やぶ睨みの老ミー

 うちには常に3~4匹のミー達が出たり入ったりしていたのだが、不思議とどのミーも、”最後までうちにいた”という事は無い。ある程度の年齢になると、一様にどこかへ巣立って行ってしまうのか、姿を見かけなくなるのだ。

 そんな中、ただひとりだけ、かなりの期間うちに居続けたミーがいる。それが、やぶ睨みのミーだ。

 やぶ睨みのミーは、私が小学生の頃にうちの納屋で産まれた全身真っ白な猫だ。正確な兄弟の数は覚えていないが、何匹か一緒に産まれた中に、もうひとり真っ白な兄弟がいたのは覚えている。同じような鍵尻尾のふたりは、目が開かない段階では、ほぼ区別がつかないくらいだったが、開いたとたんにその差は歴然となった。一方の目は真ん丸のくりくりで、もう一方はといえば、やぶ睨みの不機嫌そうな目だったのだ。

 兄弟たちが走り回れるようになり、中学生たちの目に留まり出すと、次々と貰われていった。仔猫ブースト恐るべしである。真ん丸お目々もすぐにどこかの家の子になった。が、やぶ睨みのミーだけは仔猫ブーストがあっても売れ残り、我が家のミー軍団の一員として収まった。

 やぶ睨みのミーは、いつでも不機嫌そうだった。実際はそんな事ないのだろうが、緑色の目は常に何かを睨んでいるような形だ。白い猫といえば、どちらかと言えば縁起が良さそうな感じがするが、それを打ち消すほどドスの効いた目をしていた。なんというか、怖さすら感じる目だったのだ。

 そして彼には、祖母や母が落ち葉などを集めて燃やした後の灰の上で転がるのが好き、という悪癖があった。おかげで真っ白なはずの毛は薄汚れ、ところどころグレーのまだら模様のようになる。元が白いだけに、その汚れはひときわ目立ってしまうのだ。

 そんなやぶ睨みのミーだが、愛想は結構よく、手を差し出せば寄って来る。しかし、そこでもひとつ問題があり、彼の毛は歴代ミーの中でもダントツに硬かった。見た目よりもゴワゴワなのである。知らずに撫でた人は、思わず「えっ?」と思ってしまうくらいの硬さだ。「見て怖く、触ると厳つい」それがやぶ睨みのミーだった。

 長ずるにしたがって、やぶ睨みのミーはますます逞しいというか、ゴツくなっていった。見た目の迫力はいや増し、もはやボスの風格さえた漂い始める。ゴワゴワの頭やのどを撫でれば、ゴロゴロと喉を鳴らしながらひっくり返ったりするのだけれども、その動作ですらどこか迫力がある。じゃれて猫パンチをされると、他のミーたちより深いひっかき傷ができてしまうというようなパワフルさも兼ね備えていた。

 そして、他のミー達がどんどん入れ替わっていっても、彼だけはずっと我が家に居続けたのだ。今思うと、我が家周辺のなわばりの、ボス的存在だったのかもしれない。

 そんなやぶ睨みのミーだったが、私が高校生になる頃には、真っ白だった毛も艶を失い、灰の上に転がらなくてもくすんだ様なオフホワイトになっていた。ゴツかった体も少し萎み、もうすっかりボスというよりは長老といった風体だった。

 老ミーは相変わらず他のミー達と共に、祖母が盛るごはんへと、にゃうにゃうと殺到していたのだが、だんだんとその勢いがなくなって来た。そして、妙な行動が増え始めた。道の真ん中で寝ていたり、芝生の庭の真ん中でフンをしたり、高い所に登らなくなったりと、およそ猫らしくない行動を取るようになった。そう、老ミーは認知症になったのだ。

 もうお爺ちゃんだからなあ、仕方ないなあ、と思って見ていた私は、ふと気づいた。そういえば、私はミーを看取った事が無い、と。冒頭にも書いたように、うちのミー達は、貰われなかった者も、そのほとんどがいつの間にか巣立っていく。老ミーのように、「年取ったなあ」と感じさせるまで長居するミーは稀だった。

 動物好きの方ならば、「ゾウの墓場」の話を聞いた事があると思う。ゾウは死期を悟ると、仲間の群れから離れ、「ゾウの墓場」と呼ばれる場所へ自ら歩いて行き、そこで最期を迎える、という話だ。この話の真偽はともかく、私はミー達についても、ぼんやりとそういう仕組みがあるのかな、と思っていた。「ゾウの墓場」ならぬ、「猫の墓場」である。

 ある程度の年に達したミーは巣立ち、巣立たなかった者も、頃合いになると自ら「猫の墓場」へと去っていく、そんな風に思っていたのだ。実際にはどうなのかはわからない。中にはうちで息を引き取ったミーも居り、祖母が特に知らせずに埋葬していたのかもしれない。ともあれ、少なくとも私は、ミーが老衰で息を引き取った姿を見たことが無かった。

 結局、私はやぶ睨みの老ミーも看取っていない。猫の墓場へと行ったのかと言えば、それもよく解らない。老ミーは私が高校を卒業して家を離れるまで長生きし、その後、私は一人暮らしを始めたからだ。

 実家に帰省した時には、もう老ミーはいなかった。その頃には祖母が体調を崩し、入退院を繰り返すようになったいたので、猫のお皿に餌を盛る者もいなくなった。長い間続いていた我が家とミー軍団の付かず離れずの関係も、それに応じて自然消滅していたのだ。

 今でも、庭の一角のお皿があった場所を見ると、ミー達のことを思い出す。そんな中でも特に印象が強いミー・オブ・ミー。それが鍵尻尾にみどりの瞳のやぶ睨みのミーなのでした。


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