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#コロナが怖いんじゃないんだ 妖精ならドレス? MOAI レター10

2020年4月28日火曜日 羊の毛のような柔らかそうな雲が東から西へゆっくり流れている。今日は静かな日だ。鳥が鳴いていない。牧歌的な雰囲気だ。

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7:22 僕はテレビを見ている。同郷生まれの堀純キャスターが、今日もコロナについて報道している。ほんと、嘆かわしいことですよねー、と言う。僕はコーヒーを片手に黙って聞いている。妖精のMOAIは娘たちとドレスの試着をしている。

「この洋服ね、昨日ママに買ってもらったんだ。たくさんあるでしょ。100均にいっぱいあったんだって。素敵でしょ」と4歳の娘は一生懸命MOAIに喜びを伝えようとする。

「と、とってもこ、幸運だ。な、なかなかみ、みかけない。こ、こんなす、素敵など、ドレス」

「でしょ~。MOAIにはこれが似合うよ」

「は、はでじゃないかな」

「やーだ。こ、これを着てくだしゃい」と4歳の娘はMOAIに服を押し付ける。

長女が「そんなこと言ったら、もう遊ばない。かわいそうじゃんMOAIがさ」と妹に言う。

「あ、ありがとう。M、MOAI。き、着るよ。ぜ、全部。だ、だから、な、仲良く遊ぼう」

MOAIはドレスで着飾り、リカちゃんは床に裸にされて転がっていた。

"(-""-)"

僕はテレビに集中する。

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7:32 「嘆かわしい―ことですね。なんとかなりませんか」と堀潤キャスターが発言する。コロナ差別についての報道に反応したのだ。

徳島県では県外からの車にあおり運転をしている人がいた。高円寺のカフェ&ダイニングでは、無観客Live配信後、シャッターに二度とするな、と警告の張り紙が貼られた。三重県では、コロナに感染した家族が誹謗中傷をあび、投石された。島根のある会社では、大阪から来ている社員の周りにビニールでバリアをしろ、と上司が指示を出した。

僕はコーヒーを口に含み、舌の上に何度か転がす。生ぬるい温度を口内で案じると、喉の奥に流し込んだ。喉から胃にかけて落ちていくのを感じていた。僕は、テレビを切り携帯で検索をする。

カナダのファッションブランド「ルルレモン」でコウモリをモチーフにしたアジア人種への差別的なTシャツを掲載したリンクをInstagramに投稿した。中国の広州で新型コロナウイルス感染症に伴うアフリカ系住民に対する差別が横行して、アメリカメディアがそれを取り上げ記事にしていた。ニューヨーク地下鉄の車両内で、黒人男性がアジア人男性に対し、除菌スプレーを吹きかけたのがYouTubeにアップされて再生されている。アメリカの人種別死者の構成で、アフリカ系アメリカ人の比率が高いと統計データが公表されたとtwitterでツイートされている。米政府の公衆医療政策のトップにあたる公衆衛生長官は「まったく驚かない。人種間の経済格差が浮き彫りだ」と話し、TVで世界に配信されている。

それから僕はひとりごちる。アマゾンの奥地でカラフルな蝶が羽ばたく。すると大きなフィジーのヤシの実が落ちる。フィジーのヤシの実が落ちると、モンゴルの馬が草原を駆け回る。モンゴルの馬が草原を駆け回ると、南極のアザラシが海に飛び込む。アザラシが海に飛び込むと……ets。

誰かが誰かを虐げ、誰が、誰かに虐げられている。どこにいても、どのグループでも安全な場所なんてない。僕らは各自で専用のシェルターを掘るしかないのだ。エッセ、エッセと一人一人がシェルターを掘って、身をすくめて暗い穴の中でじっと動かないでいるのだ。セミの幼虫のように土の中でただ時をまつしかない。

僕は浴室に移動して、服を着たまま空のバスタブに身をうずめてからイヤホンをして、音楽を聴いてこっち側の世界を完全に遮断する。それから妖精のMOAIの本?の続きを読み始める。

