかったらしい。残念ながら僕は秋の生まれである。だから稔なのだ。やっぱり、ただの競馬親父であった。
 とにもかくにも、ミノルという見ず知らずの馬のお陰で弟子入りが許され、「あに太」という名前をもらった。周囲の人には「小右女さんの兄だから」と信じられているが、僕は“サンタ・アニタ”から名付けられたのを知っている。
 ところで、前座修行というと、師匠の付き人として一緒に行動していると思われがちだ。他の地域や団体はともかく、僕らの協会は違う。自分の師匠が出ていようがいまいが、毎日寄席に通勤するのだ。都内には上野・新宿・浅草・池袋と民間が四つ、そこで出演者にお茶を出したり着物を畳んだりの雑用をする。各寄席が昼席と夜席に分かれ、それぞれ必要人数が割り振られている。それから、どういうわけか最高裁判所の隣に建っている国立演芸場でも寄席形式の興行をする期間がある。たまに他所で仕事があって抜ける時には、昼と夜で替わってもらったり、誰かに両方やってもらったりして調整する。原則的に寄席は休まないので、当然前座は休日が無い。どうしても濃い人間関係が続く。
 実は、しきたりが古くて厳しいと言われている業界ほど案外フランクな上下関係なのではないかと、体育会系が苦手な僕は密かに期待していたのだ。台風の目の中は無風だっていうし。で、入ってみたら……暴風雨だった。台風の目どころか、自分の目も開けていられなかった。ストレスが溜まれば軋轢も生まれる。その時代は思い出したくないから、冗談でも口にしない。ここでも書かない。
 三年半ほどして二ッ目に昇進。これは本当に嬉しい! が、本当に嬉しいのは昇進じゃなく前座脱出で、それを寿ぎ右女太(うめた)と改名した。
 噺家の名前に決まりはない。前座名みたいとか、真打名っぽいとかいう漠然とした括りはあるけれど、ずっと同じ人も結構いる。前座時代にそれなりの名前をもらっているか、前座名で売れた場合などだ。
 それぞれの一門や亭号で芸名に格があって、我が鳩巣亭なら、師匠が使っている右生が一番上だ。三遊亭圓生と同門でけっこう由緒があり、江戸落語中興の祖と言われた烏亭焉馬に連なる。烏焉を芸名にする辺りは、枕流漱石から筆名を取った夏目金之助氏に通じるかも知れない。兄弟子の圓生が焉に笑うの焉笑が始まりだったので、うちの初代は烏が笑う烏笑、亭号を下に使うのは気が差すのか右生としたようだ。落語黎明期はまだ業界の形態が固まっておらず、師弟で亭号が違うのも珍しくない。おそらく、同じトリでも粗末な住まいの喩えとしての鳩の巣。巣は亭と重複するが、烏(からす)つまり空巣より下という洒落であろう。そういえば、江戸の中期には室鳩巣なんて学者もいた。
 不思議と昔から横に広がらない一門で、師匠の師匠(大師匠と呼ぶ)を含めて四人しかいない。本来ならその大師匠が右生を名乗るべきなのだろうが、師匠が真打になった時に譲り、右平と改名していた。大師匠曰く「襲名披露を改めてやると金がかかるからな」。その発想、リベラルな感覚が鳩巣亭の持ち味である。僕が入門したのも運命だったと思う。そんな大師匠だからか、若手みたいな軽さを持つ「うへい」がよく似合っている。
 現実の家族同様に孫というのは可愛いものらしく、都が入門した時、大師匠は大層喜んで、自ら考案した名前「小右女」を初孫弟子に贈った。もちろん僕も可愛がって頂いている。「右女太が真打になる時には、あんな競馬ばかりやっている奴から右生を取り上げてやる」と言って下さった。ちなみに、大師匠はパチンコばかりやっている。
 前座の頃、一門が小さいと仕事が少なくて大変だろう、と同情してくれる先輩もいた。一門で代々引き継がれる仕事が結構あるからだ。確かに仕事は多くない、でも幸せである。僕はもちろん、たぶん都も、師匠のところに入ったのを悔やんだことは一度もない。ましてや、こうして仮初めにも二ッ目として独り立ちしたとなれば、仕事云々は自分の責任だ。
 その仕事、落語を喋る場は大きく分けて二つ。さっき紹介した定席と呼ばれて一年中落語が聴ける寄席と、ホール落語と呼ばれる貸席を使って催される落語会だ。地方の「○○市民会館」や「△△文化ホール」等で行われる際に、土地の名を冠して「○○寄席」と呼ばれることも多いが、業界内で寄席と言う時は前者の定席を指す。名称はどうでも、単発の落語会はどうしたって週末に集中する。平日にやるとしたら夜だ。そのせいで、噺家なんてのはいつもごろごろしているらしいとか、遊んでても食えるものらしいとか思っている方がいらっしゃるやに聞く。前者は○で後者は×である。食べる分だけは働かなくちゃならないのは世の定めだ。
