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比べることから「おもしろいもの」は生まれない

▼比較することで見つける良さは、実は良さではないのではないか。

ということをふと考えた。
きっかけはあるデザイナーさんの装丁だ。
白黒、文字のみ、というシンプルなデザインの本なんだけど、見た瞬間に「あ、あの人のデザインだな」とわかった。
このシンプルなデザインは彼のトレードマークなのである。

ところで、このデザインは果たしていいのだろうか?
たしかによく見ると奥行きの表現、版面の外へむかっていく空間の表現、全体のミニマルなかっこよさ――いろいろな小技がきいている。素人がただ文字をおいてもこうはならない。
しかし、本当に素人がただ白い本に黒い文字をおいただけのものと比べて、このデザインは優れているのだろうか。
売上やいろいろな数字のデータとして、良さが証明できるのだろうか。
ぼくはできないんじゃないかと思う。

▼人は比較してしまう生き物である

批判する目的でこういうことを言いたいわけじゃない。
考えたいのは、本やデザインにかぎらず、なんでもいいから、比較せずに単体でいいと思えたモノが自分(みなさん)にはあるだろうかということだ。

膨大な量の本を読むことで、どんどん良いと言われるものの傾向がわかってくる。
だけど、売れているものにピンとこない……という経験はだれにでもあると思う。
そのピンとこなさは比較によってなにかとそれを比べたときに、レベルが低いなあと思ったり、あるいは、比較できないためにピンとこない。
そういうものではないだろうか。

▼比較力が仇になる

比較することで育つ力とは、世間でいう見識や教養のことなんだけど、モノをつくるときはだいたいみんな既存のものと比較する。
マーケティングや商品開発だと当たり前なことだろうけれど、ほんとうにそれは当たり前なのだろうか。
比較でなにかを作ってしまうこと自体が、表現を狭くする原因になっていないだろうか。
比較することは、そのジャンルの傾向を知ることだ。
たしかにそれは足りないものだったり、既存のものを補うものだったりする。
だけどそこに面白さはあるだろうか。
ひとは知識を得ると捨てられない。
知ったことは、知らなかったことにできない。
だからあるジャンルについて、ずっと知らないまま、「あえて無知でいること」が重要な強みになりうる。


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