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 MOAIがくれた「本」?について        
     

       タイトル 【才能と情熱を開花させる】   

≪コーチングとティーチング≫
今の時代は刻々と変化している。答えのない課題に対して柔軟に対応していかなければならない。これまでの単純な経験が役に立つ時代ではない。むしろその過去の成功体験が重荷になっているケースもおおい。アマゾンのCEOジョフ・ベゾスは、犬の1年が人間の7年に相当することにかけて、「インターネットの世界の7週間が、現実世界の7年に相当する」と言った。それほどまでに世界のスピードは速い。そのためにも部下の才能と能力を引き出す必要がある。まさに総力戦。  


VUCA時代ともいわれる現在。変動性・不確実性・複雑性・曖昧な時代。IT技術の進歩はめまぐるしく、既存ビジネスモデルが崩壊し混乱するかたわら、新市場を創出するビジネスモデルが次々に勃興している。新陳代謝は日を追うことに激しさを増している。だからこそ、各個人の才能と能力を活かさすことがより重要性を増している。

かつて、松下幸之助は著書のなかでこう語っている。

“企業経営の場合、困難を打開し、新たな発展を求めていくための道はどこにあるか、大事な点はいろいろある。製造面、技術面、販売と貸金の面、それぞれに大切である。しかし、それらの中心をなすものは何かというと、それはやはり”人“である。なんといっても人である。
物があるとかないとかいうことも、それはそれで大切である。しかし、物がいくらあっても、それを十分に活かせるかどうかは、すべて人次第である。人次第でどうにでもなる。いくらたくさん物だけあっても、それを活かせない人ばかりがいたのでは、その物はなきに等しいし、むしろ場合によっては、そのことがマイナスになりかねない。これは自明の理である。技術もしかり、金もしかり、すべて、人が中心だといえよう。
それだけに、企業にとっては、人材の育成ということが大切になってくる。“企業は人なり”ということがよく言われるが、まさに、人を育て、その人を十分に活かしていくことが、企業経営の第一の要諦といえるのではなかろうか。“
     「人を活かす経営」著:松下幸之助 2006年 PHP研究所

人を活かすも殺すも人しだい、と言われる。その重責を担うのは直属のマネージャーたちだ。

活かすためはどうすべきか。ほんとうに優秀なマネージャーに必需な具体的技術とはなにか。それは「コーチング技術」と「ティーチング技術」だ。この2つはどちらか一方ではだめで、両輪だと思っていただいたほうがよい。使い分けているということである。

「マネージメントの穴」とは自らの経験則が最も優れている、と信じ込み、だれかれにも教え込もうとする点にある。これを「ティーチング」と呼ぶ。ティーチングとは教師が生徒に教えるような関係のことだ。

ただ、ティーチングだけでは補えきれない。ここでコーチングが必要となる。コーチングの優れている点は、自ら考え、前向きに行動させることができる。

この2つの手法を用いることで、抱えているメンバーが育たない、ということが解消される。「才能と能力を発揮しよう」とメンバーは奮起し、深い信頼関係が結ばれる。

ティーチングの最たるものは学校教育を想像していただくのがわかりやすい。教師がもっている知識や技術や経験を伝える手法であり、効率的に指導できることが最大のメリットである。一度に大勢を教えることや、まだ自分では経験がなく考えることができない初期段階においては非常に有効的である。

教える側は体系的な指導が必要ではあるが、画一的に指導できるため、心理的不安が少なくすむ。向いているものとしては、社内ルール統一・コンプライアンス遵守・緊急性の高い場面(クレームなど)・基本的知識の伝達である。

しかしデメリット面がある。学ぶ側は受け身となりやすいため、学習意欲や労働意欲の面においては個人間のばらつきがでる傾向にある。また、教える側は学ぶ側を「できた」「できない」という観点で評価をする。相対的な優劣をつけ判断をする。できない人に対して教える側の不満も蓄積され、それを感じた学ぶ側は自分の情けなさや惨めさを感じ、萎縮する。

