女性であることについて考えてみた。

わたしの分類的性別は、女性です。
生物学的にも、女性です。

だけど、中身(心)は女性?と聞かれたら、
そこは中性的かも知れません。
はっきり「女性」だと断言することができません。
46年間わたしとして生きていますが、
わたしの中には色んなわたしが存在し、
未だ自分の実体がはっきりわからないのです。

バックグラウンドとして、
男尊女卑の環境で、
女に価値はないと言われながら育った経験から、
自然と男になろうとしていた、わたし。

かわいい服にはいっさい興味がなく、
いつもTシャツに短パン、
色はモノトーン一択。
髪も短く切っていたし、
甘えることが何よりも苦手でした。

母にとっては、唯一の女の子供であるわたし。
物心つく前の頃には
フリフリの白いワンピースとかを着せられている写真があります。
女の子が生まれて嬉しかったんでしょうね。
かわいい服を着せたかったのでしょう。
日に焼けた黒い肌で、
短く切った髪で、
ふてくされた表情で棒立ちのわたし。
全く似合わない、
自分の好みでもない服を着せられ、
いかにも不服そう。

昔からずっと、
かわいいと言われることはなく、
いつも言われるのは「カッコいい!」

それは、今も変わらないわたしの本質なのだと思います。

全部自分で抱えて、
誰よりも頑張って
先頭を率いていくことこそ自分の役割だと。
みんながわたしを頼りにしてくれる、
それこそがわたしの価値であり、
生きていることを実感できる象徴でした。
小学生の頃までは。

中学生になると、
色々なシーンで男性、女性と区別が始まりました。
象徴的なのは、保健体育の内容。
身体的な変化が目にも明らかに始まり、
否が応でも男女に分けられていく現実に直面しました。

みんなどちらかに属しているのに、
わたしの属したいカテゴリーは存在しなかった。

どちらにも属せないわたしは、
自然と心を閉ざしていきました。

それでも、周りは放っておいてはくれず、
リーダーという看板を背負い、
みんなのために!という一心で、
自分の心を奥に仕舞い込み、
そんな心と身体が上手く噛み合わなくなり、
でも誰にも言えない環境で、
いつもこっそり胃薬を飲むような思春期を過ごしました。

進学で家を出てからは、
わたしのことなど何ひとつ、
誰ひとり知らない人ばかりの環境で、
イチから自分を作り直すことができました。
誰かの期待に応える必要はなくなったし、
男になる努力も必要なくなりました。

心と身体が解放されて、
胃薬を飲むことはなくなりました。

それでも活発でカッコいいことを好む基質は変わりませんでしたが、そんなわたしを好きだと言ってくれる人がそれなりに現れました。笑
そういう経験で、
こんなわたしでも男性から見ると女性に見えるんだなー、と思ったりしたもんです。

単純に、
好きだと言ってもらえることが、嬉しかった。

だけど、好きだと言ってくれるその人を、
わたしも好きになれるかというと、
それは違いました。

好きだと言ってくれるから、
好きにならないといけない!という努力を始めてしまい、それはだんだんしんどくなり、
最終的には疲れ果て、上手く続きませんでした。

逆に、
自分から好きだと思う人に気持ちを伝えても、
同じような現象が起こりました。

わたしは女性として、男性と心を通わせることができない人間なのだ、と思いました。
中身が中性だから?

そんなことを繰り返しながら、
学生から社会人になって、
また環境が変わって、
自分で自由に使えるお金が増えて、
わたしは自分を喜ばせることに夢中になっていきました。

どんな時でも、わたしはわたしのことが大好きでした。それは今も同じ。

自分が着たい服を着て、
自分をキレイにメイクしてあげて、
自分が楽しいと思える場所に連れて行ってあげる。
そうすると、自分が喜んでいるのがすごくよくわかりました。

素敵な服を探すのも、
楽しいことを探すのも、
誰かのためではなく、自分のためなのです。

その気持ちを共有できる人がいたならば。
その時こそが、その人との関係を築く時だと思っていました。
どちらかの考えを押し付けるのではなく、
お互いの良いところを、認め合える人。

夫と出会ってからは、愛される安心感を得ました。
守られている、と感じていました。
仕事も辞めていいよ、と言われたし、
もう無理に頑張る必要がない、と思いました。
その時わたしは人生で初めて、
「かわいい女性」でした。

だけど、あまりにも無防備だった、わたし。
愛に麻痺させられて、見失っていた自分。

夫は、夫の両親からわたしを守ってはくれませんでした。

信頼は一瞬で消え、
わたしの中にはまた男になる必要性が出てきて、
喜んでいた女性はまたどこかに消えてしまいました。

それでも、出産を経験したことで、
身体的には女性ホルモンで満たされ、
生物学的な女性であることを思い知らされました。
すべてホルモンに支配され、
身体が伸びたり縮んだり、
丸みを帯びたり、感情が乱高下したり。

子育て中は、父親役、母親役同時に行っていましたから、中性的なわたしだったと思います。
キレイに着飾ることは諦め、
楽しいことを探すのも、
自分の希望ではなく、子供の希望するところ。
子供たちを守ることに全力を注いでいました。
自分が守られることは諦めて。

そんな時期もあっという間に過ぎて、
男になったり、女になったり、
色々な経験をして、
わたしはやっぱり女性でいたいと思っているみたい。
再び、自分を喜ばせることを楽しんでいます。

洗練された服、物、
人でさえも厳選して、
自分がそうなりたい!と思える方向に、
環境を整えていっている真っ最中。

わたしの魅力は何なんでしょう?
どうすればわたしらしくいられるのでしょう?
毎日自分に問いかけています。

そうはいいつつも、
46歳という年齢を迎え、
老いが迫ってくるのを実感し、
魅力なんて、なんだかなぁ?
とも思っています。

更年期と言われるゾーンに入り、
ホルモンバランスが変わったことも体感し、
これからいつ体調に異変をきたすのか、
内心ハラハラしながら。
いよいよ子供を産む機能が終わるのだな、という
一抹の淋しさもあり、
女性って、本当に色んな感情と戦わなければいけないんだなー、理不尽だなー、って感じています。

愛する人の子供を産む。
それがもうできなくなる。
これはひとつの小さな絶望です。

でもこれからは、
当たり前に持ってたものがなくなっていって、
できなくなることが少しずつ増えてきて、
そういう小さな絶望が増えてきて、
それと上手く付き合いながら生きていかなきゃいけないんだろうなー。

女性らしさの象徴だった、
ハリのあった肌にはシワが増え、シミができ、
鍛えてきた身体もたるみがちになり、
いくら手入れをしても、
どんどん白髪は生えてくる。

今の、これからの自分を受け入れて、
楽しく付き合っていくしかない。
昔と比べない。
若返ろうと思わない。
色んな経験を積んだからこそ、
見えることがたくさんある。
豊かな感情で感じることができる。

今の自分が、いつだって最高の自分だ。

いつかわたしの愛する人が、
わたしに魅了されますように!
そして、
愛されている顔の女性になれるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?