#670「英語史クイズwithまさにゃん」名詞の性はなんのため?&有料#13「Baugh and Cableを読む(10)Natural Gender」


#670「英語史クイズwithまさにゃん(続編)」(第4問「ドイツ語の名詞の性は男性と女性。〇か×か?」)についての原稿をお蔵入りさせていたが、有料配信#13「Baugh  and Cableを読む(10)Natural Gender」を聞いて公開に踏み切った。名詞の性についてはずっと気になっていたので、ここで投稿することにした。なにぶん素人のいうこと、デタラメの可能性も十分あるが、議論のネタになるのがあればと思って公開した。

 
 #598「メタファーとは何か?with藤平」にumisioという者から、「はじめて人間がモノや動物の動きを表すときに性別をつけて人間に例えようとした?」などとコメントしているのをコメントパトロール隊が発見!「これは堀田先生のフェチ説をないがしろにしている。」として家宅捜索。「フランス語とはどういう言語か」(駿河台出版社)のコピーを押収した。本人は「ないがしろにするなどめっそうもない。偉い先生が言ってたから」と責任を書籍に転嫁。とうわけでまずはその本から該当する箇所を要約・引用しよう。

 無生物についての豊かな表現力を求めるなら人間の行動を表現する形式を援用するのがもっとも合理的である。しかし、そのためには強い想像力、アナロジックな思考力が必要になる。また、全く違うものの間に共通性を見出すのだから抽象能力を前提とする。…フランス語では抽象名詞がまるで具象名詞のように自由自在に使えるわけがわかる。…アニミスチックな表現は予想に反して高度に知的な内容をもった文章に多い、類推的思考能力こそコンピューターにはない人間の特権。そしてフランス語はそれを生かせた一大メタフォール機構を修辞のレベルではなく基本文法にまで深く取り込んだ言語なのだ。(p3〜5)
 名詞の性は…何千年もの歴史を越え、かつ多様に文化した諸言語のほぼ全部に保存されていることは、その他の事項の変化の大きさと比べると惰性だけでは説明できません。言語は…歴史の所産としての面ももっていて、記号体系としての合理性からみれば邪魔な要素を含みますが、もし本当に無用で厄介なものなら、長い年月の間いには少しずつその要素を排除してゆきます。ところがフランス語の文法上の「性」は単に保存されているだけではありません。ラテン語と比べてみるとむしろこの特徴はだんだん強化されていることが分かります。(理由の一つは)中性が消えたこと、男女同形だった形容詞が別形をもつようになったこと、などいろいろな項目をあげることができ…これら個々の現象より大切なのは、フランス語がひとたび名詞で表現されたものは無生物でも抽象観念でも人間と同じに扱う文法体系を完成させたことであり、単語の使い方では擬人的表現がうんと多くなっていること
 それが「性」の問題とどう関係あるのか?と考えるかもしれないが、文法上の「性」は、もし動物の性別にだけ対応するものならば、それは自然認識の問題であってそれが文法に反映したとしても二次的な意味しかもたない。人間の男女の区別が言語的に無生物にも適用されるところに「文法上の性」の本質があるのです。(p8から9)

大橋保夫他「フランス語とはどういう言語か」(駿河台出版社)

