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ライバル


一学期

朝、駅からの登校道を歩きながら、彼は口を開いた。
「そう言えば、今日転校生来るんだっけ?」
その言葉を聞いて思い出したように、彼女は眉間に皺を寄せた。
「そう言えば、そんな話してたね。こんな変な時期に、って思ったし」
彼女はそう答えながら、納得がいかないとばかりにカバンをぶんぶん振り回した。
彼女、合上実砂(ごうじょうみさ)と、彼、安藤順司は、学年でも指折りの仲良しカップルだ。
実砂が言う「変な時期」とは、今が高校一年生の六月、ということだろう。入学して二ヵ月程度で転校、というのがどうも引っかかるようだった。

「今日も仲良しだねぇ」とからかってくるクラスメイト達に、「当たり前でしょ」と笑顔で答える実砂が着席し、HRが始まった。
「はい、おはようございます。まずはこの前話した転校生を紹介するから、静かにするように」
担任の言葉に、みんな期待を膨らませてドアの方を見れば、緩くウェーブのかかった髪を揺らしながら、女子生徒が入って来た。
「ウィストン女学校から来た、山川絵梨奈さんだ。共学にあまり慣れてないから、協力してあげるように」
その言葉に、クラス中がざわざわした。担任が上げた学校名が、お嬢様ばかりが通う名門女子校だったからだ。
さらに、紹介された方の転校生も、挨拶をするでもなく、どこか高圧的な表情を浮かべており、「ちょっと何様?」と早くもクラスの女子たちを敵に回していた。
それに気付かない担任は、「じゃあ、近々席替えするとして、とりあえずは窓際の一番後ろに座って」とか伝えている。それに、「はぁーい」と気怠そうな返事をしながら、彼女は優雅に歩いて行く。
実砂は、擦れ違い様にちらりと見、「あの席、順司の隣なんだけど。大丈夫かな、順司」とハラハラしつつ見ることしかできない。明らかに順司の苦手なタイプなので、彼のメンタル面が心配だった。
そんな実砂の心配は的中し、席に着いた彼女は、横を見て順司の顔を見ると、口角を釣り上げた。
「あら、良く見たらいい男じゃない。よろしくね」
挑発的な笑みを向けられた順司は、苦笑いを零し、だらだらと冷や汗をかいていた。

「とんだ災難……っ!」
順司は顔面蒼白になりながら、思わず叫んだ。
昼休み、実砂と一緒にお昼を食べながら、順司は机に突っ伏した。
「ほんと、とんでも転校生だね。なんか、順司のこと気に入ったっぽいし」
お弁当を口に運びながら、実砂もうーんと頭を抱えている。
「そんな元気にお昼食べて、それ言う!?実砂は、俺がどうなってもいいの!?」
「別にそんなこと言ってないでしょ。順司がああいうタイプの女苦手なの知ってるし、そもそも私一筋じゃない」
さらりと言ってのける実砂に、「そういうとこも好き!」とか叫びながら、再び机に突っ伏した順司。
この二人の仲良しっぷりが学年一なのは、そういうとこだった。入学式早々に、実砂に一目惚れした順司が、猛烈アタックを仕掛け、実砂も順司の性格に惚れて速攻OKを出したのだ。それ以来、イチャイチャする訳でもなく、程よい距離感でいる二人に、クラスメイトたちからは、「熟年夫婦かよ」というツッコミまであるレベルだ。
そんな身悶えている順司を見て、実砂は「今すぐ席替えすれば、いろいろ解決しそうなのにな」とぼんやり考えていた。

