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編集と移動(20230226)

 坂口恭平展が目的の熊本滞在。何日か過ぎたところだけど、熊本にいると、なんだか疲れる。人が多いし、なんというか、街がギラギラしている。狭いところを行ったりきたりしないといけないし、市電は混みまくってる。窮屈な感じがする。展覧会関連のところに行ったら、海に行って映画を見て坂口さんゆかりのお店で食べて……と思っていたが、ここでさっと日程を切断して福岡に行ってしまってもいいかもしれない。福岡行きの新幹線も、筑後うどんのために途中下車、なんてことはせずに身体の調子を気づかってもう、一直線に。

 このまま福岡に行って、昼にうどんでも食べて早めのチェックインで温泉に入るのもいい。事前の旅程なんて気にせず、身体の調子でそのつど切断、配置変更。

 旅行支援のクーポンも、もらったらもらったで、使い切らないと……ってプレッシャーになってつかれるので、よくない。坂口恭平展のいい思い出のまま、熊本を去りたいおもい。

 展覧会で学んだこと。作品を額に入れてどんどん外部にアウトプットしていく感覚。付け足していくんじゃなく(一般的な装飾概念)て、切り捨てていく(額縁的な装飾概念)感覚。

 仕事を辞めてから好きに過ごしてきて、それは自分にとって間違いなくいい時間だったけど、同時に、緊張感が、メリハリがなさすぎるような気もしていた。それをちょっと言語化できるような気がしてきた。

 モラトリアムには、自分の時空間に対する編集的感覚がない。自分の生活を客観視して、そこに期限を与えたり、よけいなものを切り捨てていく感覚がない。けっこうむずかしいことだけど、そういう枠づけの感覚こそ、クリエイティブな感覚を育てるのに役立つというのがわかってきたので、今後取り入れていきたい。

 で、新幹線。動くことも編集だ。身体はひとつなので、あれもこれもは選べない。いちどその場所を離れてしまったら、そこでありえた可能性は置いといて、次の場所での可能性を考えるようになる。そこでやるしかなくなる。引っ越しちゃうこと。引っ越せる人は習慣を変えやすいみたいなのも、それはそうだろうなあ。思い切って行ってみると、意外によかったりするんだろう。うん。福岡へ。

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