 以上、大橋教授が述べているような意味、すなわち、名詞の性は何千年ものときを超えて存続してきたことをもって、現在でもその存在意義をもつという考え方にとても惹かれる。その根拠を直接科学的に証明することは難しいが、言語の中に未だ存在する無用のようにみえて存在しつづけるもの(言葉、文法)を見ることはできるような気がする。 
 例えば、日本では「テーブルに猫がいる場合」、決して「テーブルに猫がある」とは言わない。「ある」でも意味は通じるはずなのだが使わない。つまり、日本においては、生き物とモノの違いを「動詞」の違いによって明確に区分している。逆に、フランス語においては、時計などが壊れた場合、「壊れた」と言わず「死んだ」という擬人化した表現を使うらしい。日本でも似たような使い方がある。例えば、高級車を運転するときに、フェラーリーを「動かす」よりも「走らす」の方がフィットする。ことほど左様に、人間の言葉は生き物とモノに使う言葉に行き来がある。これには何か根源的なものがあるような気もする。
 最後に言葉の性に関するhellog記事をまとめている。そこにあるように、「古い時代には意味を持ったかもしれないが既に現代においては形骸化しておりフェティシズムと解釈できる。」「甲乙丙やABCという区分の方がややこしくない。」という考え方も一理あると思う。しかし、男女の違いの根拠を明らかにすることは難しいが、そもそも人間に例えるのが主眼で、男女のどちらにするかはある意味瑣末なことでは?とにかく、名詞を使うにあたっては、一旦人間の男女どちらかに例えて、人間の動作から表現を借り受けてくる、という修正には人間の根本に関わるような何かを感じる。
 こうした名詞の性を議論するする際に思い出すものに日本語の助数詞があげられる。可算名詞(生き物、モノ含めて)はどれも1個、2個と「個」で数えるのが省力的でシンプルなのだが、なぜか日本には依然として助数詞が存在する。こうした現状から推測すると、「性」であれ「助数詞」であれそこには、「名詞を裸のまま使うことがタブー視されている」ような状況があり、それゆえ名詞には面倒な「装い」、例えば「性」とか「助数詞」「冠詞」などを付け加えてきた、な〜んてことが起こったとかないか?あくまで素人の戯言であるが。
 さらにもう一つ。フェティシズムについて。例えば、人間の一部には(具体的にいうと「自閉症的性質」)「列」に対する特別な執着というものが見られる。これは障害という形で片付けられがちであるが、障害による「おくれ」によって得にくい安心感を周囲に存在する「列」(例えば、カレンダーや地図)を理解することで得ている、という考え方がある。フェティシズムもその対象の違いはともかく、なんらかのものに執着することで安心感を得る意味があるのだとしたら、そこに名詞の性の合理性が浮かび上がることにならないか?これもまた素人の戯言である。

