スカートの丈を注意するのが生徒指導?ホントの生徒指導って何?

「生徒指導」って言葉を聞くと、嫌な思い出が思い出される方も多いんじゃないでしょうか。
特に私は、夏服への衣替えの日「下着の色が白じゃない」という理由でよびだされてから、「生徒指導なんてクソだ」と思ってきました。
だって、「下着の色は白」なんてばかばかしいけど、ルールだから一応守ってやるか、と思って白地に肩紐だけ水色、プラスワンポイントのキャミソールを着ていっただけで注意されたんです。

どうして下着の色は白じゃなきゃいけないんですかね?
どうしてスカートの丈を短くしてはいけないんですかね?

この問題は、痴漢やセクハラなどに対する被害者への自己責任論にも通じるものがあります。露出の多い恰好、エロい格好をしていたら痴漢でもセクハラでもなんでもされて当たり前。って、そんなわけないことは小学生でもわかります。

下着の色や、スカートの丈を注意するっていうことは、この「自己責任論」ことを隠れたカリキュラム(*1)として教えていることになるのではないでしょうか。

基本的に清潔であれば、他の人に迷惑をかけているわけでもないし、いいんじゃないのかな。膝上のスカートなんて、実生活ではいている人はたくさんいるし、スーツだって膝上の人もいるよ。

「膝が見えてるから」「下着が白じゃない」「それが校則だから」

そんなの、私たちを納得させる理由になってなんかいない。
もっと論理的にどうしてダメなのか説明してよ、先生。
きっと多くの中学生、高校生がそう思っていると思うけど、「内申点」「調査書」を先生に人質の取られて、行動を起こせないでいる。

おかしいことはおかしいって言っていいんだよ!

私はそう言ってあげたいけど、言ってあげられない。
今の社会は学歴社会だから、安易にこれを見てくれた人の将来を左右する大事なことをあおってはいけないと思う。でも、匿名で教育委員会に意見をしたり、ツイッターで「おかしいよね」「下着の色を注意されるなんて嫌だよね」って広めていくことは出来ると思う。

「そんなの言ったって、何も変わらないよ…。」

そう思っている子も、きっと多い。
でも、ツイッターだって私の少し上の世代や私たちが、ティックトックだって今の中高生が一大ムーブメントを起こしてきた。一人一人が面白いと思ったことを表現すると、皆で大きな流行が作れる。

だからきっと、おかしいと思っていることを発信しつづければ、一人一人が発信しつづければ、なにかがきっと変わっていく。

おかしいと思うことは、声をあげてみよう。

でも、おかしいと思っているのは、大人も一緒だっていうことを覚えておいてほしい。内田良さんという教育学者は『ブラック校則』という本を書いて「おかしい!」と声をあげている。Twitter上では彼に賛同する大人が(何と先生も!)沢山声をあげている。

また、東京都の麹町中学校というところでは、制服は選択制になっていたりする。どこかの新聞のインタビューで、校長先生は「制服がない状態がわからなければ、ある良さもわからないじゃないですか」というようなことを言っていた。

「おかしいな」と思うことがあれば、自分で徹底的に調べて、声をあげてみよう。きっとそれは何よりの学びになるし、人生においてもわすれられない体験になると思う。

私が先生になって、制服や、校則のことで生徒から質問を受けて、納得してもらえなかったら、徹底的に調べ学習をさせる。
どうして制服があるのか、校長先生や教頭先生、地域の人たちにインタビューしてみたり、校則に関する本や生徒指導に関する本をよんでブックトークをしたり、制服がない学校に見学に行かせてもいい。
そうしてそれでもその制服や校則が必要ないと思うのなら、先生や保護者、地域の方々への説明を十二分に行って、他の生徒への同意を取り付けて、生徒たち自身で変えていけばいい。

きっと生徒たちは、個性の問題や家庭の経済格差の問題、友達の認知や発達の配慮など様々な問題に行きつくだろう。それを心配している大人たちをどう説得していくのか、それが現在求められている21世紀型知識の近代的な知識の一部なのではないかと思うから。

説得できなかった時は説得できなかった時で勉強、だとはおもうけど、あまりに理不尽な校則(下着の色は白とかね!!!)は生徒をサポートする形で変えていく手伝いを私も惜しまない。

ちなみに、文部科学省の「生徒指導」の定義は、「人格の尊重、個性の伸長、社会的資質、行動力」これら4つの育成であって、決して下着の色が白じゃないやつを注意することではない。むしろ反対なんじゃない?

じゃあどうして先生たちは、型にはめるような「生徒指導」の定義に当てはまらないクソみたいな指導をしてくるんだろう?

これは、私の友達の意見なんだけど、「コストの問題」なんじゃないかな。先生たちは平均の労働時間が過労死ラインだっていう報告がでている。そうなると、できるだけそぎ落とせることは削ぎ落して時間を確保するようになってくるよね。ひとりひとりの子どもたちに向き合うよりも、型にはめて一緒くたにしちゃう方がどう考えても楽なんだ。

こんなのよくないよね。だから、「教員の働き方改革」が急がれている。

でもこうやって考えると、遠くに思えていた「社会」がどんどん近づいてくるのがわかるよね。


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