放課後、疲れ切った顔の順司が席を立つと同時に、目の前に絵梨奈が立ち塞がった。順司は、狼狽えたように思わず後ずさりをしたが、そのまま距離を詰めるように絵梨奈は前のめりになった。
「ひっ……な、何か用かな?」
「安藤くん、だったかしら?私、テニス部に入りたいのだけど、案内してくださる?」
「へ?い、いや、俺テニス部じゃないし、そういうのはテニス部の奴に……あ、ああ、伊東がテニス部だからさ。い、伊東っ」
挙動不審になりながらも、クラスメイトを呼ぶが、その叫びが届く前に、絵梨奈が順司の腕を掴んだ。
「あら?違うわ。安藤くんに案内してほしいのだけど?」
「ひぃっ!!」
挑発的な笑みを浮かべた絵梨奈は、とんでもない悲鳴を上げる順司の腕にひしりとしがみ付いた。
「ちょっと、山川さん!今すぐその手を放してもらっていい?」
実砂が物凄い表情を浮かべながら、二人の前に立ちはだかった。クラス中からは「いけ!合上!」と、応援が入る。
「何よ。私の邪魔をする訳?」
「あなたがテニス部に用があるなら、止めるつもりはないけど、順司は放して。嫌がってるでしょ?」
「あら、いいじゃない。私、安藤くんのこと気に入ったの」
そう言って、ぎゅーっと順司を掴むが、既に順司はキャパオーバーで気を失いかけている。
「それは困るわ。私の彼氏だから返して」
キッと睨み返す実砂に、クラス中から「そうだそうだ!彼氏っていうか、旦那みたいな感じだ!」と野次が飛ぶ。
「あら、そう。じゃあ、今すぐ別れなさいな。私がもらってあげるわ」
勝ち誇った笑みを浮かべる絵梨奈に、実砂は手を上げそうになるのを我慢するように拳を震わせた。
が、そこで一人の女性が飛び出した。
「いけません!お嬢様!」
絵梨奈を止めるメイドの登場に、再びクラス内がざわめく。
「お嬢様、そう簡単に欲しいと我が儘を言ってはなりません。ましてや恋人など、お嬢様ともあろう方が、こんな庶民を選んではなりません!」
絵梨奈を止めているのだが、酷い言い様に順司はついに魂が抜けてしまったようだ。実砂は倒れた順司を抱えると、二人を睨みながら吐き捨てた。
「あなたが言うように私たちは庶民だけど、ここは普通の公立高校なのだから、庶民しかいないよ。郷に入っては郷に従えと言うでしょ。だから、そっちがこっちに合わせるべきだと思うけど?それとも、お嬢様って一般常識も知らないわけ?」
啖呵を切った実砂に、クラス中からは一際大きい声援が飛び交う。「よく言ったぞ、合上!!」「きゃー!!実砂ちゃんってばかっこいいー!!」とワイワイ騒ぐ中、実砂はさっさと絵梨奈たちから離れて、「順司を保健室に連れて行くの手伝って」とクラスメイトたちにお願いしている。
メイドは怒りに震えていたが、絵梨奈はそれでもハッと鼻で笑った。
「いやね。負け犬たちがキャンキャン吠えたところで、何も怖くないわ」
そう捨て台詞を残し、メイドを連れて教室を後にした。

「うわー!!俺のせいで、実砂が目を付けられてしまったー!ごめーん!!」
順司はめそめそと泣きながら、実砂に抱きついている。
翌朝、昨日の詫びをしてきた順司に泣きつかれていた実砂は、「はいはい」と簡単に返事をしながら順司を慰めている。
「別に何とかなるでしょ。私は事実しか言ってないし。それに、喧嘩なら負けるつもりないし」
ふんっと鼻息荒く答える実砂を見て、順司はぼんやりと「そう言えば、中学まで柔道部だったって言ってたな」と思い出した。
教室に入った実砂たちを待っていたクラスメイトたちは、昨日の興奮醒めやらぬと言わんばかりに、やんややんやと祭り騒ぎみたいになった。
やがて、担任が入って来たところで静かになったが、重々しく口を開いた担任によって再び教室は賑やかになった。
「えー……昨日来たばかりの山川さんですが、今日から当面お休みになります」
その言葉に、「は?」と返すクラス中に、担任は続けた。
「昨日、テニスコートに向かってる最中に、盛大に階段から落ちて頭を思いっきり打ったみたいで、入院している状態です。特に大きな怪我でもないし、検査の結果異常もないみたいだから、そんなに長期にならないと思うが、気にしてやってくれ」
担任の言葉に、「何してんだ、あいつ」とか、「引っ掻き回しただけかよ」とか、「えー、やだー」とか、それぞれ言いたい放題のクラス内だったが、担任はそれ以上何も言わず、絵梨奈がやってくる前のように、静かな一日が始まった。

そんな静かな日々が一週間ほど続いたある日の朝、校門前で賑やかな声が響いた。
「もう着いて来ないで!一人で大丈夫だわ!」
久々に登校してきた絵梨奈が、一緒についてきたメイドに対して声を荒げていた。
「し、しかしお嬢様。まだ体調がよろしくないですよね?」
「そんなことないわ。もうどこも痛くないもの。むしろ、事故前より清々しい気分よ!」
そう叫んで走り去る絵梨奈に置いて行かれたメイドが、「そ、そんな……お嬢様ー!!」と叫びながら膝から崩れ落ちていた。
その様子を通学してきた生徒たちがひそひそと言いながら校舎へと向かって行く。

