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廃城令が招いた高崎・前橋の対立(番外編 桐生明治館)

前回まで3回にわたって、群馬の県庁所在地が高崎ではなく前橋になった経緯を解説してきた。(思いのほか長文記事になってしまったが・・・)

今回は、番外編として前橋に県庁が置かれた頃の遺構が桐生市に移築・保存されているので紹介しておきたい。

桐生明治館の概要

東武桐生線・わたらせ渓谷鉄道の相生駅または上毛電鉄天王宿駅から徒歩10分もかからない場所に「桐生明治館」という建物がある。

この建物は明治11年、前橋市(現在、群馬会館がある場所)に「群馬県衛生所兼医学校」として建てられた。ただ、衛生所は翌12年、医学校も明治14年に廃止され、その後は学校や物産陳列館、農会事務所などに転用され、昭和4年に相生村役場として払い下げ、現在の場所に移築された。なお、相生村は、昭和の大合併で桐生市と合併している。

正面より、門扉が復元され「群馬県衛生所」「医学校」と掲げられている

建築上の特徴

国の重要文化財にも指定されているこの建物は和洋折衷の擬洋風建築と呼ばれる建築様式が採用されており、同時期の他の官公庁建築の様式とよく似ている。

例えば、正面に飛び出した入口があり、その2階はベランダとなっている。さらにその上には入母屋屋根があり、菊の御紋があしらわれている。この特徴的な正面の造りは、三重県庁舎(明治12年)や東山梨郡役所(明治18年)とよく似ている。

三重県庁舎(博物館明治村に移築)
東山梨郡役所(博物館明治村に移築)

また、正面と両翼が飛び出している「E」の字のような平面構成と各部屋をベランダでつなぐアプローチも三重県庁舎と共通している。

桐生明治館の立面図・平面図(出典:桐生市HP)
三重県庁舎の平面図(出典:名古屋大学地震工学・防災グループ)

このようなベランダ付き・E字平面・2階建ての擬洋風建築は特に「内務省式」と呼ばれ、明治10年代の都道府県庁舎建築ではよく用いられた形式であり、桐生明治館もその流れに位置づけられるものと言えよう。

外観・内装の見どころ

このように同時代の官公庁建築と共通性を多く持つ、桐生明治館だが、一方で他の建築ではあまり見られない特徴もある。

まず、外観で言うと下見板が用いられている点である。

横から見た桐生明治館

先に紹介した三重県庁舎や東山梨郡役所の外装は、白漆喰を基調としている。桐生明治館も、正面から見ると、白漆喰がメインになっているが、側面や背面は、漆喰ではなく「下見板張り」という板張りになっている。

正面もよく見れば、左右の飛び出した部分は下見板になっており、随所に木を前面に押し出した柱などがあり、アクセントとなっている。

柱の上部(柱頭)の装飾も興味深い。先の2例は、特に凝った意匠は用いられていないが、桐生明治館の柱頭は大輪のボタンがあしらわれている。

また、2階のベランダ部から屋根を見ると立派な鬼瓦も見えて、洋風と和風の混在しているさまがよく分かって、面白い。

各部屋も往時の姿の再現が試みられている。2階にある貴賓室などは、明治の雰囲気を味わうにはもってこいだろう。

おまけ

そこまで大きい建物ではないので見学自体は10~15分、長くても30分程度で済むかと思う。時間があれば、喫茶室を利用してみても良いだろう。

喫茶室には、昭和初期のレコードが保存されており、頼めばスタッフの方が実際にレコードをセッティングし、曲を流してくれる。
他の博物館でも、モノを見る機会はあるだろうが、このように実演してもらえる機会は貴重だと思うので、こちらも良かったら。(喫茶室で注文しなくても、見せてもらえる。)

東京方面から、桐生明治館へ直接行くなら東武鉄道の「特急りょうもう」相生駅下車が便利だろう。
もし、桐生市中心部の桐生新町重要伝統的建造物群保存地区と合わせて見学するなら、上毛電鉄を使った方が、重伝建地区へのアクセスはよい。

今回、あまり時間をさけなかったが、桐生はいろいろと見どころの多い街なので、周辺エリアの観光にからめて、この桐生明治館にも足を伸ばしてもらうと楽しめるだろう。

参考文献

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