 これからお届けするのは、ごろごろしているがゆえに、朝から晩までさほど興味がなく縁はまったくない選挙の情報に浸かり、自分の生活の心配をしつつも、すっかり国会通になってしまった、あの夏の出来事である。

 電話が鳴った。
「はい。ダヴネストでございます」
「感心、感心。ちゃんと出たわね」
「何だ、お前か、携帯にかけろよ」
「たまには固定電話も鳴らさないと可哀そうでしょ」
都であった。
 僕が入門すると、都は、住んでいた市川真間の部屋を僕に譲って引っ越して行った。修行中は師匠の自宅へ日参するので近くに住む者が多い。師匠も前座時代は大師匠が東十条にいる関係で中十条にいたという。そのまま住み続ける者が多い中、県境を越えて引っ越した理由は、本人曰く「寄席通いに便利だから」。確かに、京成線で上野鈴本演芸場と(都営浅草線経由で)浅草演芸ホールに一本、都営新宿線で末廣亭に一本、池袋へも日暮里乗換えですぐだ。
 しかし大師匠が言うには、「本当に寄席のためなら十条で充分。あいつは競馬場のために引っ越したんだ」そうである。関東の競馬は東京(府中)と中山の交互開催。府中へは都営新宿線から京王線へそのまま乗り継げるし、中山にいたっては徒歩圏内である。オケラ街道を通り只で自宅へ帰れる環境が幸か不幸かは難しいところだが、便利であるのは間違いなかろう。地方競馬なら、大井と船橋が同じ境遇になる。市川に隣接する船橋は、競馬場が二つ(中央競馬&地方競馬)存在する全国唯一の市なのだ。加えて、白井市には日本中央競馬会の競馬学校がある。
 師匠の動機はいずれにしろ、毎朝師匠宅へ伺い寄席へ通う身にとって、真間は申し分がない。師匠が不自然なほど力説するように電車の便はいいし、古刹に続く万葉からの細い道、商店街、足を伸ばせば公園と河川敷(声を出して稽古できるスペースは貴重)に銭湯まであって、噺家の卵には相応しい環境だ。なんたって散歩コースに、歌川広重の「名所江戸百景」に描かれた場所が二つもある。元・噺家見習いだった朝寝坊夢之助こと永井荷風が暮らし、日々歩いたのもこの界隈と聞く。だから不満はない。不満はないが不審はあった。この時に限って都がやけに熱心だったのだ。諸手続きまで代行してくれた。先輩としての意識に目覚めたか、二十数年分の感謝のしるしか、素直に嬉しかった。と、同時にその二十数年の経験が“そんな筈はない”と囁くのである。
 そう、そんな筈はなかった。都は谷中のマンションに移り「やっぱり谷根千ね~」と事あるごとにのたまっている(遺伝だ)。ミーハーなだけであった。以前から計画していたと思われる。しかしそこに問題が一つ。名前だけ立ち上げていた事務所、『ダヴネスト(鳩の巣)』の住所がここになっているのだ。実際の業務は殆ど携帯とパソコンで済んでしまうけれど、所在地を変更するとなれば連絡しない訳にはいかない。張り切ってダイレクトメールなど出していた時期があり、その手間もバカにならない。かくして僕がまんまと捕まったのだ。もっとも本人は頑なに否定し、「鳩の巣は八幡宮の近くにあってこそ御利益があるのよ。八幡様のお遣い姫は鳩なんだから」と言って譲らない。では、それを亭号にしている本人が出て行くのはどういう訳なんだ? には黙秘権を行使し続けている。辻褄の合わない理論も、やはり遺伝に違いない。同じ因子を持っている僕には分かる。結局うやむやなまま、「電話がかかってきたら、ダヴネストでございます、って出るのよ」、と言い残して去った。
「お兄ちゃん、来月の二十二日あいてるでしょ? 」
「なんだよ、あいてるでしょ? ってのは」
「あいてないの? 」
「あいてる」
「素直じゃないなぁ。仕事だよ、それも落語の」
「ホント? 」
噺家が落語の仕事で驚いてちゃいけない。
「お寺で昼夜の二回公演だよ、施餓鬼法要ってやつ。すごいでしょ。まぁ井山さんに紹介してもらったんだけどね」
「あのヤロー、俺に直接くれればいいのに」
「何言ってんのよ。美人落語家競演だから仕事になるんじゃない」
「ハイハイ、お供できて光栄です。じゃあベニーちゃんも一緒なんだな」