「そういう訳で、今日から山川さんが帰って来たから、今まで休んでた分をみんなで補ってあげるように」
担任の言葉に、クラス中がざわざわしていた。「そんな義理がない」と言わんばかりの教室だが、何よりも一番の驚きは、ウェーブのかかった長い髪をバッサリ切って肩下ぐらいになっていたことと、初日のキツイ表情が消えて朗らかになっていたことだった。
「ほんとに、山川本人かよ?」
あまりの別人っぷりに、思わず本音が出てしまったクラスメイトの声が響く。
それが本人の耳に届いたようで、絵梨奈はにこりと笑った。
「ええ。頭を打ったらしいけど、後遺症もないわ。むしろ、事故前よりも世界が輝いて見えるわ!」
「いや、絶対頭打った影響じゃん」とかツッコミがそこら中から聞こえるが、絵梨奈はそれすらも払い除けた。
「安藤くんと合上さんを別れさせたかったけど、私自身もなんでそんなことしようとしたのかわからないわ。今の気持ちは、二人をとても応援するし、むしろ二人の邪魔をする奴がいたら、私が成敗したいわ!」
「え、あ……ありがと?」
思わず感謝の言葉を述べてしまった順司。
「いやいや、安藤。よくそんなすぐに信じられるな!?」
クラスメイトのツッコミにも、苦笑いを零す順司だったが、授業が始まったことで、その話題は一度仕舞いになった。

昼休み、実砂の前に絵梨奈が現れた。思わず身構えた実砂だったが、絵梨奈は実砂の手をぎゅっと握って来た。
「私、先日の非礼を詫びたいの!なんて失礼なことをしたのかしら……自分でも自分のことが信じられないわ」
「え!?あ……そうなんだ……」
絵梨奈の妙に熱い謝罪を聞きながら、実砂は若干引きながら返事をするのに精いっぱいだ。
「だからね、改めて言いたいの。是非とも、私とお友達になって!二人のことを応援するし、何なら合上さんを応援したいの!」
「え、な、なんで?」
「入院中、暇すぎて二人の関係を全部調べたのよ。そしたら、二人のアツアツぶりに、私の中の何かが芽生えたわ。もう、二人を全力で応援したいのよ!」
絵梨奈が声高々と言っているが、実砂は「え、こっわ。どんな暇つぶし?」と怪訝そうな表情で絵梨奈を見つめている。
「そうだわ!これからは私のことは絵梨奈って呼んで!私も実砂さんって呼ぶわ!」
「え……いや、さん付けはちょっとキャラじゃないから。実砂でいいけど……」
「まあっ!ほんと!?私、こんなに親しく呼び合うお友達いなかったから、嬉しいわ!折角だし、一緒にお昼を食べましょう!」
ぐいぐいと距離を詰めてくる絵梨奈に、思わず後ずさる実砂だが、絵梨奈ははたと気付いてしゅんとした。
「あ、ごめんなさい。そうよね、安藤くんと一緒の方が良いわよね。私、邪魔になってしまうから……ええ、良きランチデートをなさって!」
そう叫んで、さっと走り去って行く絵梨奈に、呆然とする実砂だけが残された。

