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夕飯に恵まれた。


母が90歳になった。我が家にやってきて幾度目の誕生日だろう。

赤い包みから、淡いモスグリーンのブラウスと、明るい花柄のカーディガンを取り出すと、母の顔がぱっと明るくなった。

「これはショートステー用じゃないわね」

と言いながら、大きな笑顔をみせた。

倒れてから一度だけショートステーにいったきり。まだ外出も、家族旅行にも行けていない。

「来月辺り、近くに旅行に行けたらいいね」

というと、笑いながら、あらら、泣いる。


昼間、母をさがした。

小柄な母は、冬はよくダイニングテーブルの足元で昼寝をする。そこの部分にに日がさすのだ。背中に光を浴びながら、猫のように丸まって寝る。初めてみた時は驚いた。

「風邪ひくでしょ」

というと、

「大丈夫、お日様で体がポカポカしてるから」

とのたまう。

そんなものなのだろうか。

自由な人だとよく思う。

今日もそんな母を見つけて、昼過ぎ2人でゆっくりお茶を飲みながら話しをした。

「まさか、この年になってumiさんと暮らせるとはね」

と母がいう。

何を言っているのだ。それはわたしのセリフではないか。

数年前、母は固く決意して我が家へやってきた。それから数ヶ月後、田舎へは戻らない、と自ら口にしたのだった。

驚いた。小さな荷物一つで10日ほど我が家に避難にきたはずの人だった。

「わたしだって、こうして暮らす日がくるなんて思ってもいなかったから」

と答える。

いやいや、それは本当だ。人生とはわからないものだと思う。


その母が、時々口にする言葉がある。

母にとっては義父、つまりわたしの祖父がよく口にしていたセリフらしい。

「○○さんは朝食は良かったけど、夕食はそうでもなかったな」

とか

「○○さんは、苦労ばかりしてきたけれど、夕食には間に合ったな」

と。

人の人生をそんなふうに祖父は表現していたという。

人生は長い。

祖父が口にしていたのは、恐らく金銭的な事だけじゃなかったのだろう。年老いて、笑って暮らせる人がいるかいないか、そんなことを口にしていたのだろう。

そして、母は近頃、

「わたしは夕食に恵まれた」

と嬉しそうに時々口にする。まあ、悪い気はしないけれどさ笑。

一度倒れて、まあまあ仕方なく献身的な介護をした。放り出すわけにもいかないではないか。すると、今日、

「あなたたちが手厚くわたしを助けてくれたから、わたしは頑張らなきゃと思えたの」

とのたまう。あらら、そんなふうに思ってくれていたのね。それなら、いつもこんなふうにわかりやすく伝えてよね、と思う。

けれど、まあ今日は誕生日だ、特別な気分なのだろう。嬉しくもある。

訪問して下さる介護関係の皆様も、母の回復ぶりを喜んでくださっている。これほど頑張る人はいないとも褒めてくださる。

そんなエールにも応えたいのだろう。

母は新しく室内用と室外用の靴を特注した。


これなら足の長さを補えるし、脱着も楽だ。

そういえば、母は顔が年々柔和になっていくように思える。

「まさか90歳まで生きてるとはね」

と本人も驚いている。

まあ、あと10年は元気でいて欲しい。

苦労した人だ。ようやくほっとできる場所が見つかったのだろう。

母には美味しい夕飯を食べてもらおう。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

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