【名詞の性に関するhelog記事の紹介】
○helog#4039. 「言語における性とはフェチである」
古英語の話者を捕まえて,いったいなぜなのかと尋ねることができたとしても,返ってくる答えは「わからない,そういうことになっているから」にとどまるだろう.現代のフランス語話者にも尋ねてみるとよい.なぜ太陽 soleil は男性名詞で,月 lune は女性名詞なのかと.そして,ドイツ語話者にも尋ねてみよう.なぜ逆に太陽 Sonne が女性名詞で,月 Mund が男性名詞なのかと.いずれの話者も納得のいく答えを返せないだろうし,言語学者にも答えられない.
 言語の性とは何なのか.私は常々標題のように考えてきた.言語における性とはフェチなのである.もう少し正確にいえば,言語における性とは人間の分類フェチが言語上に表わされた1形態である.
 人間には物事を分類したがる習性がある.しかし,その分類の仕方については個人ごとに異なるし,典型的には集団ごとに,とりわけ言語共同体ごとに異なるものである.それぞれの分類の原理はその個人や集団が抱いていた世界観,宗教観,人生観などに基づくものと推測されるが,それらの当初の原理を現在になってから復元することはきわめて困難である.現在にまで文法性が受け継がれてきたとしても,かつての分類原理それ自体はすでに忘れ去られており,あくまで形骸化した形で,この語は男性名詞,あの語は女性名詞といった文法的な決まりとして存続しているにすぎないからだ.
 世界観,宗教観,人生観というと何やら深遠なものを想起させるが,そのような真面目な分類だけでなく,ユーモアやダジャレなどに基づくお遊びの分類も相当に混じっていただろう.そのような可能性を勘案すれば,性とはフェティシズム (fetishism),すなわちその言語集団がもっていた物の見方の癖くらいに理解しておくのが妥当だろう.いずれにせよ現在では真には理解できず,復元もできないような代物なのだ.自分のフェチを他人が理解しにくく,他人のフェチを自分が理解しにくいのと同じようなものだ.
 言語学用語としての gender を「性」と訳してきたことは,ある意味で不幸だった.英単語 gender は,ラテン語 genus が古フランス語 gendre を経て中英語期にまさに文法用語として入ってきた単語である.genus の原義は「種族,種類」ほどであり,現代フランス語で対応する genre は「ジャンル,様式」である.英語本来語である kind 「種類」も,実はこれらと同根である.確かに人類にとって決して無関心ではいられない人類自身の2分法は男女の区別だろう.最たる gender がとりわけ男女という sex の区別に適用されたこと自体は自然である.しかし,こと言語の議論について,これを「性」と解釈し翻訳してしまったのは問題だった.gender, genre, kind は,もともと男女の区別に限らず,あらゆる観点からの物事の区別に用いられるはずであり,いってみれば単なる「種類」を意味する普通名詞なのである.これを男性と女性(およびそのいずれでもない中性)という sex に基づく種類に限ってしまったために,なぜ「石」が男性名詞なのか,なぜ「愛」が女性名詞なのか,なぜ「女性」が中性名詞や男性名詞なのかという混乱した疑問が噴出することになってしまった.
 この問題への解決法は「gender = 男女(中)性の区別」というとらえ方から解放され,A, B, C でもよいし,イ,ロ,ハでもよいし,甲,乙,丙でも何でもよいので,さして意味もない単なる種類としてとらえることだ.古英語では「石」はAの箱に入っている,「愛」はBの箱に入っている等々.なまじ意味のある「男」や「女」などのラベルを各々の箱に貼り付けてしまうから,話しがややこしくなる.
 このとらえ方には異論もあろう.上では極端な例外を挙げたものの,多くの文法性をもつ言語で,男性(的なもの)を指示する名詞は男性名詞に,女性(的なもの)を指示する名詞は女性名詞に属することが多いことは明らかだからだ.だからこそ「gender = 男女(中)性の区別」の解釈が助長されてきたのだろう.しかし,それではすべてを説明できないからこそ,一度「gender = 男女(中)性の区別」の見方から解放されてみようと主張しているのである.男女の違いは確かに人間にとって関心のある区別だろう.しかし,過去に生きてきた無数の人間集団は,それ以外にも現在では推し量ることもできないような変わった関心,独自のフェティシズムをもって物事を分類してきたのではないか.それが形骸化したなれの果てが,フランス語,ドイツ語,あるいは古英語に残っている gender ということではないか
 私は gender に限らず言語における文法カテゴリー (category) というものは,基本的にはフェティシズムの産物だと考えている.人類言語学 (anthropological linguistics),社会言語学 (sociolinguistics),認知言語学 (cognitive_linguistics),「サピア=ウォーフの仮説」 (sapir-whorf_hypothesis) などの領域にまたがる,きわめて広大な言語学上のトピックである.

○helog#1517「擬人性」
近代英語では無生物の指示対象中性として扱われるが、擬人化(personification)され、男性あるいは女性として扱われる場合があり、これを擬人性(gender of animation)という。
これと初期中英語以前文法性(grammatical gender)区別されるべきものである。
 近代英語→無生物は中性が基本だが擬人化により男性、女性として扱われる場合あり。
初期中英語以前→文法性(詳細は不明)

○helog #852. 船や国名を受ける代名詞 she (1)
・古英語には文法性があったが,中英語にかけて文法性がなくなり,代わりに自然性(natural gender) が取って代わった
・船や国名を she で受けるという慣習は,古英語の文法性の規則とはまったく関係ない.そもそも古英語で「船」 (scip) は中性名詞であり,女性名詞ではなかった.
・船などの乗り物や道具のほかに,魂,都市名,教会,国名,軍隊,月やその他の天体なども she で受けられてきた歴史があるが,いずれも古英語の文法性の残存とは考えられない.

○helog#853. 船や国名を受ける代名詞 she (2)
・船や車などの乗り物を指す she は,特に男性が用いるとされる.これは,乗り物を愛情の対象としてとらえているからと言われる.
・国名を受ける she は,国を政治・文化・経済的な観点からとらえる場合に用いられるが.地理的に見る場合には it が用いられる.