「ダメだ……調子狂う……」
頭を抱えながらお弁当をつつく実砂に、順司はうんと腕を組んだ。
「いや、なんていうか……初日とは別の意味で強烈だよね」
「あれは、絶対頭を打ってネジが数本吹っ飛んだ系……いや、むしろ、ネジがしっかり締まったってことかな」
「うーん、害はなさそうだけど……実砂ってば、めっちゃ絡まれてるじゃん。友達認定までされてるし」
順司がそう言うと、何かに気付いたように、視線を止めた。
「あれ?あの木の陰にいるのって、山川さんのメイドじゃない?」
その言葉に実砂も視線を向ける。確かにそこには、今朝、絵梨奈に校門で振り切られたメイドがいた。
「彼女に聞けば、何があったかわかるかも」
そう言うと、実砂は彼女に駆け寄った。
「こんにちは、メイドさん」
「っ!?あなたは、お嬢様のクラスメイト!?な、何ですか。庶民のあなたたちが、私に何の用があるのです」
キツイ物言いにも動じず、実砂は目を見てハッキリを言った。
「あなたのお嬢様のこと。入院中に何があったわけ?キャラ変するにしたって、あれはどう見てもおかしいでしょ」
「お、おかしいとか、お嬢様に対する冒涜です!庶民のあなたたちが言っていいセリフではございません!」
「メイドさんのことよく知らないけど、あなたも庶民なんじゃなくて?」
思わずツッコんだ実砂の言葉に、ドキィッと肩を揺らし、「た、確かに元々は一般家庭の出ですが……」ともごもごとぼやいていたメイドだが、すぐに冷静さを取り戻したようだった。
「で?お嬢様の何を知りたいというのです?」
「頭を打ったって言ってたけど、あれは後遺症じゃないんだよね?」
「ええ。お医者様の話では、脳に異常はないようです。とは言え、あの性格の変わりようなので、旦那様も頭を捻っておいででしたが……人として成長した、って自己完結しているようです」
メイドの言葉に、「人としてまともになったから、蒸し返したくないんだろうな」と脳内でツッコむ実砂だったが、その考えを消すようにメイドが言い放った。
「そもそも!お嬢様が、あなた達をお友達認定されたようですね!?お嬢様の弱みでも握ったのですか!?」
「そんな訳ないでしょ。むしろ、向こうからぐいぐい来て、こっちも困ってるんだけど」
「なっ、なんて物言い!お嬢様の友達になれたのに、困ってるとは何事ですか!」
ヒステリ気味に言い放ったメイドだったが、突然第三者の声に遮られてしまった。
「おやめなさい!!」
「はっ!!お、お嬢様!!」
絵梨奈はメイドと実砂の間に割って入ると、メイドに向かって叫んだ。
「あなた、なぜまだ学校にいるのかしら?」
「お嬢様が心配で……そこの庶民とお友達になったと聞いて、心配で心配で」
「お黙りなさい!私は一人では何もできないと言いたいわけ?私が自ら選んだお友達にケチをつけるのかしら?」
「そ、そんな滅相もございません!」
地面に擦り付ける勢いで頭を下げるメイドを見下ろした絵梨奈は、そのまま実砂の手を握った。
「行きましょう。実砂、安藤くん」
「え!?でも……いいの?」とたじろぐ実砂に、メイドも「お待ちください!」と呼び止めるが、絵梨奈は再びメイドを見るとじろりと睨んだ。
「よくって?これ以上、私がやることに口を出すのなら、私の専属メイドの任を解くわ」
そう言い放ったことで、激しいショックを受けたメイドは再び地面に崩れ落ちた。

それからと言うもの、メイドを伴わなくなった絵梨奈は、自らクラスメイトたちに絡みに行き始めたことで、急速にクラスに馴染んでいった。相変わらず、自分は実砂と順司の応援団長だと豪語していたが。
夏休みを迎えても、かなりの頻度で会っていた実砂と順司だが、絵梨奈ともそこそこ会っていたので、なんだコレとは思いつつも、なんだかんだで仲良くしていたのである。

二学期

そして、二学期の始業式の日。
「おはよう!実砂、安藤くん」
絵梨奈は見かけた二人に声をかけると、ふと思い出したように声のトーンを下げた。
「そうだ!お二人とも聞きまして?転校生が来るらしいわ」
「え!?また!?」
順司の声に、絵梨奈は静かに頷いた。
「ええ。良い方だといいわね。もし、何かあっても、お二人の仲は私が守りますわ!」
ぐっと手に拳を握る絵梨奈は、謎の気合いを入れると意気揚々と教室へと向かった。

「はーい。お久しぶりです。今日から学校だから、いつまでも休み気分でいないように。じゃあ、まずは転校生来たから紹介するぞー」
担任がそう言うと、今まで担任の隣で静かに立っていた少女が頭を下げた。
「柴野瑞樹さんだ。みんなも慣れるように協力してあげてくれー」
「柴野です。よろしくお願いします」
大人しそうな見た目と同様に、静かな声で挨拶をされ、一瞬クラスが静かになった。転校してきた時の絵梨奈の鮮烈さを覚えていたためで、何故かクラスメイトたちの方が挙動不審になっていた。

