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港区おじさんという、美学

年末ですので、ネタ記事を1本。

日々生活していて、様々な人、特に女性に会うとよく聞かれるのが「港区おじさんって本当にいるんですか」という話。

毎回同じ回答をするのも面倒くさいので、少し掘り下げて考えてご紹介する。まず、この言葉はこの連載を作った時に生み出したものだ。

港区女子は、それ単体では存在し得ない。
彼女たちの影には、太陽と月の如く、欠かせない相手がいる。
ー港区女子を生み出しているのは一体誰なのか
その正体は、“ありあまる富”を持つ、港区おじさん。

このリード文は、僕がかつて目黒のmiyama cafeで15分で生み出したものだ。

僕は連載名やリード文だけを決め、文章自体はライターに書いてもらう。たまに僕が記事を書いていると思われることがあったが、こういったコンセプトメイキングはしていたが、文章の元素材はほとんど書いていない。

一部でしか発表しなかったため、存じない読者もいるかと思うが、僕は2017年夏に東京カレンダーを退任している。ゆえに、現在進行形の作品群は僕とは全く関係がないことを予め断っておきたい。

さて、港区おじさんは実在するのか。そして一体、何を考えているのか。

僕自身、33歳ではあるものの、プレイとしての「港区おじさん」の心理は非常によくわかるし、たまに体現することもあるため、一人のプレイヤーとして、港区おじさんの心理に対する見解を述べておきたい。

港区おじさんの存在は、主に東カレの動画ドラマ「1分港区おじさん」でブレイクしたものだ。

これは初期は、テキストの連載「港区おじさん」の中から、印象的なシーンを抜粋して、動画化したものだ。「着席前支払い」「タクシー代詐欺」などがそれに当たる。なお、動画に関しては僕はタッチしておらず、現場の功績である。

この動画を通して、港区おじさんである船田さんが様々な角度で描かれているが、一言で表すと、港区おじさんは「女性に見返りを求めない、優しすぎるおじさん」と言える。

この現象を見て、僕がプライベートで実際に会った女性の一部は「こんなに至れり尽くせりなんて、後で何か求められそうで怖い!」という「タダほど怖いものはない理論」を用いて、「そんなことはありえない」と主張する。

たしかに、世の殿方の中には、女性をジョエル・ロブションでもてなし、クリスチャン・ルブタンをプレゼントする人もいる。

しかし、たいていは下心ありきでの行動であり、投資額が一定以上に達し、回収の目処が立たないと、苛つき始め、扱いが雑になったり、撤退していったりする。それが、普通の男性。いわば、栽培マンである。

女性は男性のそういった行動を1度や2度は経験してきているため、「最初は優しいけど、あとで何か求められるのでは」と、フリーランチなどあるわけがないと、警戒する。

しかし、二つの理由で、港区おじさんは存在する。

一つ目は、身も蓋もない話だが、おじさんともなると、EDに悩む人も少なくはない。仮に40歳以上をおじさんと定義すると、全盛期の元気がなく、もう単純に「可愛い女の子とご飯をご一緒できればそれで満足」という境地に達しているのだ。物理的な問題である。

二つ目が本題だが、美意識の問題ではないか。と個人的には思う。

連載の中では、港区おじさんはブスにも優しく、誰にでも分け隔てなく支払ってくれるという紹介もある。この手の悟り系の方も、たしかにいるだろう。

しかしながら、我々も投資先は選んでいるのではなかろうか。

非常に稀ではあるが、私が港区おじさん、いや港区おじさんジュニアに変身する時は、少なくともそうである。相手が相当な美女じゃない限りは、港区おじさん化することはない。

僕の場合、この思考は「価値主義」に基づいている。価値があるもには対価を支払うが、価値の見極めは相当シビアだ。

私の過去体験では「1on3で全会計持ち」や「靴のプレゼント」などの、ささやかなプレイがある。

これらの相手は、下手に手を出したいという欲求よりも、手を出さずに中長期での関係を楽しみたいという欲求が勝ったがゆえに、そういった行動になっているのだと最近気づいた。

率直にいうと、性欲より美欲が勝った。といえよう。

そして、そういった相手にはなぜかカッコつけたいという欲求がある。

そう、「美しいモノの前で、カッコつけたい」のである。

ゆえに見物だけで成立し、見物料として、支払いが発生するのだ。

これはCPS(Cost Per Sex)などというゲスい指標でしか物事を測れない輩ではなく、それなりの富を有しているがゆえの、高貴な遊びと見ることもできる。

また、中途半端な美貌の女性は、港区おじさんのプレイ対象となることがない。ゆえに彼女たちは彼らの存在を体感できず、理解できないのある。港区おじさんの存在を享受できるのは、選ばれしごく僅かな美女のみだ。

港区おじさん自体の数も希少だ。決して港区に住んでいる必要はないのだが、何の見返りも求めないエンジェル投資家のような存在は、スタートアップ業界でも数少ない。

僕が考えるに、同じ男性でも相手によって港区おじさん化することもあれば、そうならないこともある。

自分の中の港区おじさんが引き出されるには、それ相応の女性と対峙せねばならず、その存在によって、己の美学を実感する。少し難しい話をすると、分人主義である。

港区おじさんにとっての見返りとは、彼女たちとの対峙により、自らの美学を磨き上げることであるとすら言えるのかもしれない。「無駄にカッコつけさせてくれること」が見返りなのである。

港区おじさんもまた、麗しき港区女子がいなければ輝けない。

そう、彼らは、月と太陽なのだから。

港区女子への投資は、港区おじさんにとっては、ある意味で、自己投資なのである。無駄の中にこそ、美学がある。

しかし、その無駄は、浪費なのか投資なのか。

僕は対戦を終えるたびに、階段を上っていく手応えを感じている。

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