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真冬の8時30分の公園で


お子①の癇癪が落ち着き、お子②のお世話がだいぶ楽になり、凪を感じている今日この頃。
ちょうど一年前を思い出す。

お子②はまだうまれたてほやほや、2歳になりたてのお子①は「ママが家にいるから保育園に行きたくない」と絶賛保育園に行き渋り。
それに加えて育休中のため保育可能時間が9時~17時、クラスの朝の挨拶などがはじまるので9時30分までに登園してくださいとのこと。
つまり9時~9時30分の間に登園しなくてはいけない。
私一人なら難なくこなせることは言わずもがな。だがこれに赤ちゃんと主張が激しい2歳なりたてが一緒だと途端に無理な話になってくる。

まず赤ちゃん。
まだ頻回に行っている授乳を終えて真冬の恰好をさせたり、出る直前にうんちに気付くトラップあり。
でもそんなのがかわいくみえるくらいの行き渋りの2歳。
「保育園に行こう」では家を絶対に出ない。ではどうやって連れ出すのか?
「保育園に行く前に公園に行こう」だ。
これで簡単に家を出れたと思うなかれ、今度は保育園に着けないのである。
ちなみに家から保育園までは徒歩5分ほどだ。

公園で30分遊んで「そろそろ行こうか」と提案をしても、「まだ!!!!!!!」と怒られる。
公園でたくさん遊び、その上まだとごねられても9時30分までに登園できる時間……と日々逆算をしていったら、気が付いたら朝の8時30分には公園にいた。
なぜ?真冬である。寒い。そして自分にぴったりくっついて抱っこ紐の中に赤ちゃんがいる状態で公園につきあう。
付きあって済むのならよい。その後必ずごねるまでワンセットなのだ。
一体なんの修行なのだろうか?

そして徒歩5分の間にある公園に朝8時30分にはいるのに、9時30分までに登園できず、最終的には「行きたくない」と泣き叫ぶ2歳児を抱きかかえ無理矢理登園し、ほっとしたのも束の間、担任の先生に「明日はもうちょっと早く登園してください」と言われる。
もちろん園や先生たちには大変感謝している、保育園がなかったら到底生活はまわらなかった。
でもつらかった、しんどかった。

雨は降っていないが長靴を履き、今にも泣き出しそうな顔をして歩いている

こころもつらくしんどかった。
お子①の「ママがおうちにいるから保育園に行きたくない」という感情は当たり前だ。
なのにその気持ちを叶えてあげることはできず、毎朝「行きたくない」と泣き叫ぶ子を登園させるのはしんどい。
では登園させないで家でみていればいいじゃないかと思うだろうが、家で赤ちゃんと2歳児をひとりでお世話することは早朝の公園につきあい、泣き叫ばれながら登園の1時間コースと天秤にかけても大変なのだ。

また、同じ時期に赤ちゃんがうまれた同じクラスのママたちが、育休をとったパパや在宅勤務をしているパパに赤ちゃんを預けて、ひとりで子どもを送り迎えをしていることがとても羨ましかった。
お子①を優先して動き、ひとりの時間をつくってあげたいと思っても、物理的に無理で、同じようにしてあげられないことが申し訳なく、やっぱりつらかった。 
お互いの両親から離れた場所で暮らしているのがいけなかったのか、と考えたって無駄なのに自分の選択を思い返す日々。(仮に近くにいたとしても全員フルタイムで働いているからそもそもそんなに頼ることはできなかった。)
そして赤ちゃんのことだって真冬に外でではなくて、できることなら暖かいおうちにいさせてあげたい。

育休をとってくれなかったことは一生恨むと思うけれど、毎日早く帰宅してたくさんがんばってくれたパパ
一生恨むと思うけれど(しつこい)(時期的な無理だったのははわかっている)

今思い出しただけでも、あの時の寒空や誰もいない公園、抱っこ紐で眠る赤ちゃんの体温、泣き叫ぶ2歳がありありと思い出せてしまい涙が目にたまる。
それらの気持ちもあり、毎日毎日つらくしんどく外は寒いし私は毎日いっぱいいっぱいであった。
赤ちゃんがいてしあわせなのに、つらい、しんどいばかりでなんでという気持ちまでうまれる。
今考えれば軽い産後鬱のようにも思える。
二度産後を経験してわかったが、私には産後鬱の素質がある、知らんけど。

でもお子はうまれながらに人が好きで、慣らし保育などいらないくらいの保育園だいすきっ子であった。
一歩クラスに入ってしまえば私のことやついさっきまでの涙をケロっと忘れておもちゃで遊んでいる。
一体この時間はなんだったのか。狂気さえ感じる。
でも「私が一番でいたい」「ママと一緒にいたい」といううまく言えない気持ちを必死に表現したのがあの1時間だったのだと今ならわかる。
いや、あの時もわかってはいたけれどそれを上手に受け止めてあげられなかった。

あれから気が付いたら1年の時が流れて、お子①はお子②がいる生活にすっかり慣れ、お子②は赤ちゃんから幼児に成長した。
あんなに毎日つらくしんどかった12月の寒空の下を、今ではお子たちが手を繋いで歩いている。
あの日の私に言ってあげたい、「毎日本当に頑張ってるよ。一年後にはちゃんと報われるから大丈夫だよ」って。
もし本当にあの時そう声をかけられたら「あ、あと一年もあるの??!」と卒倒しそうだけれど。
でも私は、本当に、頑張っていたのだ。

そんなつらくしんどい思い出を、やっとお焚き上げできる時がきた。
来年の今頃は一体どんな思いで毎日を過ごしているのだろう?
お子②のイヤイヤに疲れ果てていそうであるが、それは考えないことにして家族みんなで手を繋いで歩いていれたらいいなと思う。

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