「そう。じゃ詳しい話は明日。お兄ちゃん打ち上げ行くでしょ? あ、そうだ、代演ヨロシクね」
「ああ。でも、どうしようかと思ってるんだ。楽日(らく)だけ行って打ち上げってのはさ」
「大丈夫だよ。師匠だっているんだし、ベニーはそのつもりで人数に入れてたわよ」
 定席の寄席は十日毎の興行で、我々のような二ッ目は二人で五日づつの交互出演になる。主任を務める(トリをとると言う)師匠の弟子がいれば優先される。ちなみに「トリ」という言葉は紅白歌合戦をはじめ世間一般で使われているが、元々は寄席用語。主任という字を充てることもあるし、真打をトリと読むこともあって、寄席内で「しんうち」と言えば、それは階級ではなく、最後に高座へ上がるトリを指す。また、寄席興行を内輪では芝居と呼び、トリの名前を付けて「○○師匠の芝居」という風に使う。それくらい大事な役目であり尊重されているのだ。
 その代わりと言ってはなんだけれど、打ち上げをする場合には主催者となり勘定を持つことになる。初日か楽日(千秋楽)、両方やるのも珍しくない。ただし、寄席の掛け持ちもあるから出演者全員が参加するのは無理で、気の合う数人と若手、前座、それからお囃子(三味線)のお師匠さん(おっしょさんと発音する)、といったメンバー構成になる。
 毎月一日から十日までを上席、十一日から二十日までを中席、二十一日から三十日までを下席と呼ぶ。三十一日は余一(よいち)といって特別興行がかかる。
 明日が楽日の上野七月上席は紅作師匠が主任、我々は略して“七上(しちかみ)の紅作芝居”と表現する。紅作師匠には、今のところベニーしか弟子がいない。そういった場合、もう一人は一門から選ばれることが多いのだけれど、いつも同期で同じ女流の都にお呼びがかかる。きっと、仲がいいのを知っている紅作師匠が指名してくれているのだろう。それなのに明日は二人の仕事が重なってしまい、都の一日分を僕が代演することになったのだ。もっとも同じ落語会に出るのだから重なるのは当然で、その代わりに僕が行くのも何度かあった形である。
 その「名花大集合」とかいう女流の会が終った後で、打ち上げには合流するようだ。ご想像の通り、打ち上げの幹事は弟子が務める。現場での実働は前座だから、一日だけ出演して打ち上げに参加する僕の立場は相当オイシイのだ。多少遠慮する姿勢も見せておかねばなるまい。が、実は最初から行くつもりだった。紅作師匠は自分が酒好きなせいか、後輩が呑むのも喜んでくれる。それに、うちの師匠が参加するとなれば不自然でもないだろう。
 それぞれの師匠によって、打ち上げにも好みの店がある。ビール党の紅作師匠のお気に入りはジャグ(ピッチャー)でビールを出す処だから、だいたいビールの専門店、もしくは自信のある店が多い。だから余計に楽しみである。しかしベニーによると、なにも味にウルサイからではなく、単にお替りするのが面倒臭いのだそうだ。目の前にビールが無くなると切なくなるからで、仮に中身が発泡酒でも気が付かないのではなかろうか、と言っていた。呑気なビール党もあったものだ。
 その日の会場も欧州系のパブだった。大きなテーブルがなく、幾つかに分かれてそれぞれ勝手に呑んでいる。トリの紅作師匠もその中の一人にすぎない。その軟らかさが人気のある理由であろう。我々のテーブルは、前座二人とお囃子のお師匠さん、都とベニー。立場上お囃子さんと僕以外は忙しく、なんのことはない、三味線のお師匠さんとデートに来たようなものだ。快適、快適。
 その環境に落ち着いたところで都が戻ってきて、僕たちの間に割って入る。相変わらず気の利かない奴だ。
「お兄ちゃん、顔がゆるんでるわよ」
耳元で言う。この芝居のお囃子さんは、シングルマザーでちょっとなまめかしい、ナミさんなのだ。
 ベニーは師匠方のテーブルにいる。都は前座を強引に話に引き込み、さり気なくナミさんの相手にすると、改めて僕に向かい「仕事の話! 」と言った。う~ん、いいところだったのになぁ。まぁ仕事とあらば是非もない。
「あのねぇ、昼が一時間で夜が二時間。去年までは昼だけだったからさ、二人で行ってたんだ。今年はほらっ、落語ブームでしょ。で、宿坊のあるお寺で夜も、ってなったらしいわよ」
「落語ブームねぇ。どこに来てんだか」
「でさ、子別れ演って欲しいんだって」
