Game Fan Impact 第二回 -ハードウェアの魅力-

世界初と言われるビデオゲームが世に生まれ出てから、
約65年という月日が経った。

世に生まれた、初めてのビデオゲームは○×ゲームを模倣し、
そして、世界で初めて一般に公開されたゲームは、
対戦型のテニス形式のものだった。
○×○とTennis for Twoである。

さらに、それ以前からもコンピューターの計算能力で、
ゲームを作り楽しもうという動きが活発であった。
ゲーム画面が残っていないが、
百年前にはチェスをコンピューターで制作した記録もある。

私達が、今楽しんでいるゲームの原風景と、
その技術的進化の流れの中で、
ビデオゲームの新しい楽しさは産まれた。
今回はその流れを、今一度振り返って見ようと思う。

クエスト1・原始の産声

先に紹介した二つのゲームが制作された1950年代には、
ゲーム機というものが存在せず、パソコンもまだない。
あったのは、大学などの研究施設で使用される大型のコンピューターだけだった。

昔の研究者達は、ただ自分の研究のためだけにこれを使用するのではなく、
楽しむためにも使いたいという思いが、あったのだろう。
ただ、いわゆる消費者側の一般人がゲームを自由に遊ぶためには、
もう少しだけ時間が必要となった。

クエスト2・黎明の宴

1960年代を飛んで、来る1970年代。
1971年に世界初のアーケードゲームとして、
シューティングゲームのコンピュータースペースが発表された。
残念ながら、商業的に成功はしなかったが、
ゲーム史としての、新たな船出となった。

この商業化の背景には、
主にハードウェアで使用される、
半導体の価格が低下した要因があり、
機器の量産が容易となった。
そのため、1960年代に研究を続けていた先駆者たちが、
こぞって、ハードウェアの本格的な生産体制に入っていったのである。

クエスト3・パーソナルコンピューターの台頭

アメリカでアラン・ケイ氏がダイナブック構想を提唱した1970年代。
その構想通り現在では、
personal computer/パーソナルコンピューター(以下PC)は、
あらゆるメディアを取り込み、あらゆる人々が、
インターネットや音楽、映像等を楽しめる体を成した。
その過程においても、PC用のビデオゲームが制作されていった。
PCもまた、ビデオゲームにとって必要不可欠なハードウェアなのである。

最初はPCも現在のような、パワー溢れる機器ではなかった。
OSはCUIであり、コマンド入力型で、フォルダをクリックという概念もない。
このハードウェア上で、インタラクティブフィクションというジャンルが生まれた。
小説のように文章を読み、自身の行動をキーボードで打ち込むタイプのゲーム。
当時のハードウェア事情を鑑みれば、当然の仕様だったと言えるだろう。

PCは、過去には日本国内でマイコンとして受け入れられ、
海外でも、Appleなどが奮闘し、
OSではマイクロソフトが旗を掲げた。

ビデオゲームの開発者達が、
この新しい文化を放っておくわけもなく、彼らは、2Dゲーム、そして、3Dゲームと、進化していくハードウェアに、その情熱を注いだのだった。

クエスト4 家庭用ゲーム機という神器

PCが世界を席巻しようと奮闘するその矢先、ゲームセンターでもなく、PCでもない、第三の勢力として、家庭でビデオゲームをプレイする、専用のハードウェアが、誕生した。
それが、家庭用ゲーム機である。

1970年代にアメリカで登場し、
国内においても、開発・発売された。
大きな歴史の流れで言えば、
まずはゲームとハードが一体化して発売された。
最初は決まったゲームしかできなかった。

その後、ソフトを交換して遊ぶ様式に変化し、
ソフトを開発する専門職が現れる。
しかし、アメリカでは、家庭用ゲーム機市場が、
粗悪なソフトの乱立が原因で、終焉まで追い詰められた。
その合間をぬってPCのビデオゲームが再び脚光を浴び、
日本へと影響を及ぼしていくが、
それは、また別のお話し。

