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今ならパピコを独り占め

 暑い暑い夏の夜。我が家のクーラーは、稼働しなかった。母は冷房を使うことを嫌い、窓を開けて扇風機や団扇や風鈴で凌ぐことを、良きこととしていた。

 私と兄は、しばらく扇風機の前の場所を取り合いしていたのだけど、そのうちどうでもよくなって、二人で汗をかいて居間の床に寝転がっていた。そんな私たちを、父は夜のドライブへと連れ出してくれた。

 私たち兄妹を乗せた車は、冷房を効かせて闇を走る。なんていう天国。でも、この天国にはまだ続きがあって、私と兄はそれを口に出さずに期待していた。

 コンビニに車が止まり、父がパピコを手に戻ってくる。2つに割ったパピコを一本ずつ受け取った私たちを乗せ、車はまた走り出す。兄は白いパピコが好きで、私はコーヒーのが好きだった。でも、もう一方が嫌いというわけでは、決してない。

 後部座席に並んで座る私たちにパピコを渡すとき、必ず父は人差し指を立てて、「母さんには内緒だぞ」と悪戯っぽく笑った。

 私たちはこくりと頷きパピコを受け取った。涼しい場所でアイスを食べられることも嬉しかったけれど、それ以上に、母に隠し事をしているという事が、何か凄い事をしているようで嬉しかった。

 やがて車は川のほとりの空き地に止まり、電気が消される。すると、水辺の周りにぼうっと光る蛍が見えたり見えなかったりする。エンジン音の合間には、ささら・せせらと川の流れる音までも聞こえたりする。時には夜空に近くのお寺で上げられた花火が光ったりもしていたっけ。

 暑い暑い夏の夜、そんなことを思い出したりする。故郷とはちょっと離れたこの場所で、夜のドライブなんかに出かけたりする。窓は開けずに。クーラーを効かせて。

 そしてコンビニに寄って、アイスを買ってみたりもする。もちろんパピコのコーヒー味。今ならその気になれば、2本を独り占めしたりもできたりする。父にも兄にも内緒の秘密だ。

 そんな話をしながら、助手席の母にパピコを1本渡したりする。夜に甘い物なんて。そういって笑う母に、そうだよねーなんて相づちを打ったりする。

 そして近くの川のほとりに車を止めてみたりもする。私の住んでいるこの場所には蛍はいない。でも、ウチの周りも最近は見かけないわよ、なんて母が言ったりする。

 そうなんだ。いろいろと変わっていくよね。でも変わらない物もあるよね、なんて言ってみたりもする。例えば? という問いに、暑さとか? と言ってみたりもする。たぶん前からバレバレなんだけど、やっぱり母には内緒なのです。

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