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書評『バラカ』

・初出2016「文藝」
・分厚いけど一気読みできる
・ポリティカルなSF

日本文学を「復興」する

 圧倒的である。ハードカバーで650頁というのは決して短くはない。それなのに気づくと読み終えていた。「一気読みでした!」と笑顔でおすすめできるような、気楽な本ではない。暗鬱で不愉快で読者に違和感と落ち着きのなさを与える挑発的な小説だ。

 震災で原発が爆発し、首都が大阪に移った日本。警戒区域で「バラカ」という少女が発見される。彼女はかつてドバイの赤ん坊市場で買われた少女だった。彼女をめぐり、母親父親、反原発派、原発推進派、棄民、あらゆる思惑が入り乱れる。全体は三部構成。第三部は大震災八年後――2019年――つまり東京オリンピック(小説内では大阪)の直前が描かれる。震災から、復興の象徴としてのオリンピック。ここまで大きな射程とリアリティを持って書かれた小説は初めてではないだろうか。

 311以降、この国では数多くの「震災後文学」が生み出されたが、僕が知るかぎり震災の強度に立ち向かえるような作品はなかった。『バラカ』はついに現れた「震災後文学」の傑作である。ただし、それは喜ばしいことばかりではない。ここで描かれ続けるのは、この日本の暗黒面なのだから……。自分の欲望のままに子供を欲しがり、ドバイで赤ん坊を買う40代女性の沙羅。ネタとしてそれを撮影する親友の優子。女をひたすら憎む、ミソジニーの塊である悪魔のような男、川島。奇妙なカルトを信奉する妻を持つ酒乱の日系ブラジル人パウロ、原発の不都合な真実を隠そうとする人々。こうした登場人物たちに日本の問題を投影することはたやすい。たとえば、女性蔑視を隠そうともしない議員たち、安易なヘイトスピーチでアイデンティティを確立しようとする者達、自己啓発本にすがりつくビジネスマン、原発を安全と言い張る政府……などなど。

 本作の連載は2011年8月号からはじまり、連載と執筆はほとんど同時進行だったという。状況に放り込まれた人間の混乱が、俯瞰ではなく同じ目線でそのまま描かれている。「バラカ」とは「薔薇香」という当て字をふられているが「バラック(仮設)」の意味でもあり、だれもがぐらぐらの土台の上でアイデンティティを獲得しようともがいているこの物語を象徴している。

 破壊のあとの「復興」こそがこの国のアイデンティティなのだと、かつて福嶋亮大は『復興文学論』で論じたが、この物語でそれを体現するのが、日本人ではなく、無国籍な「バラカ」であることをどう取るか――。いや、結局のところ誰も、アイデンティティなど獲得できていないのかも知れない。
 冒頭で述べたようにこの作品を読むことは、決して楽しい体験ではない。娯楽でも快楽でもないのにそれでも読んでしまう。小説を読む、という行為の根源的な意味がここにはある。


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