大池先生のはなし

初めてボディコピーを書いて上司に見てもらったとき、「初めてにしては起承転結がしっかりできてる。」と褒めてもらえた。でもこれは私に文章の才能があるわけではなく、小学4年生の時に担任だった大池先生のお陰だなぁと、ふと先生のことを思い出しました。

□4年1組

大池先生はあと数年で定年になるくらいの年齢で、顔はジャッキーチェーンに似ているメガネをかけた男の先生でした。先生が少し変わり者なことは生徒の中でも有名で、たぶん他の先生の中でも少し浮いた存在だったように思います。

どんなところが変わっていたかというと、ひまわりの種は食べれるんだと言って塩で炙ったひまわりの種をクラス全員に配っておやつにしたり、百人一首を全部暗記しろと先生が考えた500パターンの方法でテストしたり。

他にもたくさんあったけど、隣のクラスではやってないのになんで?と思う授業とかたくさんありました。そんな大池先生が4年生の担任の先生になって、初日からこう言います。

「私は1年間かけて、君たちに文章を書く能力を教えます。」

これが私の文章を書くのが好きになったきっかけであり、この日から地獄の文章トレーニングが始まりました。


□居残り感想文

まず最初の訓練は、感想文でした。それまでの感想文の用紙は3行くらいしかなかったのに、A4の10行以上の線が入った用紙が配られました。当然書けるわけもなく、みんな3〜4行くらい書いた状態で先生に提出すると、その場で先生がチェックして、「これでは受け取れません。」と突き返されます。

『感想文は最後の行の、半分以上のところまで書くこと』

これが感想文以外の作文や、提出物全てのルールでした。このルールに最初はクラスみんなが絶望で、「10行も書けるわけないじゃん!!!」と思いながらも、書かないと下校の時間になっても居残りさせられるので、渋々なんとかやっとの思いで最後の行まで書く日々でした。


□『私は』禁止令

1時間かければなんとか、用紙びっしり書けるようになった3ヶ月くらい経ったある日、先生は怒ります。

「30人全員の作文が、『私は〜』から始まっていてつまらない!今後一切『私は』から書き始めることを禁止します!!」

4年生になって2度目の絶望。誰も口にはしないけど、じゃあどうやって書くんですか!!!というみんなの心の声が見えました。でも先生は続けて、「作文は物語のように書けばいい。」ということも同時に教えてくれました。

これを聞いた私はもう怒られたくなくて、「作文は自分のためじゃなくて、先生が読んでたのしい文を書けば褒められるんだ。」と、頭の中で変換して書き方のスタンスを変えます。

でもこの考え方にしてから、どうしたら読んでたのしい文章を書けるか考えることがおもしろくって、書くことが少しずつ苦痛じゃなくなっていった気がします。


□ののちゃんトレーニング

起承転結が書けるようになったのと、文章を書くのをたのしい!と感じたのは、ののちゃんの影響が一番大きかったと思います。ののちゃんは朝日新聞に毎日連載されていた4コマ漫画で、小学生の女の子が主人公の物語。

A4を横にした紙の左端1/4の部分に漫画、右側は罫線がプリントされていて、10数行でその4コマの起承転結に対して、ナレーションをつけるのがののちゃんトレーニングです。

感想文同様はじめは全然書けなくて、

「ののちゃんが帰ってきて、お母さんに話しかけます。」

みたいに見えている情報しか書けなくて。その壁にぶち当たっていると先生はまた、「正解はないので、4コマで文字は省略されているけど伝わってくる部分について書いてみましょう。」と的確にアドバイスをくれます。

そうすると、9歳の純粋で柔軟な頭にスッと入り込んで、

「ののちゃんが家に帰ってきました。なんだか、とっても急いでいるようです。どうしたのかな?あ、お母さんに話があるみたいです。」

くらいは書けるようになっちゃうんですよね。しかも、クラスのほとんどが。冬になるとクラスのほとんど全員、15分もあれば提出できるくらいに成長していました。

いい人の文章は先生が冊子にしてクラス全員に配るので、「こうやって書くといいのか!」とお手本になるし、「冊子にしてもらうゾ!」というモチベーションも上がる。このサイクルが、成長速度をグッと上げたんだなと気づきました。


□「書ける」は財産になる

先生は日頃から何度も言っていました。「文章が書けると、人生は豊かになる。」あの時は「ふ〜ん。」ってくらいに聞いていたけど、社会人になった今、本当にそうだと思います。

その後いろんな場面で文章を褒められたのも、文章を好きになったことも、そしてそれを仕事にできたのも、きっと半分くらい大池先生のお陰です。


先生は定年になったら、娘家族が住んでいる大好きな中国で老後は暮らすと話していたのでもう日本にいないと思う。こんなに記憶に残っている先生は、後にも先にもいない。もうきっと2度と会わないけど、会えるならお礼を言いたいな。

9歳の頃はできていたのに、今実践できてないことがたくさんあるなって、文字にして改めて感じました。初心に戻って、あの頃の純粋な気持ちと大池先生の教えを思い出しながら、これからも言葉を書き続けていこう。

ののちゃん、久々にやってみようかな(笑)