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僕と父は生まれ変りについて相談する

雨の日の夜、僕が部屋で読書をしていると、ドアをノックする音がした。開いています、と答えると父が入ってきた。父はにこやかに僕の本棚を指さすと、歩み寄って覗き込んだ。

僕と父は当然親子であるが、同時に読書友達でもある。我が家には「父は僕の本を勝手に読んで良いし、僕も父の本を勝手に読んで良い」というルールがある。時には、友達と言うよりはライバルのように読書談義に花を咲かせる事さえある。そう言ったわけで、父の帰宅が早い夜には、今夜のように僕の買った本を読みに来る事が少なくなかった。

読書を続けていると、父は何冊かの本をぱらぱらとめくっては戻し、めくっては戻しして物色しているようだったが、そのうち声をかけてきた。

「湊人(みなと)くん」

「はい、なんでしょうお父さん」

「最近は、『異世界』に『転生』する話が流行なのでしょうか」

父は1冊の本を手に不思議そうに首を傾げていた。

「はい。僕が好きなジャンルと言う事もありますが、流行と言えば流行と言えると思います」

「そうですか。この『異世界』というのは、何かルールがあるのでしょうか。例えば、『転生』する本人がどこかで望んでいた世界である、というようなルールの事です」

そう言われて、僕は少し考えてみた。

「どうでしょうか。多くの場合は、『本人が思いもよらなかったまったく別の環境』で『やり直す』話だと思います。ただ、その世界を潜在的にでも望んでいるかと言われれば、そういう面もあるかもしれません」

「なるほど……」

父は顎に手をやり、何度か頷く。

「ではもし、私が『転生』するのであれば、その『異世界』というは、――つまり、私が望んでいる世界と言うのは、ここになりますね」

「ここ。つまり現在のこの世界なのですか。別の世界でやり直したい、という事はないのでしょうか」

「ええ。この世界には湊人くんもいますし、お母さんがいます。異世界とやらに2人がいれば話は別ですが、そうではないのでしょう?」

父は、当たり前の事の理由をなぜ聞くのだと言わんばかりに当惑した表情で答える。

「ただ、そうすると困りましたね。転生した私と言うのは、おそらくは今より若く裕福でイケメンになっているのでしょう」

「イケメンですか」

「ええ。そして湊人くんとお母さんは、突然消息不明になった夫を心配している事にりますね」

「そうなるといえば、そうでしょうか」

「生活資金の面は安心して下さい。しばらくは2人が暮らして行けるだけの蓄えはあるつもりです。ただ、何年も、というわけにはいきませんが。それに、『転生』する際の条件が『死亡』であれば、保険金も入って来るでしょうしね」

「そうなったら、僕も働きましょう」

父が感心したように頷く。

「そうですね。いろいろと備えてはいても、突然思ってもいなかったような状況に陥ってしまうという事はありえます。その際に、過去を振り返ってばかりでも、現状に不満を言うばかりでも、残念ながら何もなりません。私も突然裕福な家庭の美少年になってしまい、お母さんと湊人くんとは関わりのない人になるわけですが、それでもその現状を受け入れて、歯を食いしばってでも前に進むしかないのでしょうね」

「美少年になるのですか」

「ええ。ただ、そうなると心配なのはやはりお母さんですね」

「やはり、お母さんにはお父さんがいない生活というのは耐えられないのですね」

父は口元がほころびそうなのを隠すようにかぶりを振る。

「いえ、彼女は強い人です。大丈夫でしょう。なにより、湊人くんが側にいます。そうではなく、彼女ほど魅力的な女性が独り身になったとしたら、周りの男が放っておかないだろうという事です」

「魅力的な女性でしょうか」

「夫がいなくなり不安な彼女に付け込んで、おかしな輩が入り込んでくる。――十分ありえる事です。もちろんそうではなく、お母さんと湊人くんにとって、本当に頼りになる男性が近づいてきたのであれば……ああ……そうなれば……」

父は両の拳を握りしめ、苦しそうに顔をしかめた。

「いえ、やはりそんなギャンブルに期待するわけにはいきません。ここは、転生した私がもう一度お母さんと恋人になる、という最も安定した状態を目指す事になるでしょう」

「お父さんが生まれ変わって、また僕のお父さんになるというわけですか」

「そこまでは分かりません。おそらく彼女は、夫である私に操を立て、再婚に応じないかもしれません。彼女はそういう人です。ただ、私は彼女の好みや苦手な物を全て知っています。夫を失って不安な所に、地位も財産もあり、夫よりはるかに顔も良い青年、しかも彼女の事を深く理解している者に口説かれたとしたら、彼女がなびいてしまうのも仕方のない事だと思います。ただ、その場合、私はお母さんから本当の所では愛されていない状態になるのかもしれません。それは本当に……本当につらい事ですが……それがベストなのでしょう」

父は目を瞑り、眉間にしわを作ったまま何度も頷いている。

「ただどうでしょうか湊人くん。もしそうなったとしたら、お父さんはお父さん以外の男になびくお母さんを見てその男であるお父さんに嫉妬をしてしまわないでしょうか。正直な所、自信が無いのです」

僕は真面目な顔を作ってゆっくりと頷く。

「大丈夫ですよお父さん。その時には僕も協力しますから」

その答えを聞いて、父はホッとした表情を見せた。

「ありがとう湊人くん。ではそうなった時の為に、サインを決めておきましょう。もし見知らぬ美少年が湊人くんを訪ねてきて、突然こういうポーズを取ったら、それはお父さんだと思って下さい」

そういうと、父は両腕をクロスさせ、両の親指を立てて見せた。

「わかりました。親指でお父さんである事を知らせるわけですね。では僕は「お母さん」という意味で、こういうポーズをとる事にしましょう」

僕は両腕を前に突き出すと、両の人差指で父を指さして見せた。

「これで安心ですね。お願いしますよ。もし湊人くんが裏切って、私の事を『妙な青年が母に付きまとっている』とでも警察に通報したら、お父さんは間違いなく逮捕されてしまいますからね。ハハハ。そうなったら湊人くんはお母さんを独占……」

そこまで言うと、父はハッとして僕の方へと向き直った。

「湊人くん、ひとつ確認しておきたい事があります。君は、お母さんの事が好きですか」

「はい。好きです」

「そうですか。しかし君よりも私の方がお母さんを好きです」

「はい。知っています」

父は大きく頷くと、ドアの方へと向かい、こちらに向き直り両腕をクロスさせて親指を立てた。そして僕が両腕を伸ばして父を指さしたのを見届けると。再び頷いて部屋を出て行った。

僕はそんな父を見て、半分は呆れたのだのだけれども、もう半分は羨ましかった。

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