清書版 helwaオフ会in長崎 リスナー研究発表「古英語期におけるfreshの意味が「塩気のない」だったのはなぜ?」

〇研究動機
heldio#672「フレッシュに英語史freshにhel活」において、英語のfreshの意味が元々「塩気のない」であったことを知る。なに!?聞いてすぐに過去のある出来事を思い出し、その謎の解明に取り組んだ。

1.取り組み方針
 とりあえず現時点での知識やノウハウを活用して仮説を設定、その上で英語史の知見、語源の情報をもとに検証を重ねて真相に迫る。(問題解決型)
 具体的には… 
①仮説→検証→結論の実践
仮説を立てる→仮説を検証、必要に応じて証拠を捜索、解明の手掛かりとなる知見にあたる→検証結果を踏まえて新たな仮説を立てる→検証を繰り返す
この取り組みを通じて、英語史を学ぶ意義を自分の中で明らかにするとともに、英語史の学びに不可欠な「英語語源辞典」の読み方を習得する。
②英語史活用の3つのレベルを念頭に置く(heldio#650英語史の知恵がAIに負けない…)1.語源を用いた語彙学習、綴字と発音の関係、文法変化2.英語教育や英語学との協力、他の科目(歴史、地理、国語、他の外国語)などとの連動 3.言葉に限らず物事の通時的見方を養う。

2.解決すべき問題はなにか?
 現代の英語においてfreshの意味は「新鮮な」「さわやかな」「活発な」などが主だが、古英語期は「塩気のない」という意味であったとのこと。この意味は現在でも残ってはいるが、真水とか無塩バターなど非常に限定的である。いったいなぜfreshは古英語期において「塩気のない」という意味だったのか?そして、それがどういう経緯で「新鮮な」という意味に変わった(主流になった)のか?これを明らかにしたい。

3.自分なりに仮説を立てる
今回のようにsalt「塩気のある」という語が存在するにも関わらず(=否定形not saltで表現可能にも関わらず)、別単語が存在する(fresh「塩気のない」)という事実の裏には何か理由となる社会的背景があるのでは?
(事例)山間部における「無塩」という言葉
「塩気のある」が常態であったからこそ、それを否定する語が生まれたのでは?事例のように山間部など地理的状況、何らかの歴史的背景から「塩漬け魚」が常態となっていたため、「not salt」で済まされず、fresh「塩気のない」という単語が用意されたのでは?そして、その背景となる事情が消えるにつれ、「塩漬け魚」は、「生の魚」、「新鮮な魚」と呼ばれるようになったのでは?との仮説を立てた。
 では、その仮説を裏付けるような社会的背景はあったのか?検証にとりかかろう。
4.仮説の検証(社会的背景について)
「山間部であるとか、その他の事情で「塩漬け魚」が常態となる(滅多に鮮魚にはお目にかかれない)という状況があったのか?関連書籍を読んでいるうちそれに合致するも社会状況を発見した。                                資料1
そして、この状況があったのでfresh「塩気のない」という単語が生まれ、その後そうした状況が消えるにつれ、「新鮮な」意味で使われることが増え現在に到った、とした。

5.仮説の検証(言語学、英語史に基づく)
以上、自分なりに仮説、検証を行ったが、「言語の変化」という事情を全く加味していないことが判明、よって、①fresh並びに周辺の語源を調査、②言語変化についての理論を概観し、その上で再度仮説の検証を行うこととした。
①「英語語源辞典」(研究社)で「fresh」周辺の語源を調べる      
②言語変化についての理論を概観~①の語源をどう整理し、調理するか? 

1)英語語源辞典で登場した語源情報を印欧祖語の体系図に入れてみよう♪

出典:堀田隆一「英語の『なぜ?』に答える はじめての英語史」(研究社)

2)次に、言語変化をどうとらえるか?学んでみよう♪
比較言語学を学んで言語が変化することは分かった。では、言語はどのように変化するのか?変化の類型がいくつかあるようだ。音位転換、意味変化、意味借用など  
 今回、そのうち使える類型はあるか?「意味変化」が重要にならないか?

3)ノルマン征服(1066年)以降の言語変化は関係しないか?
 中英語期におけるfresh、fersh「新鮮な」の定着に何らかの影響?

