可哀想

少し変わってると思ってたから、あの子が登校中に石を口に入れても小学二年生の私はちょっと離れて見るしか出来ませんでした。

何日かしてその子と登校班が同じ人だけに、その子のお母さんからお話がありました。「おかしい事をしていたら止めてください。」と。

まだその頃、なんであの子はおかしいことをしてるのかも分からなくて、「障害」と言われてもピンと来なくてどんな感じで近寄ればいいかもわからなかった。

でもおとなになったはずの今もそれが変わってなくて、沢山色んな人と毎日お話する中で、どんな感じで接したらいいか分からないし普通に近付き過ぎて仕事中に試着室に引きずり込まれかけたこともあって怖いという気持ちもある、うまく距離感が掴めない。

自分がその事を考えてるのがすごく嫌です。

もっと人を分け隔てなく抱きしめれるような素直な子になりたい。

「可哀想」という言葉が使われているのが嫌いです。

「可哀想」は自分の方が上にいるから言える言葉だと思うし、本人は「可哀想」なんて1ミリも思ってないだろうから聞くと泣きそうになる。

自分のこと可哀想って思って生きてるのは悲劇のヒロインか生理前の私くらい。

いつもわからないです。

上手く言えないけど偏見が少しでも減って、できる量をできるだけ頑張れる世の中になればもっと生きやすいと思う。綺麗事なの気持ち悪。

私は「可哀想」じゃないから「可哀想」って思われるのは平気です。

上手く使えば「可哀想」だけで助けてくれたり優しくしてくれる人がいるのを知ってるから。

でも、人の事をお前が「可哀想」って言うな。

「可哀想」と思うお前の心が一番「可哀想」!

って泣き叫んでも言えたら何か変わるかもしれない。

抱きしめてあげれないけど笑顔くらいは24時間いつでも無料配布できるので私は「わたし」ができることをずっとできる人でいたいなと思います。

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