 子別れとは、古典落語総選挙でもやればおそらく一位になるであろう人気演目、涙あり笑いありの大作だ。上中下と区切り、上を「強飯の女郎(じょうろ)買い」、中を「子別れ」、下を「子は鎹」と呼ぶ場合もある。中だけで高座にかかることはないから、一般に「子別れ」と言うと、全編もしくは一番盛り上がる下を指す。寄席でかかるのは殆ど下だ。
「ああ、こないだ襲名披露の中継でやってたせいかな。テレビの力ってのはは大きいね。お前やればいいじゃん」
「そこ。リレーでやろうかと思ってるのよ。で、お兄ちゃんに上やってもらいたいんだ。たしか持ってたわよね? ベニーが下。私が中、ってわけ」
「なるほど、お前は働かない女のとこか」
「何でそういう言い方するかな、まったく。……もう一席は、私がお菊の皿やるからさ、お兄ちゃん何か考えて」
「ベニーちゃんは? 」
「色物さんの代わりに踊り教室やるのよ」
 色物さんは、たまに際物と混同されてネガティヴな方向で使われるが悪い意味はない。寄席で落語や噺家が黒で書かれるのに対し、曲芸や紙切りや手品や三味線俗曲などそれ以外が朱で書かれるところから言う。お客さんの関心を変え空気を入れ替えて集中力をリセットさせる大事な役目で、落語よりウケたりする。ちなみに際物も悪い言葉ではない。
「ふーん。何やろうかな」
「季節もので夜の噺がいいわね。お兄ちゃん夏泥持ってるっけ? 」
「持ってない」
「たがやは? 」
「持ってない」
「どっちかやりなさいよ、気が利かないんだから」
「(それはお前だ)乱暴だなぁ。夏で夜だと……宮戸川くらいか」
「宮戸川、ああ、いいかも。いいよ、それ。ブームの影響で若い女の子が来てくれるかも知れないもんね、恋愛モノもいれとかないと。小さい子は昼のほうで夜はいないでしょ。じゃあ決まり。お菊の皿、宮戸川、踊り教室で仲入り。それから子別れの通し、と」
 落語というのは一席だと面白さが伝わらないものだ。例えば、はじめに前座さんが上がって全然ウケなかったとする。その後に真打が出てきてウケる。それを見ていた人が「じゃあ師匠だけ来てたっぷりやってよ」と依頼をしがち。しかし、ウケなかった前座の存在が大事なのである。ましてや、複数の一座で行く場合には、いま都が言ったように、季節や状況に合わせつつも毛色の違った落語を組み合わせ、またお客さんにリフレッシュしてもらうため色物さん的役割を加える。明るい怪談もどきに恋愛もどき、踊りのワークショップがあって初めて人情噺「子別れ」が活きるのだ。時間にしてトリネタが全体の半分くらい。まぁ妥当な線であろう。
「ところで、昼はどうしよう? 私がトリで厩火事、ベニーが転失気なの」
「ああ、お寺モノか。だからって、その次に錦の袈裟ってわけにはいかないだろ? 」
「まぁそうね。昼は子供さんも多いだろうし、吉原の花魁の噺はねぇ。ご住職が堅い人だったら袈裟をふんどしに、ってのもちょっと、ね」
「じゃ、真田小僧は? 門前の小僧習わぬ経を読む、なんてマクラ振ってさ。それに施餓鬼法要なんだろ? あの噺だって、結局倅に小遣い巻き上げられるんだから、ガキに施すようなもんじゃねえか」
「あら、芸人みたいなこと言うじゃない。でも面白いかも。そうしよっか。じゃあ昼は転失気、真田小僧……時間あるから、サゲまでやってよね。それから厩火事。……そうそう、井山さんも一緒に行くんだって、取材で」
「そんなこったろうと思った」
 井山というのは僕の学生時代の後輩で新聞社に勤めている。都に気がある変わり者だ。彫りの深いそこそこの男前で結構モテるのだから他にいくらでもと思うのだが、そんな濃い顔立ちだからこそ、平安系に惹かれるのであろうか。
 都とベニーが二ッ目になった時は文化部にいて、「落語界も女性の時代」などと、写真入りの記事を載せてくれたのだそうだ。活字、特に新聞はまだまだ信用があり、随分と仕事の問い合わせが来たという。都も若い頃は「いかにも女たらしって感じ」と言っていた筈だが、それ以来「昔からダンディでしたよね」、なんて愛想がいい。
 げに恐ろしきは女である。

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商売半畳!ダヴネスト探偵局

噺家兄妹のライト文芸。骨髄バンクに登録していた兄のデータが合致して骨髄提供に臨む第三弾、不定期連載スタート!
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