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190617|模範解答の家族じゃないから、流されるくらいがちょうどいい

私は、母の日や父の日が苦手だ。
感謝を強制されているような気がするから。

家族のことは嫌いじゃないし、仲が悪いわけじゃない。むしろどちらかといえば、仲はいいほうだと思う。

だけど、うまく言えないけど、私は時折家族の中で孤独を感じることがある。

贅沢かもしれないけど。

たとえばSNSで、「親に悩みを相談したら、親身になって話を聞いてくれた」というような内容の投稿を見たとき、なんだかモヤモヤする。

たとえば、親と意思の疎通ができていそうな友達を見ると、なんだかモヤモヤする。

家族のことは嫌いじゃない。だけど私は、家族に心の中身を打ち明けることができない。

上の弟に障害があって、小さい頃からそんなに構ってもらった記憶がないからなのか、いじめられていたことをなんとなく親に言えなかったからなのか、「つらい、死にたい」と言ったら「つらいのはお前だけじゃない」と言われたからなのか、全部なのか。理由はよくわからない。理由はわからないけれど、「理解されない」という漠然とした感覚が、私の中から消えてくれない。

模範解答の家族じゃないことが、負い目としてこびりついて離れないのだ。

だから。母の日とか父の日とか、そういう記念日にかこつけて、強制的に感謝する、というのがなんだかどうしても腑に落ちなかった。感謝したくないわけではない。でも、産んでくれてありがとうとか、育ててくれてありがとうとか、そういう気持ちが自然に湧き出てくるほど、私は素直でまっすぐな子供に育てなかった。

とはいえ何かしらアクションはしないと罪悪感が残るから、ひとこと連絡するくらいはしていた。強制されている感じが嫌だといいながら、逆らうこともできない中途半端な人間だ。

だけど今日、バイト先のジェラート屋さんで、こんなことがあった。

若い赤ちゃん連れの夫婦だった。旦那さんは仕事の電話が長引いているようで、奥さんが注文をする。

「今日は父の日なので、旦那の分は私の奢りなんです。何が食べたいか聞いたら、ここのピスタチオが食べたいというので来ました!」とはにかみながら言った。

なんだかその言葉が、ストンと胸に落ちてきた。

旦那さんは、嬉しそうにジェラートを頬張っていた。幸せそうに帰っていく家族が、目に焼き付いて離れない。

お店を閉めたあと、私はテイクアウトでジェラートを注文した。どうしたのと聞かれる。

「父の日と、あと母の日には実家にいなかったので、両親にあげます。」

自分でもよくわからない。強制される感謝なんてしたくなかったはずだ。

...あの家族を見たとき、悔しかったのかもしれない。自分も、そういう家族になりたかったのかもしれない。自分が母親になったときに、あの奥さんのようになりたいと思ったのかもしれない。ここのジェラートは確かに美味しいから、食べてもらいたかっただけなのかもしれない。

なんだかわからない、言葉にできない何かが私の中で膨らんで、気付いたらジェラートを買っていた。

私はやっぱり、家族に理解されていないと思う。ほかのどんな話でも共有できるけれど、彼らは私がnoteやSNSに書いていることの、1割も知らない。私は家族の前で裸になったことはない。

だけど、家族は嫌いじゃない。家族はこうあるべきという型にはまりたくはないし、強制されて感謝するのも嫌だけど。

だけど、今日ばかりは、ほかの家族に流されてよかったなと思った。これはきっと、強制された感謝なんかじゃない。

いつも否定ばかりする捻くれ者の父が、台所でジェラートを食べながら「うまい」と何度も呟いているのを聞いて、そう思った。

#父の日 #母の日 #エッセイ #日記

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