見出し画像

それでもわたしは伝えていく


何を勘違いしていたのだろう。先日、ある方との待ち合わせを一週間まちがえていた。待ち合わせ場所に着いて、ようやくそのことに気がついた。

介護中の母の昼食などを準備して外に出るのにも慣れて来た。けれど、どう考えても待ち合わせに間に合いそうもない。ショートメールで10分ほど遅れると連絡したけれど返信がない。慌てて待ち合わせ場所に行くと、その人の姿はなかった。

そこで、はたと気がついた。

一週間先に会う予定の人だったのだ。

なんてこった!

というわけで、そのまま帰ろうと思ったけれど、帰りたくなかった。疲れすぎていた。どうにもクタクタなのだ。だから、そのまま馴染みの店を目指した。随分長い間、服も買っていない。気分が変えたかった。

以前からお世話になっている店に久しぶりに行ってみた。けれど、わたしはそのままその店を通り過ぎた。とてもじゃないけれど、今の自分にあんな服は必要ないと感じた。そして、色鮮やかな服が並ぶ店の前で足が止まった。

今年の春、noteのまえまきさんにOSHOZEN禅タロットで占っていただいた時、これから嵐のような変化がやってくると言われた。今それが現実に起こっている。本当に嵐のような日々が始まっている。

嬉しいことと、悔しいことと、ありがたいことと、口惜しいことと、腹立たしいことと、なるほどと思うこと、そんな揺れる気持ちの波の中にわたしは放り込まれた。

そんな日々が始まって暫くした頃、スタエフで仲良くしてくださっている方が、中島みゆきのファイトを朗読して下さった。くじけたわたしへの励ましの配信だった。

わたしは11月17日からクラウドファンディングのお願いを知人友人にしてきた。およそ15日間ほどのお願い行脚だった。若い人にはじまり、だんだんと同世代や、ママ友にも連絡をするようになった。

介護が始まり、わたしはもう長い間、誰とも連絡をとってこなかった。

すると、同年代の女性たちの多くがわたしと同じように介護中だった。もう何年も外に出ていないという人が複数人いたし、夫と母を介護しているのよという人もいた。娘さんがパワハラにあって体調を崩して休職中の人も何人もいた。そんな状況にある人たちが話を聞いて下さり、難しいクラファンの登録をしようとしてくださった。そもそも温かい人たちだったのだ。わたしの代わりに動いてくれてありがとう、なんて言葉を幾つもかけてもらった。

そんな中、最も辛辣だったのが、裕福な専業主婦と、企業で活躍する女性だった。どれほど辛辣だったか。恐ろしいほどの言葉を浴びせられた。昨日まで知人や友人だと思っていた女性たちにだ。

わたしの専門は社会学だ。この国の女性が分断されていることは既に社会学の中では知られたことだ。けれど、直に声を浴びせられると、わたしとて生身の人間だ。そりゃ、なかなか消化できるものではない。

そんな話をスタエフですると、こんなコメントが届いた。

心から、同感いたします。
ニュースキャスターでジャーナリストの安藤優子さんが「メディア業界で女性がやっていくには"ペット化"か"同化"する必要があった」とおっしゃっていて、メディア業界にいた身として、首がもげる程頷きました。
上手く出世していたり、周りのおじさまに愛されてる女性は、その傾向に異を唱える女性のほうに攻撃の矛先を向けます。攻撃されやすいのは、常に弱者です。「私たちも我慢しているのだから、同じように我慢をしなさい」という同調圧力です。わたし自身がとても苦しんできたことです

Stand.fmに届いたコメント

わたしに起こったことは、すでに世間で起こっているということなのだ。同じなのだ。届いたコメントの主は、そのことをちゃんとご存知だ。

今の体制で上手く動けている人や、そこそこ満足している人は、その暮らしが手に入らない人のことなどピンとこない。お気の毒ね、とは思っても、それが世の中よ、甘えないでとなる。そして、あなたになにができるっていうの!と手厳しい。

女性の働き方を変えたいというフレーズで最も手厳しいのが女性だなんて、こんな可笑しなことが起こるのがこの国なのだ。沢山の男性の応援の声や支援が届く中、女性がこれほどまでに手厳しいとは。さすがに心が折れそうになる。

だから、わたしは中島みゆきのファイトを朗読して下さった方の優しさに救われる。もう幾度、心の中でファイトを歌ったことだろう。その方も女性だ。もちろん、女性の大半がわたしに罵声を浴びせる訳じゃない。けれど、信じられないけれど、興奮して罵声を浴びせる女性が一定数いるのだ。

わたしはもうモノトーンの服なんか着たくない。もっと自分を奮い立たせる色の服が着たい。強い言葉を放たれた時、以前のわたしなら飲み込んでいた言葉を、今のわたしは口にする。大きな声には大きな声で応酬する。

目立ちたくなかった。とにかく静かに暮らしたいと願ってきた。でももうそんなことはどうでもよくなった。モノトーンじゃ、今のわたしにはちっともそぐわない。わたしはもう言葉を飲み込んで愛想笑いなどしたくない。嫌なものは嫌だとこの口で伝えたい。

女性の敵は女性よ!と言い放たれた、元友のあの言葉を、わたしはここで捨てようと思う。

女性が敵だと思っている女性は、お気の毒な人なのだ。本当に安全に暮らしていくためには、女性同士が手を繋ぐことがどれほどいいかということをちっともご存知ない。わたしは知っているわ、と言われる人が、本当は何も知らないことを、いつか気づくことがあるだろうか。

本当に大切なのは、真実を知る勇気を持つことだと思う。あなたは大丈夫でも、あなたの娘さんやお孫さんが穴に落っこちちゃうことだってあるのだ。わたしたちはそんな国で暮らしている。

たかが働き方と、裕福な専業主婦や、企業の役職に就く元友が薄笑いしても、わたしは大真面目にこの問題と向き合ってきた。

働き方がフェアでなければ、食べていけないほど苦しむ人が出てくるのだ。分かっているわよそんなこと、と言われても、本当にはわかってなどいない。分かっている人がそんな冷徹な言葉など口にはできるはずもない。食べていけないことがどれほど絶望的な事なのか、想像さえすることがないのだろう。困っている人ほどわたしの活動を喜んでくださった。少なくとも、わたしの周りはそうなのだ。

悪いのは男性でも女性でもない。

悪いのは知らないことだ。

悪いのは偏った考え方だ。

悪いのは知ろうとしないことだ。

悪いのは常識から出ることを非常識だと決めつけて生きることだ。

常識を疑えない人は、強い言葉を平気で口にする。たとえどれほど相手が傷ついてもお構いなしだ。わたしが一番よと言い放たれる。こんなことが起こるなんてと、まだわたしはあなた方の言葉が消化できずにいる。

今の体制でまあまあうまくやっている人の声は、時に辛辣だ。もう2023年も終わろうとしているというのに、まるでこの国には戦後の様な考え方をする人がいる。

女性の働き方には問題があるのは知って入る、でも仕方のないことだというのは、男性ばかりではない。この国はそれほど単純なつくりにはなっていない。そう、この社会の形が作り出した考え方がある。古い考えから抜け出せない男性と同じような女性がいる、そんな国なのだ。

そんなことを今、わたしは身をもって感じている。

それでも、わたしは伝えていこうと思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※17日までクラウドファンディングで活動資金を集めています。ご支援いただけますと嬉しいです✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?