褒められたいという気持ちはいったん捨ててみようと思った話

いまさらながらnoteを始めてみようと思います。久々に個人的な独白を綴る場所が欲しいと思ったのと、それまではそういったことはFacebookに書いてきましたが、いいね!欲しさに意識の高いことを書いてしまいがちなので、少し離れてみようかと。でもやっぱりSNSなど介していろんな人に読んでもらいたいという欲も捨てきれないので、それらを総合してnoteという媒体を選んでみました。関係ないけど、cakes/noteを運営している加藤貞顕さんはジャケットが似合うジェントルメンです。

褒められたいと思って生きてきた

思い返せば小学生のころ、次の時間が体育でみんな体操着に着替えているのに、なんとなく着替えるのが遅くて授業に遅れる子どもでした。今も集団行動は苦手です。

そんな僕ですが、「集団のなかで認められたい」「社会に認められたい」「異性にモテたい」という気持ちは人一倍強く、僕は努力をしました。

22歳の時にフリーランスのライター業で食べていくことを決心し、26歳の時に自分の会社を作って著書も出しました。若いときはお金がなくてひもじい思いをしましたが、もうお金に困ることもありません。僕には6人の部下がいます。社会は案外、肩書きやメンツでできているので、僕はそれなりの立場を得たことになります。そういうわけで、僕はこれまでの人生、社会的な承認を得るために、つまり誰かに褒められたくて生きてきたわけですね。

仕事を請けるときは、正直な話、自分がやりたい仕事だとかは考えませんでした。少しでも自分の価値を高める仕事、お金になる仕事を優先してきました。

僕は心底あなたに褒めてもらいたかった。独白すると、まだ誰かに褒められたいという気持ちは抜けていません。でも、それだけではダメだと最近は思っています。

好きなことをしているとき、人は努力を意識しない

スポーツ選手をメディアで取り上げる際、昔は「厳しい親とコーチの間で血のにじむような努力をし…」といったことが美談として語られる光景をよくみていた気がします。今、世界で活躍しているスポーツ選手は、「気持ちいい!」じゃないですが、好きでその競技に打ち込んでいるという選手が多い気がします。そういう選手が増えたのか、メディアの取り上げられ方が変わったのかはよくわかりません。僕はそれはとてもいいことだと思っています。

天性の人というのは、好きがゆえに努力している人が多いです。努力はしていますが、努力を苦労だと思っていないわけですね。誰かに褒められたいという気持ちだけである程度の社会的なステイタスを勝ち得ることはできると思いますが、それでは本当に人を感動させるような大きな仕事にはたどりつかないのではないでしょうか。そういう気持ちがふつふつと芽生えてきました。

きっかけは、僕が会社をはじめ、部下を雇うようになってからのことです。

部下の共感点を見つけること

往々にして、部下というのはミスばかり繰り返すものですし、たいした記事も作れないし、そのわりに自分は仕事ができると勘違いしているように見えるものです。これは誤解されがちなところなので丁寧に補足しますと、事実として無能なのではなく、「無能に見えやすい」ということです。なぜなら、上司というものは、おおむね案件を少し引いた目線で見つめることになるもので、そういう立場だからこそ、部下のミスに気づきやすいポジションなのです。当事者よりも、傍観者のほうが俯瞰しやすいというだけの話です。

クリエイティブな仕事に正解はありません。上司は釣り竿を与えることはできますが、最後には自分で魚が釣れるようにならなくてはいけません。ヒントは与えることができると思いますが、それも与えすぎると良くないことのほうが多いと思い、自分で気づいてもらうように誘導することに腐心します。どちらにしても、ダメなところを指摘して直すといった作業を繰り返すだけでは、永遠に部下は成長しません。

また、「褒める」「けなす」というのは、あんまりコマンドとして多用しないようにしています。なぜならそれは、部下にプレッシャーを与えることになるからです。けなすのがプレッシャーになることは理解いただけると思いますが、褒めるのもプレッシャーになるのです。Aさんを褒めるとき、褒められないBさんはプレッシャーを感じているからです。また、数字が取れて褒められる際には、数字が悪ければけなされるという側面を持っています。つまり、褒めるという作業は、少なかれ人を誘導する性質を持っています。これを多用すると、部下は本当に自分がやりたいことを我慢するようになります。代わりに僕はなるべく「共感」という武器をよく使います。

「ああ、それわかる」「あの記事のあの表現、とてもよくわかる」

おおむね、自分を評価する立場の人に「わかる」と言われると、人は安心します。でも実は、「わかる」というのは評価ではないわけですね。褒めるとは違います。だから、よくないことでも共感することはできます。「ああ、そのミスわかる。僕もよく間違うんだよね」といった具合に。

もちろん、わからないことはムリにわかると言いませんが、とにかく共感できることは共感していく。そうすると、なんとなく部下のことがわかったような気になってきます。すると、自分のなかに小さな部下たちが育っていきます。やがて、「Aさんだったらこう思うに違いない」という気分になってきます。そうなったらもうしめたもの。部下の行動が手に取るように理解できる気がします。あとはつまづきそうなところを予測して先回りして指示を出します。また、企画も、部下にあわせて、この人だったらこんな企画が向いているに違いないとある程度あたりをつけることができます。

さらけ出すのがうまい人は、共感を集めやすい

長文になってきたのでそろそろ結論に向かいます。

さて、そんな共感戦法で部下に向き合ってきた僕ですが、結果を出す社員というのは自分をさらけ出す社員です。ミスがあればミスを素直に上司に報告し、いい結果が出ればそれも上司に報告します。また、文章内でも自分の思いをわりと素直に表現します。そこには変なマウンティングも、野心も含まれてません。反対に、結果がでない人はいつもミスを上司に報告できないでいます。かわいそうですが、そういう人は上司としてケアすることもできません。なるべく、上司に自分の思いをさらせるようになりたいものです。また、あなたが上司に対して素直に報告できないという環境でいるのであれば、今すぐ転職したほうがよいかもしれません。

人を感動させる文章というのは、素直で、嘘がなく、本気で自分がそう思っていることを書くことが大前提です。カッコつけた文章というのは、いくら日本語的に筋が通っていても、自分なりの哲学があったとしても、共感を得ることはできません。それなのになぜ人はカッコつけようとするのでしょうか。それは、誰かに評価されたい、誰かにいいと思ってもらいたいと思うからです。皮肉ですが、褒められたいという思いは文章を書く上では邪魔なことが多いようです。僕自身も褒められたいという気持ちが強いので、書き手としてはまだ半人前だと思っています。

誰かにどうか思われたいという気持ちで出てきたのものは、短期的にたくさんの人をつかむことができるかもしれませんが、長続きしません。少なくても仕事という領域を離れたnoteのような場所では、絶対数は少なくても深く長く人の心に残る文章を綴っていきたいと思います。

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うめだのにっき

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コメント2件

梅田さん、noteにようこそです! あと、ほめていただいてありがとうございます。
加藤さんご無沙汰しております! note、個人的な内容を綴るのにピッタリだと思っております。しばらく続けようかと。
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