クエスト5 社会現象

家庭用ゲーム機という新しい遊びは、
日本国内でも、爆発的な人気を誇った。
最も売れた最初期のゲーム機はファミリーコンピュータで、
その性能は簡単に言えば、8bitで画面は2D、音源が3音
ソフトの容量は、スマホの画像一枚すら入りきらない。
爆発的に普及した要因は、ソフトの良さにあったのかもしれない。

だが、当初コアなPCゲーマーは、
PCの性能をふんだんに使用したゲームのほうが、
グラフィックも、遊びも、音楽も、素晴らしいという意見が多かった。

しかし、時の流れと共に、
その地位は不動のものとなる。
PCも、どんどんハードウェアの性能があがっていった。
だが、家庭用ゲーム機も、圧倒的なスピードで進化していく。
家庭で遊ぶだけではない、外でも遊べる携帯用ゲーム機も登場し、
存在感を増していく。

8bitから16bit、そして、32bit、64bit、ときりがない。
そして、ハードウェアの進化と共に、
ビデオゲームの内容も、家庭用ゲーム機においては、
ハードウェアの開発企業がソフトウェア媒体の規格を作り、
カセットからCD、DVD、Blue-rayという道に進化していった。
また、ゲーム機専用のROM規格を使用することもあった。

ゲーム業界では、「ソフトが面白いからハードの人気がある」とよく言われる。
これは、一つの側面においては正しく、
最終的に他社との競争には必要な力であろう。

それを踏まえた上でも、PC、家庭用ゲーム機、そして、アーケードにおいて、新しいハードウェアの形が出現するたびに、そのパワーと進化に、とりつかれる人々も多かった。

クエスト6 アーケードの道標

アーケードゲームと呼ばれる、
ゲームセンターなどで100円を支払いゲームを楽しむ機器。
これこそが、家庭用ゲーム機の普及の牽引となった。

国内においては、インベーダーが喫茶店を満員にするほど、
人気を博し、アメリカでもドンキーコングなどが流行した。
シューティングやアクション、格闘ゲームのジャンルが生まれたのも、
このアーケードである。

家庭用ゲーム機も最初期は、
アーケードゲームの移植が活発であったほど、
その人気は高く、移植できるかできないかでも、
ハードの売り上げに差がついた。

しかし、ソフトの専門職達が、
家庭用ゲーム機でオリジナルゲームを制作し、
また、家庭用ゲーム機がだんだんと進化を遂げていくと、
その立場は逆転していく。
3D全盛の時代に入ると、ゲームセンターの集客数が減っていった。

だが、アーケードは、さらなる独自の進化をとげる。
リズムゲームというジャンルが生まれ、
アーケードだからこそ味わえる操作方法と遊びを生み出した。

レースゲームは、昔から体感ゲームとして、
車の運転に似せた操作で人気を博していたが。
リズムゲームはダンスなら実際に足を動かす、
音楽なら、独自に用意されたコントローラー(ギター型や円盤型)で遊ぶ。

音響も、大画面も、全てはアーケードの力だ。
さらに、カードゲームもテクノロジーを駆使し、
カードを動かすと画面の中のキャラが動くという操作も出現した。
家庭用ゲーム機やPCが進化する中で、
アーケードもまた、時代と共に成長してきたのである。

ファイナルクエスト ハードウェアの輝き

PC、アーケード、家庭・携帯用ゲーム機。
今やビデオゲームになくてはならない、
大切なハードウェア達。
現在であれば、スマートフォンも含まれるはずだ。

私たちは常に、その成長を追いかけて、追いつき、
そして、驚く。新鮮さを味わう。
時として、また新しいものが出たのか!という呆れも見せつつ、
それでも、そのハードで何が変わるのか?何が新しいのか?
というワクワク感を抱かずにはいられない。

ハードウェアの進化の上で、ソフトも面白くなった。
ソフトにマンネリを感じると、新しいハードが出た。
その螺旋の綺羅星に、多くのゲームファンは瞳を奪われる。

永遠に失われぬ、ダイヤモンドの輝き。ハードウェアの魅力。
その光を、これからも、燦然と放ち続けてくれるだろう。

(C) 2017 UmiIzu

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