「ターゲット」から「フォーラム」へ

市場(マーケット)の考え方

これまでは「市場はターゲット」でしたが、これからは「市場はフォーラム」という話がある。

フォーラム(Forum)とは、何か?
語源をたどると、古代ローマの集会場/公共広場の呼称で、ラテン語のforum(フォルム:広場)に発しているらしい。古代ローマ都市の商業活動、政治・司法の集会、宗教儀式、その他の社会活動が行われるオープン・スペースであり、また市民生活の上で最も重要な都市施設のこと。

転じて、今日では、公開討論会、評議会や理事会など物事の討論や決定をする場または会を意味するようになった。「世界経済フォーラム」や「世界社会フォーラム」などが代表的な例である。

「フォーラムディスカッション」というと、テーマや趣味など、共通の話題について情報を交換し合う会合、「インターネットフォーラム」というと、インターネットコミュニティのこと。そういえば、「フォーラム●●」というフォーカス・グループ・インタビュールームもある。


場(フォーラム)があるから、人は集まる

今までは「人」と「ブランド」との関係を探ってセグメント、ターゲット、ポジショニングをはかってきたが、これからは「場(フォーラム)」が「人」をつないでいく共創(Co-Creation)が価値を生む時代になる。
これはコトラー先生の「Marketing3.0」の考えと同じだ。

自分が子供の頃を振り返ると、確かに公園という場(フォーラム)があるからこそ友達や仲間ができる構造だったと思う。公園にある鉄棒やすべり台でひとりで遊んでいると、近所の子供たちが集まってきて、会話が生まれ、鬼ごっこやゴム段(人の体や電柱にゴムひもを渡し、跳ぶ人が歌に合わせて、ゴムを足や体に引っ掛けたり捻ったりする遊び)などの遊びがはじまる。人が増えてくると、仲間となって、草野球やドロケイ(犯人役の泥棒組と捕まえる役の警察組に分かれて遊ぶ)などの団体遊びになっていく。

他方、電車の中や渋谷の交差点。
満員電車は人がたくさんいるのに、何も生まれない。交差点を行き交う人たちの間にも会話すら生まれない。それは、「電車」「交差点」は場(フォーラム)ではないからだ。

「人」がいるだけでは、何も生まれない。意味のある「場」があるから「人」は集まるのである。


ローマでもっとも美しいナヴォーナ広場

私がもう一度行きたい場所のひとつに、ローマのナヴォ―ナ広場がある。

ローマ中心街の少し西側に紀元前に造られた美しい芸術的な広場で、10年前旅行した時、数多くあるローマの広場の中で一番好きなところになった。朝・昼・晩で雰囲気が変わる美しい広場(フォーラム)に滞在中、よく足を運んだのを覚えている。特にライトアップ後の散策のとき、美しさに心を奪われ、そこからずっと離れたくない気持ちになるから不思議だ。しばらくしてから、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」の舞台ともなったので、著書の主人公のラングドンに扮して、秘密結社イルミナティを名乗る者が起こす殺人を阻止するべく、広場を駆け巡りたいと思っている。

なぜ、こんなにも惹かれるのか?

今から2000年以上前、ドミティアヌス帝が造らせた競技場が元となっていて縦に細長い特徴的な形をしている。広場中心にはバロック彫刻の傑作といわれる、ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)作の「四大河の噴水」があり、その向いには曲線が美しい聖アニェーゼ教会(S.Agnese in Agone)がそびえている。

芸術的な魅力はさることながら、人々が絶えない場(フォーラム)であることにも惹かれるのだ。人々によって長い間刻まれてきた歴史、さまざまな物語性を感じるからミステリアスでロマンチックな印象なのかもしれない。


情報は「場(フォーラム)」にある

情報は「会話」「対話」から生まれる。しかし、その前に「場(フォーラム)」があることが先である。「場(フォーラム)」があるから「コミュニケーション」が生まれ、「会話」「対話」が生じるのである。

人との関わりの中で、「生活空間に入り込む」「声を聴く(リスニング)」「巻き込む(コラボレーション)」「行動に寄り添う」「棲み込む」・・どれも、生活者視点で大事な考え方だし、どれも正しい。

しかし、その前に「同じ場・空間・時間を共にする」ことが先ではないか。

その場を一緒に体験共有してはじめて、思いもよらない行動や予想外の出来事に出くわし、色々を感じることができるのだ。

そして、マーケターはそれらの「意外な行動や出来事」に出くわしたときに「おやっ?」と気づく力を身につけておくことが大事なのだと思う。


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