6.再度、仮説の設定
 1)から3)の言語学的知見を踏まえて、仮説を立てなおす。

資料1 歴史的背景(古英語期におけるキリスト教的背景)
〇fresh「塩気のない」の歴史的背を探る
 古英語期におけるfreshの意味が「塩気のない」だった背景には当時のキリスト教下の断食期間中における魚食が関係していると思われるので、以下その概略をまとめておきたい。
(ユダヤ教下)p29~
 アフロディーテの信者が金曜日に魚を食べる習慣があった。ユダヤ人にも金曜日(正確には金曜日の日没から土曜日の日没まで)に魚を食べる風習があった。ユダヤ人はかなり古い時代から金曜日の夕食に魚料理を食べて安息日の始まりを祝ってきた。夕食ではパンとワインと魚料理への祝福が重要な儀式として含まれていた。金曜日の夕食はcena puraと呼ばれ、cenaはラテン語で夕食の意味だがpura(純粋な)は意見が分かれている。グッドナイフは魚の聖性を意味しておりcena puraはメシアの時代の到来を予兆するものだと論じられることも。アガペーとエロスが混交した魚のシンボルをキリスト教が取り入れていくうえでのフィルターとしてユダヤ教が機能したとの考えも。少なくともメソポタミアで生まれた魚のシンボルがユダヤ教のなかにも相当入り込んでいたと思われる。
(キリスト教)p34~
 もし最初の禁欲の掟が犯されることがなければ、断食の掟がわれわれに課せられることもなかっただろう。(司教アステリウス)エデンの孫で暮らしていたアダムとイブの肉体こそが正常であり、追放後の人類は、自然が呪われたのと同様、その自然から食料を摂取し続けたため、肉体も呪われた。断食とはその呪われた肉体を正しい状態に戻し、楽園での生活へと回帰する手段とみなされるようになる。
325年ニカイヤ公会議で復活祭の日程が決定。それ以前から復活祭の前に断食する習慣があったが、レント(四旬節)として断食の期間が40日まで拡張されるのは後日。なぜ40日か?キリストが荒野で40日間の断食をしたという故事があるが、初期のキリスト教ではそれ以上の意味合いが断食にはあった。初期のキリスト教において断食が強調されるのはコプト教会の隠修士や修道院で断食期間に許されたのはパンと塩と水くらい。その姿勢は4,5世紀に活躍した聖カッシアヌスによって欧州に取り入れられる。食事はパンと塩水とオイルだけ。
 目の敵にされたのはが肉。肉やワインを肉欲と結びつける態度があった。その背景にはギリシア・ローマ時代における医学知識がある。体液理論によって、性欲を抑えたければ「冷たい」ものを食べればいい。水の中に住む魚はその「冷たい」食べものだった。
 キリスト教における断食の目的は食欲という快楽に打ち勝つことで肉体を克服することだったが、ときが経つにつれ、断食日には魚食が許されるようになり、やがて積極的に魚を食べる日へと変化、ついには「フィッシュデイ」と呼ばれるようになっていく。
 この変化の背景はよく分からないが、よく言われている説では、古来ヴィーナスの信者は金曜日に魚をヴィーナスに捧げ、魚を食べる風習があり、それをローマンカトリックが布教の過程で取り込んだ、というもの。金曜日はキリスト教ではキリストが十字架に架けられた日にあたり、レントの時期以外でも断食日とされていた。
聖ベーダは「イギリス教会史」において7cのヨークの司教聖ウィルフリッドの魚にまつわるエピソード、住民に漁で生計を立てる手段を教えた、を紹介イエス・キリストの奇跡の具現である魚の聖性が異教徒、教会側でも高まった。
徐々に魚は修道院や教会のお気に入りの食べものに。10c~11cにかけて修道院の規律回復と世俗権力からの独立を目指した改革運動がベネディクト派の修道院で起こる。肉と魚を口にしないと。が、この時代までには断食日の魚食は聖職者の間でもかなり広がっていた。
レントの時期に肉を食べないのは経済的には理にかなっていた。断食日は40日のレントだけではない。金曜日と、水曜日と土曜日も断食日になった時期もある。主要な聖人の日も四季支払日もそうだった。つまり、一年のおよそ半分が断食日だった。「肉が食べられない日」ではなく「魚を食べる日」であり、一年の半分で巨大な需要が生まれたことになる。魚はキリスト教世界の経済システムの主役となり歴史を大きく左右する要因となった。
(そのための条件)①大量の魚を捕獲する漁業技術②長期間保存技術③輸送能力
 中世の前半はウナギが需要を満たしていたが中世後半はニシンとタラ。ニシンは14cに「塩漬けニシン」、タラは10c以前に「ストックフィッシュ」という保存期間の長い商品が生まれていた。それらの販路の独占を通じてハンザが勢力を拡大した。その後、ニシンはオランダとイングランドの命運に影響を与え、タラは北米大陸の開発とアメリカ独立に影響を与えた。
52 川や湖があれば庶民でもそれなりの選択肢を楽しむことができたが、そうでなければ塩漬けニシンやタラの干物といった魚の塩漬けの日々を送らなければならなかった。
52 宗教改革はフィッシュデイをカトリックの虚飾として非難。イングランドでは個人の自由にまかせた。フィッシュデイはすでに宗教改革の時代には経済的要請どころか軍事的要請まで満たしていた。1541年海外や海上で購入した鮮魚を販売目的で国内に持ち込むことを禁じた。
漁業の衰退は海軍力の衰退に直結する。エリザベス期にも数度にわたり法令。オランダはハンザから塩漬けニシンの市場を奪い取り、さらにイングランド市場も奪った。
55 1548年エドワード6世。金曜日、土曜日、レントなど従来のフィッシュデイに肉を食べることを法的に禁じた。ウイリアムセシルが推進。水曜日もフィッシュデイに加える。「セシルの断食」とあざける。1584年に廃止。スペインに対抗する海軍力の確保。その後、ジェイムズ1世もチャールズ1世も、王政復古後にはチャールズ2世もジェイムズ2世も17世紀のイングランドは繰り返しこの政策を採用している。1640年から清教徒革命が終わる1660年まではこの政策は完全に停止した。
60 宗教改革のあと、旧教国では魚を食べ続け、新教国ではフィッシュデイは廃止されるか、ポリティカル・フィッシュ・デイとして国が強制しても国民が真面目に守ろうとしなくなった。旧教国の宗教的要請から生まれた魚の需要を支え、巨大な富を得たのは新教国のオランダであり、その地位を奪い摂るのはやはり新教国のイングランドということだろう。
出典  越智敏之「魚で始まる世界史(平凡社)

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