○helog #854. 船や国名を受ける代名詞 she (3)
・1960年代以降,とりわけアメリカ英語で高まってきた言語の gender 論,男女平等という観点からの political correctness (PC) への関心がかかわっている.この観点から,人間の総称としての man(kind),女性接尾辞 -ess,職業人を表わす複合語要素 -man,一般人称代名詞としての he の使用などが疑問視され,数々の代替表現が提案されてきた.
・1930年までは国を指示する she の用法は標準的だった.実際,1900年から1930年の間で,国を指示する it の用例は3例のみだったという.ところが,1935年以降,it の例が断続的に現われだし,1970年にはshe を圧迫して一気に標準となった.

○helog #2853. 言語における性と人間の分類フェチ
言語の性の起源は,人類学者,神話学者,言語学者がそれぞれの立場から諸説を唱えてきた.男女の生理的区別を標示するもの,未開人のアニミズムに根ざすもの,人間の想像力の産物,音象徴・類推によるもの,感情的価値を示すものなど様々だ.いずれも満足のゆく説とはされておらず,この問題は未解決と言わざるを得ない.
現在の共時的な文法範疇としての性をどのようにとらえるかは,また別の問題である.多くの場合,共時的には「意味のない」分類とみなされているのではないか.宮本 (116) は次のように説明している.結局のところ,性は古代人の思惟にとっては合理的なものであったかもしれないが,いまでは文法範疇のなかで最も不合理なもの,化石化してしまった文法体系の圧力にすぎないと考えられることが多い。その結果,現代英語やペルシア語に見られるように,性の喪失を言語史上の最も有利な変化であると考える立場が生まれる。性はいかなる言語にあっても,名詞の分類にはまったく利益をもたらさず,なんら思想上の区別を表明しないとされるのである。文法性は自然的性の区分に対応しない以上贅沢品であり,したがって,性は消滅したとしてもおかしくないというのである。
さらに、…(宮本は)すべての名詞には何らかの価値がまとわりついており、この価値に基づいて,名詞に類別の観念を持ち込むことは人間的思惟にとって普遍的であるかに思われる。人間は,事物に名称を与える命名主義者(ノミナリスト)だといわれるが,同時に,事物を分類しないではおれない分類主義者(タクソノミスト)でもあるといえよう。要は,分類の価値が言語形式の上に映発されるか否かの違いである。
・(堀田)人間には,森羅万象を分類せざるを得ない性(さが)がある.要するに,人間は分類フェチである.言語の性(せい)も,この分類フェチの産物である.

○helog#4182. 「言語と性」のテーマの広さ
・10月2日の読売新聞朝刊で,JAL が乗客に対する「レディース・アンド・ジェントルメン」の呼びかけをやめ「オール・パッセンジャーズ」へ切り替える決定をしたとの記事を読んだ.人間の関心事としては最重要なものの1つとして認識される性,それが人間に特有の言語という体系に埋め込まれていないわけがないのである.

○helog#3261. ドイツ国歌の「父なる祖国」を巡るジェンダー問題

○helog#1883. 言語における性,その問題点の概観
言語と性 (gender) を巡る諸問題について,本ブログでは gender や gender_difference の記事で考察してきた.そのなかには,文法性 (grammatical gender) という範疇 (category) ,統語上の一致 (agreement) ,人称代名詞 (personal_pronoun) の指示対象など,形式的・言語学的な問題もあれば,性差に関する political_correctness,Miss/Mrs./Ms. などの称号 (title) ,談話の男女差,女性の言語変化への関与など,文化的・社会言語学的な問題もある.言語における性の問題はこのように広い領域を覆っている.Hellinger and Bussmann 編 Gender across Languages の序章を読んで,頭がクリアになった.この著書は "Gender across languages" と題する研究プロジェクトの一環として出版されたものだが,そのプロジェクトの主たる関心を5点にまとめると以下のようになる (Hellinger and Bussmann 2) .
 (1) 注目する言語は文法性をもっているか.もっているならば,一致,等位,代名詞化,語形成などにおける体系的な特徴は何か.
 (2) 文法性がない言語ならば,女性限定,男性限定,あるいは性不定の人物を指示するのにどのような方法があるか.
 (3) 中立的な文脈で人を指すときに男性がデフォルトであるような表現を用いるなどの非対称性が見られるか.
 (4) 性差に関わる社会文化的な階層やステレオタイプを表わす慣用句,比喩,ことわざなどがあるか.
 (5) 性差と言語の変異・変化はどのように関わっているか.言語改革についてはどうか.
 編者たちは,言語における性は,形式言語学上の問題にとどまらず,社会言語学的な含意のある問題であることを強く主張している.大きな視点を与えてくれる良書と読んだ.

