マナビストという肩書きを名乗ろうと思う

マナビストという肩書きを名乗ろうと思う。学び+istでマナビスト。どうだろうこの絶妙なダサさ。ダサいとぜひ笑ってやってください。

まず、このような職業はこの世にない。そういう意味で、ハイパーメディアクリエーター(高城剛さん)のような、あえて名乗るタイプの肩書きだ。うさんくさいと言われるかもしれない。うん、僕もうさんくさいと思っている。でもそういう名前を名乗りたくなった。理由はこうだ。

表現とはアウトプット。対して、誰かの表現を見て圧倒されたり、名作を読んで感銘を受けるのはインプットである。兼ねてからの僕はインプットのほうが好きなのだ。何かを見たり、どこかに行ったり、すごい人の話を聞いているのが何より好きなのだ。自分から表現するより、誰かの表現に触れるほうが好きである。でもこれでは作家性を持てない。

しかしどうだろう、料理人がアウトプットの表現の仕事だとすれば、大食いフードファイターだって最近はりっぱな仕事である。そしてフードファイターはまさに物理的なインプットの仕事である。こんなフードファイターみたいな、ただただインプットする役目があってもいいのではないか。僕は何を見ても、何を読んでも、どこに行っても誰と話しても、そこから何かを学ぶのが好きだ。フジロックだって、僕からすれば決して遊びに行ってるわけではない。僕にとっては真剣なインプットなのだ。少なくても領収書を整理している瞬間よりも、フジロックのほうが脳も身体も動かして働いているような気がしている。だから僕は、学ぶことを仕事にしたい。そういや取材だって煮詰めると学ぶ仕事じゃないか。なんだ昔から僕はマナビストだったのか。

現代のインターネットはとかくギスギスしがちである。議論というお題目にかこつけてポジショントークと罵り合いに満ちている。思想の違う人が主張することによって、何かあたらしい結論に発展するケースはあるだろう。だが分かり合えなくてもの別れすることがほとんどだ。考え方が違うことが分かり合えない原因ならば、マナビストは考え方の落差から学ぶことによって誰かと理解しあう平和主義者だ。どんなヘンテコな意見からも、うーんそういう考えもあるんですね、大変勉強になりました、と言うのがマナビストの役目である。どうだろう?時代に求められている役割な気もする。

僕はバスの「つぎおります」ボタンの配置からも、グアムの商売っ気のない展望台からも何かの学びを得ている。大阪では商人が勉強しまっせと言っている。マナビストは自分のルーツにも合っている。また、僕はインテリぶってるが高卒で、それを気にかけていた時期もある。でも僕はどこに行っても学べる学びのプロなのだから、ルサンチマンはもうない。大学はもちろん素敵な学びの場だが、僕からすれば目に見えるものすべて教科書だ。仕事のできる人の話は学びだけど、仕事のできない人からも僕は多くを学んだ。仕事のできない人の話を見たり聞いたりしてるほうが不思議と勉強になることもある。ああ、そこでしくじるのかという学び。会う人みんな先生だ。なんで一部の人は社会人になると学ぶのを辞めるのか。学ぶの楽しいよ。社会人になってからずっと学んでばかりいた。世間一般的な大卒者よりずっといい教育を受けてきたんじゃないかと自画自賛している。

偶然かもしれないが、僕が8年前に出した本「エレベスト」も、エレベーターに「スト」を付けたものだ。エレベーターという無機物をよくも一冊の本に仕上げるぐらい学び取ったものだ。我ながら自分を褒めたい。答えは8年目にあったということで。

そんじゃあねー☆(ちきりんさんからお別れの挨拶を学ぶ)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

5

あなたと社会と世界の『未来』を変えるイイ話

かつて私たちの夢見た豊かな暮らしは、もはや待つだけでは手に入らない。独立自存により『自由』を得て、自分を取り巻く世界の『未来』を変えるための道は、おのずから動く者にのみ開かれる。そのヒントは先達の教えに、世界の歴史に、同業者や異業種の成功事例に――あるいは地下鉄の壁や長屋の...
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。