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突然やってきた最期の景色

「首里城」焼失のニュース

朝起きて、テレビをつけると、首里城が燃えていた。
現実感が全くなく、時代劇でもみているようだった。
朝起きたばかりだったから寝ぼけていたのか?それとも、あまりにも驚きが強かったから現実離れして考えてしまったのか?
いずれにしてもたいへん驚いた。

火はどんどん広がった

消防隊も熱風で一時退避せざるを得なかったという。そして、消火活動再開後もむなしく、いっこうに火の勢いはおさまらない。ニュースによると、近くの住宅街にも火の粉が飛んでいたようだ。
私が首里城を訪れたのは一度しかないが、朱赤でツヤツヤに塗られた門や島文化独特の装飾の美しさは今も鮮明に覚えている。空気感さえ、本州の神社仏閣やお城とは異なっていた。独自の濃くてユニークな雰囲気が感じられ、命が息づいていた。そこにいるだけで自分の存在が確認できるような感覚、まさに生きていることを実感できた。これはまさしく沖縄の歴史と文化が詰まったシンボルだったのだ。
しかし、皮肉なことに、首里城の木造建築に使われていたこの赤い塗装こそが火勢を早め、拡大させた可能性があるのだという。赤い塗装とは、沖縄独特の「桐(とう)油」というものだそう。

しかし、そんな激しく炎を上げて燃えている首里城をみて、私が感じたのはこれである。
”美しい。”  ・・不謹慎にもそんな風に感じてしまったのである。

儚く散るものへの美意識

尊厳あるもの、歴史ある立派な建物の最期はこうも美しいのか。
悲劇的な美しさを感じたのは事実なのである。

以前、友人からバカラのグラスは🥂割れる時もパーンといい音がすると聞いたことがある。
美しいものだからこそ、凛としていて最期まで美しく儚いのか。
今年4月におこったフランスのノートルダム寺院の火災の時も同じ気持ちが生じた。歴史が一瞬で崩れてしまう悲しみや観光の名所として当然のようにあった光景が突如なくなる恐怖もあったが、崩れる映像をみて尊厳さも同時に感じたのだ。”火”には何かが宿っているのかもしれない。

ヒトの人生と重ね合わせる

人の最期もそうかもしれない。
「なぜ断捨離をするのか?」「終活は何のためにすると思うか?」
と、60~70代女性に聞いたことがある。

「汚い姿を子供たちに見せたくない」「何も残さずキレイに死にたい」。
そんな答えが返ってきたことを覚えている。
最期はだれもが予測できないから、生前整理によって少しでも身キレイにしておこうという心理が働くのであろう。

終活の美談

終活の話で、必ずといっていいほど挙がるエピソードがある。
それは自分の両親の話だ。
「父はだれにも迷惑かけずに潔く亡くなった」「母は最期まで自分のことは自分でして無駄なモノや習慣は一切なく素晴らしかった」などである。
「だから、自分もそうありたい」というのだ。少し美化しているのではないかと思うほど、遠い目をしながら語るのである。(余談だが、もちろんその逆もある。「親の介護が大変だったから自分の時は子供たちに迷惑をかけたくない」と反面教師として語るケースも少なくない)。

伝統あるものこそ、最期まで美しく

当然として、今まであったモノや存在した人がなくなると、これまでの自分との関係、その歴史や生い立ちを振り返る。居なくなってその存在の大きさに気づくのだ。そして大事なモノへの畏怖の念を抱くきっかけになるのだ。災害の火事と人の終活を並べて考えるのはいかがなものかとも思いますが、最期こそがその存在感を象徴しているように思えてならない。
古くから続いて凛とした存在感を放っている首里城。最期まで美しく、そして儚く散った。まずは西を向いて手を合わせて合掌することにしよう。
失ったものは戻ることはない。いち早い復元を祈るばかりである。

首里城が放った大事なメッセージとは?

最後にノートルダム大聖堂再建の決意を述べたときのマクロン大統領の演説を引用する。
「我々は、行動し、勝つために結束することができる。歴史の中で、街や港、教会を建てたが、多くは燃やされ、破壊された。そのたびに、再建された。ノートルダム大聖堂の火災は、我々の歴史が決して止まらないことを思い出させてくれる。乗り越えるべき試練が常に訪れるだろう」
「私は、この大惨事を結束の機会とする必要があると、強く信じている」
「大聖堂をもっと美しくしよう。5年以内に成し遂げる」
悲しみの淵にいたフランス人ならずとも、心に響く演説である。(この後の世論調査でマクロン大統領の支持率は3%上昇したというニュースも聞こえてきた。)
首里城にも何かが宿っているのであれば、「神から何か大事なことを伝えているメッセージ」のようにも思えてならない。

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