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叔父との想い出:#1 晋呉くん

 私が小学校5〜6年の頃の話だ。当時、私達は大阪に住んでいた。父の実家は静岡にあり、子供の頃は長期休暇の度によく連れて行ってもらったものだった。

 大阪の街にはない野山や田圃、大小の川といった、いわゆる田舎の風景は、物珍しく、胸が躍るものだった。

 静岡の家には、祖父と祖母、そして父の弟である叔父が一緒に住んでいた。私と弟は、父によく似た叔父に良くなつき、叔父も私たちの世話を何くれと焼いてくれていたのを思い出す。

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 静岡の家に行ったときには、昼食後に散歩がてらに近所のスーパーへと歩いて行くのが私たち兄弟と叔父の日課になっていた。叔父に連れられて行く私と弟の目当ては、なんといってもおやつである。

 徒歩5分ほどの距離にあるスーパーに着き、叔父が買い物カゴを持つ。私たちは、その後を付いて行っては叔父の顔を確認しながらお菓子やらアイスやらジュースやらを放り込んだ。

 当時、母のお菓子やジュースに対する規制は厳しく、量はもちろん、甘すぎるものやしょっぱ過ぎるもの、そして太る類のスナック菓子やジュースは禁じられていた。しかし、叔父との買い物にはその規制が無かった。

 私たちと叔父は、"買った物の内容は母には報告しない"という約束を締結していたのだ。

 叔父は、次々に放り込まれる数々のお菓子を、にこにこしながら確認し、「今はこんなのが流行っているのか」「これは俺もお父さんも食べていたぞ」などと一々感想を述べてくれていた。

 お会計はもちろん、叔父のおごりだ。弟はともかく、私は一応財布を持って行っていたのだが、いつも何も言わずに全額支払ってくれた。

 そして、叔父はレジ袋を2つ貰うと、アリバイ工作用のウーロン茶やレモンティーにヨーグルトといった物とは別に、ポテトチップスやチョコパイ、アイス、そして時には揚げ物のお惣菜などを袋に分けてくれた。

 帰路に着いた私たちは、意気揚々とウーロン茶の袋を母に見せ、食後の運動と「正しい」買い物を済ませてきた事をアピールし、その後、叔父の部屋に入って本命のお菓子に貪りついていた。

 あるとき、買い物袋の中に、身に覚えのない割と高価なお菓子が入っていた。遠慮を知らない弟が入れたのだろうと思って聞いてみると、自分が入れたのではないと言い張る。
 それだけではなく、菓子を入れたのを自分のせいにされると思ったのか、叔父に向かって猛アピールを始めた。

 叔父は私たちに甘く、両親が眉をひそめるような事も笑って付き合ってくれたが、唯一、嘘をつく事だけには厳しかった。
 どんないたずらも失敗も笑って受け入れてくれたが、嘘をつくと、とたんに機嫌を悪くし、子供のように怒った。

 だから、弟は自分が嘘をついていると思われるのを恐れたのだろう。
 しまいには、"お菓子を勝手に入れたのは大智(たいち)だ"と、私に罪を擦なすり付けようとまでしてきた。

 叔父は、私たちの兄弟喧嘩をよそに、しげしげとお菓子を眺めていたが、テーブルの上にポンとそれを置いて腕組みをすると、こう言った。

「ほらほら、喧嘩すんな。これを入れたのは晋呉(しんご)くんだ」

 晋呉くんって誰。そう尋ねると、叔父はお菓子の箱を開けながら話してくれた。

 晋呉くんというのは、叔父が小学生だった頃の友人で、よく一緒にプールや川に遊びにでかけていたという。
 その帰り道、親には内緒でスーパーでお菓子やお総菜を買い、帰宅する道すがらに2人で分け合って食べていたそうだ。

 だがある日、水深の浅い川に頭から飛び込んだ晋呉くんは、折り悪く川底に頭を強くぶつけて亡くなった。

「それ以来な、あのスーパーで買い物すると、たまに知らないお菓子が入ってる事があるんだよ。きっと晋呉くんがまだ食べたりなかったんだろうな」

 晋呉君はもう食べられないから、お前等が代わりに食べてやってくれ。叔父はそう言って、自分もお菓子を一つ手に取った。

 叔父が話したことは本当かどうかはわからない。ひょっとしたら、私や弟を窘たしなめたり、庇ったりするつもりで言った作り話かもしれない。

 それとも、叔父が高いお菓子を、そっと入れておいてくれただけなのかもしれない。

 それ以降も叔父とよく食後の散歩に行ったが、晋呉くんが現れることも、弟が無遠慮なお菓子を放り込むことも二度と起きなかった。

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