ティーチングとは「答え」をもつ教える側が、学ぶ側に伝える「一方通行」の指導法なのだ。

 一方、コーチングはどうであろうか。コーチングは第一に時間がかかる。そのため、ティーチングとはことなり緊急性が必要な場面や社内ルールなどの統一の際には不向きである。

しかし、学習・労働意欲の上昇には向いている。また、一定程度の技術を身につけた将来の幹部候補などの従業員への指導という点においても非常に優れている。一度、優秀なコーチングを受けた部下は問題への対処の仕方や克服方法、困難な場面に出くわした際に乗り越えようとする前向きな行動をとる傾向が見られるのが特徴だ。

ずプレゼンテーション1

なぜコーチングはそのようなことが可能なのか。

なぜなら教える側と学ぶ側の「コミュニケーション」を重要視しているからである。イメージするなら、教える側と学ぶ側が相対しているのではない。コーチングの場合は、ひとつの黒板をともに眺めているのだ。対立ではなく、寄り添いこそがコーチングのポジションである。

そのため、コーチングではアドバイスではなく、問いかけが重要である。自ら考えさえ、気づきを与えていく。時間を要するがコーチは様々なものの見方を「問いかけ」という形で伝えていく。

結果、教えられる側であるはずの部下が、自発的に能動的に考えることができるようになるように支援する。

マトリクス 横軸:意欲×縦軸:知識(技術)
1、 意欲に対しての上下はコーチングにより改善
2、 知識(技術)に関してはティーチングにより改善

ず2プレゼンテーション

 図2 コーチングの基本 鈴木 義幸(監修) コーチ・エイ(著)より抜粋

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妖精のMOAIが現れる。「ど、どうかな」青いドレスを着ている。胸に大きなリボンがついて周りには白いレースが施されたドレスだ。

「どうしてそんなドレスを着てるんだい?」と僕はバスタブにから体を出さないようにMOAIを見上げる。「MOAIのじゃない」

「き、きみとお、同じさ」MOAIはまるで戦時中のスパイみたいに、周りを見回してから、口を手のひらで隠し、そして耳元でささやいた。「お、おそれてるんだ。き、きみも同じだろ」

僕はまだ自分自身のことがよくわからなかった。成熟には程遠い不完全な途上にいた。でもどうやって成熟すればいいのかわからない。無声映画の俳優みたいに僕は無言で頭を抱える。それから姿勢を崩してうずくまる。

娘たちがこちらの側に向かってくる足音がする。MOAIがバスタブの扉を閉め、カギをまわす。それから素早くシャワーをだす。洗い流してるんだ、こっちで遊ぼう、と言って浴室から娘たちを遠ざけていくのが耳に入ってくる。シャワーが僕の全身を打つ。バスタブに水がたまり始める。でも、と思う。洗い流せるのは見えないコロナだけだ。本当に怖いものは滓のように僕のココロに積もっている。

遠くのほうでMOAIが娘たちと話しているのが耳に入ってくる。「か、かわいい、き、君たちにぷ、プレゼント。よ、四葉のクローバーさ。幸運をもたらしてくれる」

長女の声だ。「学校にいっぱいあるよ。ウチ知ってる。まだ小さいときに踏みつけられると、四つになるんだって」

「こ、これをプレゼントすればいい。た、大切な人に。ほ、ほら君たちの……」

「ママにあげる!」と4歳の娘が叫ぶ。「ウチもママにあげる!」長女の声だ。

僕はバスタブの中でほほ笑む。

今度、四葉のクローバーを探しに行こう。大切な人にプレゼントするために。

 マル秘:妖精の生態報告5、「妖精だからってドレスが似合うわけではない!」

※4月28日は四葉のクローバーの日です。

※日本赤十字社のアニメ【コロナの次にやってくるもの】を応援します。








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