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トマス・ピンチョン『V.』《砂に埋めた書架から》24冊目

 よほど記憶力のいい人でない限り、この小説を読む際には登場人物の名前を逐次メモしていくことは有効である。面倒だと思うかも知れないが利点の方が大きい。
『V.』というテキストに投げ込まれた世界は、大勢の人物が交錯する時空の坩堝だ。ピンチョンが設計した複雑に入り組んだ迷宮を短時間で探求するには、はからずも自分が記録してきたそのメモが、有能なガイドの役割を果たすだろう。

 学者が五人がかりで翻訳したことに畏れを抱きながら手に取った長編小説『V.』だが、登場人物さえ把握していけば、読破するのは難しい作業ではないと私は感じた。しかし、もう一度読み返してみたとき、この小説の様相ががらりと変わることは大いにあり得ると思う。
『V.』は、見方を変えて読み直したら、全く新しい真意が浮かんでくるような小説に思えるのだ。

 主人公は大きく分けて二人。
 海軍を除隊し、現在は道路工事に従事しているベニー・プロフェインという男。
 そして世界を股に掛ける探求者ことスパイのハーバート・ステンシルという男。

 この二人を中心にそれぞれ独立した物語が始まっていくのだが、素直に筋が運ばれていくかというとそうではない。
 特に「V.」という謎の女を探求するスパイ小説の体裁を持つステンシルの方は、年代も、舞台も、設定も違うエピソードが、果たして何の関係があって、また、どういう秩序で並んでいるのか正確に把握できないほどなのだ。
 その点、プロフェインの方はまだわかりやすい。彼は昔の海軍仲間と飲み歩いては、東海岸を行ったり来たりのヨーヨー運動を繰り返すダメ人間として登場するのだが、なぜか女にもて、おかしな「全病連」の連中との付き合いや、ニューヨークの下水道でワニ狩りの仕事、人類科学研究所での夜警の仕事など、作品内のドタバタを引き受けているようで、読んでいて楽しいのだ。
 ときおり物語の重心を整えるかのように、プロフェインとステンシルが合流するときもあり、多彩な人物、往還する時間、ペダントリーな文体など、目まぐるしい変化を見せるテキストの中において、ホームポジションのようなバランスを取っている。

 言ってみれば『V.』という作品は、例えるなら、作者も文体も違う数冊の本を、あちこち拾い読みしながら回し読んでいたら、最後にすべての辻褄が合ってしまったという、そんな奇跡を体現したような小説ではないだろうか。
 最後のエピソードを読み終えた読者は、どこかで歯車がカチリと噛み合う音を聞くはずである。

 こんな力業を成し遂げるピンチョンは、時空を超えてすべての事件や出来事を俯瞰できる、四次元の視点でこの作品を書いたと言えるかも知れない。
 1963年、作者26歳の時のデビュー作。やはり、天才である。


書籍 『V.』トマス・ピンチョン
三宅卓雄/伊藤貞基/中川ゆきこ/広瀬英一/中村紘一・訳 上・下
国書刊行会

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■追記■

 この書評(というよりは感想文)は、2010年10月に作成したものです。

 現在、トマス・ピンチョンの小説は、国書刊行会から二作品、筑摩書房・ちくま文庫から二作品、そして新潮社から『トマス・ピンチョン全小説』として八作品(全十二冊)が新訳、改訳され、刊行されています。

 私が読んだ『V.』は、国書刊行会から出版されたもので、当時手に入るのはこの旧訳版(1979)だけでした。私はそれの2003年新装版となったもの購入し、何ヶ月かかかって読んだうえで執筆したのが、上記の感想文です。

 最初の翻訳から三十年以上の歳月が経っているので、新潮社から2011年に『V.』の新訳が出ると知ったときは、即、買う! と決めていました。小山太一氏・佐藤良明氏の新しい翻訳を見ると、最初のページを比べただけでも新旧の違いがはっきりと現れています。例えば、旧訳では「黒デニムのズボン……」だったのが、新訳では「黒のリーヴァイス……」となっており、私の感覚で言うと、文章の“解像度”が上がっています。旧訳版に出てくる「全病連」(原文では「Whole Sick Crew」)が、新訳版では「ヤンデルレン」と言葉遊びになっているのも面白いです。逆に言えば、旧訳の「全病連」があるからこそ新訳の「ヤンデルレン」のチャーミングさに反応できるわけで、私は新旧どちらも楽しめる、日本の豊かな翻訳出版の土壌に感謝したい気持ちです。

 最後に、私はこの小説のタイトル『V.』の読み方で実は長い間悩んでいました。「V」の右隣に「.」ピリオド(のようなもの?)が打たれていますが、この点が何なのか、ずっと疑問に思っていたのです。最近になって、「V」は、この小説の中ではイニシャルとして登場するので、イニシャルを表記するときに付けられる点かも知れないと思うようになりました。そういう理解でいいなら、Vの右下にある点は読むときに省略してもいいのだと分かり(今頃)、自分の鈍さに恥ずかしくなっています。
 何しろ私の妄想は、例えばこのタイトルは、地図を図案化したもので、Vは半島を表し、点はそのそばにある島を表しているのではないか……とまで重症化していました。こんなパラノイアみたいな深読みをするようになったのも、多分……すべてピンチョンのせい、です。

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