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心臓の動かし方を


文を書けなくなった。

なんか最近、文を書けない。
書けるんだけど書けていない感じ。
息を吸っても酸素が入ってこないときの感覚と似ている。

コインランドリーに濡れた服を放り込んで、いつものように近くのコーヒースタンドに行ってみたら臨時休業だった。
あてもなくぶらぶら歩きながら冷たいチャイが飲みたいなあと思った。
この間、いつものカレー屋さんでテイクアウトをしようとメニュー表をめくっていたら”マサラティー”という項目があって、「これはもしやチャイか!」と思って頼んでみたらチャイだった。めっちゃ美味しかった。
しかもテイクアウトのおまけということで「こちらサーヴィスです」と言ってくださった。嬉しかった。
それ以来ハマっている。
そんなことを考えながら折り返してコインランドリーに戻ってきて、椅子に座って今これを書いている。

書けている。けど書けていない。
何が引っかかっているんだろう。

そういえば一時期、“文字を書けない”という経験をした。
白い紙に、黒い文字を書けなくなったのだ。
テストが受けられない、ノートが取れない、簡単な書類の記入ができない。
少し困ったけど、「やり方を工夫すれば大概のことはなんとかなる」と学んで知っていたから、工夫した結果、やっぱりなんとかなった。

iPadを購入してみた、
ノートを茶色の紙に変えてみた、
黒じゃなくて青や銀色のインクのペンにした。

問題は解決され、日常は続く。
少し奇妙だけど、むしろ楽しい日常が続く。
そういえばあのときも、「なんか最近、文字を書いてるんだけど書けてない感じがする」と言って周りの人を困惑させていたなあ。
なるほど、無意識でできていたことができなくなる予兆だ、これは。

無意識でやっていることのやり方がわからなくなる感覚というのは独特だ。
文字が書けなくなると「書き順もわかるけど、どうやってそれを紙の上に書くんだっけ」ってなる。
悪夢から飛び起きたとき、体が息の仕方を忘れていたりすると「あれ、息ってどうやって吸って吐いてたっけ」と思う。
駅のホームでいきなりサイレンが鳴って体が動かなくなったりすると「ああ、腕ってどうやって動かすんだっけ」ってなったりする。

初めて、無意識でやっていたことができなくなったとき、それはまあびっくりした。ものすごく怖かった。
でも「うーん、わかんねえわ」と思ってぼーっとしていれば、そのうち元通りにできるようになると学んだ。怖さは時間差でやってくるようになった。
下手にできないことに注目して焦ったり、原因を探したりしても、いいことにはならない。病院に行ったって、診断はつかないし、薬も効かない。

心臓の動かし方がわからなくなるときも、いつかくるのだろうか。
その予兆は、「心臓は動かせているんだけど、動いていない」だろうか。

ああ、知っている。僕知ってるなあ、それ。
自分で心臓を動かすのをやめてえなと思ってるときだ。
なるほど、すごく納得した。
僕は怖いんだな。

文字を書いて点数をつけられるのが怖い。
息をつなげるのが怖い。
この状況で体を動かすのが怖い。
生きるのが怖い。
今、僕は文を書くのが怖いのだ。

相手を困惑させてしまったことが、相手に心配されたことがある。
僕はただ見たり聞いたりしてもらいたかったのだと思う。
僕は生み出すことはできるけど、生み出したものを存在させることはできない。
生み出したものは僕じゃない誰かに観測されることで存在する。
だから誰かに観測してほしかった。
でもそれらが観測される代わりに、僕が病院へ連れて行かれた。
診断はつかず、薬は効かなかった。
僕から生まれるものは、僕が持って生まれた性質と感性から生まれていて、それらが相手を困惑させたり心配させてしまうのがすごく申し訳なかった。

でももういいや。

心配する人もいるだろう。
共感する人もいるだろう。
それでいいことにする。
僕は僕だ。

僕はこの数ヶ月間、Sky日記のアカウントを作ってから、本当にいろんな言葉をいろんな人からいただいた。
僕から生まれたものが、初めて観測してもらえて、存在することができた。
しかもその存在を素敵だと言ってくれる人もいた。
生きていると思った。
いつか、心臓の動かし方を教えて、と言われたら、「やりたいことをやりなよ」と答えようと思う。

今僕はこれを書きながら、自分の今の状態が無意識でやっていることができなくなりかけてる状態だと分かった。それは結局、それをするのが怖いからだ。
僕はこれまで、それをする怖さを別の怖さに置き換えたり、さらに時間差をつけることでなんとかやりくりしてきたけど、たぶん、今の僕には怖さを迎え撃つ準備ができていると思う。
たくさんの言葉をいただいたおかげだ。
本当にできなくなる前にこの状態を抜け出す方法として、取り留めなく書いたこの文章を投稿する。

思い出す。
書くことを思い出す。
心臓の動かし方を思い出す。

かきたいことが山ほどある。
アイスチャイ飲みながらまた続きを書いてみよう。
何から話せばいいんだろう。
観測してくれる誰かがいるなら、ちゃんと贈り物の形にして置いておきたい。
何から話せば素敵な贈り物になるかなあ。

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