○helog#1887. 言語における性を考える際の4つの視点
○helog#1883. 言語における性,その問題点の概観」 ([2014-06-23-1]) で,Hellinger and Bussmann の著書を参照した.そこで,言語における性の見方を整理したが,とりわけ感心したのが,性を話題にするときに数種類の性を区別すべきだという知見である.具体的には grammatical gender, lexical gender, referential gender, social gender の4種を区別する必要がある.以下,Hellinger and Bussmann (7--11) を参照しながら概説する.
 言語における性という場合に,まず思い浮かぶのは grammatical gender だろう.古英語では男性・女性・中性の3性があり,すべての名詞が原則的にはいずれかの性に割り振られていた.名詞のクラスの一種として,通常は2?3種類ほどが区別され,統語的な一致を伴うなどの特徴がある.The World Atlas of Language Structures Online より Number of Genders, Sex-based and Non-sex-based Gender Systems, Systems of Gender Assignment などで世界の言語の分布を見渡しても,性というカテゴリーは,印欧語族などの特定の語族に限定されず,世界各地に点在している.
 次に,lexical gender という区分がある.言語外の属性である自然性や生物学的性を参照するが,本質的には語彙的・意味的に規定される性である.例えば,father と mother は,それぞれ [+male] と [+female] という意味素性をもち,"gender-specific" な語とされる.一方で,citizen, patient, individual などにおいて,lexical gender は "gender-indefinite" あるいは "gender-neutral" とされる.gender-specific な語は,代名詞で受けるときに he あるいは she が意味素性にしたがって選択されるのが普通である.grammatical gender と lexical gender はたいてい一致するが,ドイツ語 Individuum (n), Person (f) のように両者が一致しないものも散見される.このような場合,常にそうというわけではないが,代名詞の選択は grammatical gender によってなされる.
 3つ目は,referential gender である.これは,ある語が現実世界で指示する対象の生物学的性である.例えば,先に挙げたドイツ語 Person は grammatical gender は女性,lexical gender は性不定だが,この語が実際の文脈においてある男性を指示していれば,referential gender は男性ということになる.同様に,ドイツ語で Mädchaen für alles "girl for everything" (何でも屋,便利屋)は男性についても用いられるが,その場合 Mädchaen は grammatical gender は中性,lexical gender は女性,referential gender は男性ということになる.これを代名詞で受ける際には,grammatical gender による場合と referential gender による場合がある.
 最後に,social gender とは,社会的な役割・特性として負わされる男女の二分法である.人を表わす名詞,特に職業に関わる名詞は,男女いずれかの social gender を負わされていることが多い.例えば英米では,lawyer, surgeon, scientist はしばしば男性であることが期待され,secretary, nurse, schoolteacher は女性であることが期待される.一方,pedestrian, consumer, patient などの一般的な名詞は,代名詞 he で照応することが伝統的な慣習であることから,その social gender は男性であると解釈できる.social gender には,その社会における性のステレオタイプがよく表わされる.
 英語史における言語上の性の話題としては,文法性の消失という問題がある.文法性が自然性へ置換されたというような場合に関与するのは,grammatical gender, lexical gender, referential gender の3種だろう.一方,generic 'he' や singular they の問題が関係するのは,lexical gender, referential gender, social gender の3種だろう.ともに「言語の性」にまつわる問題だが,注目する「性」は異なっているということになる.

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