「自分探し」を探してみる(13)私の成り立ち・子供時代2

「本当の自分」がわかる心理学より(その2)   
    前回(12)は→です https://note.com/umi2100/n/n7a7fa9447bc8
〇「内なる子供」の傷(影子)を感じないようにする防衛戦略
 前回は、「内なる子供」の存在を、どうやったら確認できるのか、という疑問に対する筆者の答えを紹介した。筆者はこの確認ができると、次の疑問である、どうやったら「内なる子供」の傷を修復できるのか、についても解決可能になるとする。
 その方法としていくつか紹介しているが、ここでは以下の三つを挙げておく。
1 心の支えになってくれる人を思い浮かべる
2 大人の自分の目線で取り組む
3 内なる子供の傷(影子)を否定しないで受け入れる

ところで、この本を読んだ人の中には、次のような感想を持った人がいるに違いない。すなわち、期待を膨らませながら読み進み、いよいよ一番興味ある「傷を修復する方法」の部分を読んでみたら、月並みな内容だったのでがっかり、というものである。
  私も、それに近い感想ではあるが、それでも筆者の示した方法は役に立つし、毎日の習慣にしても良いものだと思う。順番に検討してみよう。

1心の支えになってくれる人を思い浮かべる
 仕事などで失敗しても、「心の支えになってくれる存在がいる」と感じることができるだけで、癒された体験も持つ人は少なくないはずだ。またこうしことで「内なる子供」の傷が癒されるという主張に対しても違和感は少ないだろう。
 私は、人は群れで生きる動物なので、支えの存在の意義は大きいと考えている。ただし、支えは家族や愛する人だけでなく、会社やサークルなどの組織、あるいは宗教や信条などの抽象的な存在でも有効だと思っている。
 しかし支えてくれる存在を求めても、見つからないため悩んでいる人も多いのが実情ではないか。したがって私としては「心の支えになってくれる人や存在の探し方」を教えて頂きかった。

2大人の自分の目線で取り組む、
 大人の自分の目線で取り組むとは、理性的で合理的な判断をするという意味だ。たとえば前回、信念の話でも触れたが、私は「こんな行為をするのはみっともない」と感じることがある。しかしそんなとき、「目的のためには仕方がない」とか「他人がみっともないと判断するとは限らない」など自分に言い聞かせることで、行動に移せたことは何度もあるし、結果的にはこれを繰り返すことで「恥ずかしい」と感じる頻度が徐々に減った。
 私はこの方法は役立つとは思うが、それが「内なる子供」の癒しになる、という主張に同意しているわけではない。
 話は少し逸れるが、かつては精神分析はカウンセリングや心理療法の主役ともいえる存在だったが、現在では認知療法にその座を奪われた感がある。認知療法は主にこの「大人の自分の目線で取り組む」、すなわち理性的、合理的という視点で、認知の歪み(極端な見方や考え方)を是正しようとする。認知の歪みは「内なる子供」の傷(影子)に相当する概念だが、精神分析とは異なり認知の歪みがどんな形で作られたかは問わない。
 ところで筆者は「私は不安だ」ではなく「私の内なる子供(影子)が不安になっている」など、自分自身を少し離れたところから見る方法、つまり俯瞰する方法も推薦している。筆者はこのやり方については詳しく述べていないが、理性的、合理的という視点を持つこと以上に有用だと私は考えている。

3 影子(内なる子供の傷)を否定しないで受け入れる、
 私はこれができるのが一番望ましいと考えているが、私を含め多くの人はそれができないので困っている。本文において筆者はいくつかの方法を述べているが、残念ながら「なるほど」と思える部分は見つからなかった。

さてこの本の紹介はここまでにする。
この時点で二つのことを述べて終わりにしたい。
一つは本来の自分とは、という問題である。内なる自分を修復した状態が本来なのだろうか、修復できない今の状態が本なのだろうか。という疑問である。この話は後日にしたい。
二つ目は著者の主張を全面的に受け入れるためには、まずは「内なる子供」の存在を読者が認め受け入れるかどうかにかかっている、ということだ。
 たとえば前回私は、母親の言動で私の「目立つことはすべきではない」という信念が生まれたといった表現をした。
しかしながら、もともとこの信念は母親自身が抱いていたものだ。そうなると、これは母による子供時代の体験をきっかけに生まれた信念というよりも、母が持つ、引っ込み思案や内向的という性格傾向が、遺伝子によって私に受け継がれたと理解することも可能だ。                                そんな訳で、次回はもう一度、遺伝子の問題を考えてみたい。


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