「意外と地味な女が来たわね」
お昼ご飯を突きながら言う絵梨奈に、「絵梨奈が言えたことじゃないでしょ」とツッコむ実砂だったが、耳に入ってないようで絵梨奈は話を続けた。
「あら、事実じゃない。大人しいというよりも、根暗よね。まだ誰とも話してないのよ?」
「緊張してるんじゃない?絵梨奈じゃあるまいし」
「そうかしら。その割には、かなり周りを視線で追ってるのよね」
絵梨奈の言葉に、「意外と周り見てるんだな」と思う実砂だったが、今まで隣で黙って聞いていた順司が口を開いた。
「でも、俺、柴野さんのこと苦手かも」
「順司は人見知りなだけじゃない?」
「そんなことないよ!ただ、なんというか……彼女からすごい視線を感じるんだ」
「まあ!やはり、安藤くんをじろじろ見ているということね。ちょっと気持ち悪いわ」
「もう!絵梨奈は少し言いすぎ。とりあえず、こっちから声かけなければいいわけだし、変な詮索しないこと。わかった?」
実砂の言葉に、二人揃って「はーい」と返事をした。
しかし、そんな約束も束の間、午後のHRで事件が起きた。
「再来月は文化祭があるけど、来週にはクラスの出し物の企画を提出になる。みんなで相談して決めるように」
担任の言葉に合わせて、「屋台やろー」とか「メイド喫茶しよー」とかいろんな声が上がるが、絵梨奈が勢いよく「はいはーい!」と手を挙げた。
「私、演劇をやってみたいわ!それで、実砂と安藤くんをカップル役にして、いっそ物語の中で結婚までさせるわ!」
「はあっ!?ちょっと!急に巻き込まないでくれる!?」
絵梨奈のトンデモ野望に思わず実砂はツッコんだが、「それはいい!」と何故かクラス中で盛り上がった。実砂の反対の声は届いてないし、順司は既に白目を剥いている。
「あら!いいじゃない!ねえ、先生。キスシーンはいいかしら?」
「あー、いや。文化祭は地域の人も来てくれるからな。それはなしで」
その返答に、悩んでいたクラスメイトたちだったが、すぐにアイデアが上げられた。
「あっ!じゃあ、シンデレラにしようぜ。ただ、普通のじゃつまらないから、男女逆転だな。シンデレラが安藤で、王子が合上で決まりな」
「ちょっと!勝手に決めないで!」
実砂の言葉も空しく、その後もクラスメイトたちにより出し物が確定してしまった。
それに対し、実砂は暴れる寸前で、クラスメイトたちが宥めるのを絵梨奈は楽しそうに笑った。
「…………つまらない」
そう聞こえ、ふと絵梨奈は振り向くが、そこにはただただ窓の外を眺めたままの瑞樹がいた。彼女はずっと外を見ており、絵梨奈の視線にも気付いていないようで、絵梨奈はそれに対して激しい違和感を覚えた。

「いやー!助けて実砂ー!」
順司は叫びながら実砂のところへ駆け寄るが、その前にクラスの男子たちに捕まって連行されて行った。
「安藤!まだ動くなって!衣装合わせ終わってないだろ!」
「だから嫌だって!なんでドレス!?」
「お前がシンデレラだからだ」
そんなやり取りを響かせながら、引き摺られて行く順司を、同じく死んだ目の実砂が手を振る。
「安藤くんの方もピッタリだったみたいね。合上さんの方もジャストサイズだし、何ならとっても良い出来!」
裁縫が得意で衣装を作ったクラスメイトの言葉に、「あー、うん、ありがと」とだけ返す。
「きゃー!実砂ってば、とっても似合ってるわ!私も本気で魔法かける準備をしないと!」
そう言っているのは絵梨奈で、魔法使いの衣装を着ていた。気合いが入ったのか、持っていた魔法の杖をぶんぶんと振り回す。
「安藤くんの様子も見て来るわ!」
そう言いながら様子を見に行った絵梨奈は、ふと足を止めた。
「あら?柴野さん?」
瑞樹の姿を見かけたからだ。彼女は、小道具担当になったはずで、今の時間は別室で小道具の用意をしているはずでは?と疑問を浮かべた。
別に後を追うつもりはなかったが、向かう方向が一緒だったようで、絵梨奈は瑞樹の後を追う形になってしまった。
そこへ、ドレスを着せられた順司が通りかかる。順司は絵梨奈に気付く前に、瑞樹に呼び止められたようだ。
「安藤くん!」
「え!?あ、柴野さん?」
ぎょっとしたように立ち止まる順司。それもそのはずで、転校して来てから一度も話したこともなければ、クラスメイトたちとも打ち解ける様子のない瑞樹が、笑みを浮かべて順司の元へ駆け寄ったのだから。
「なんか、大変そうだね。男女逆転で主人公とか」
「あ、うん。でも、こんな経験なかなかないし、ちゃんと全うはするよ」
「そう。安藤くんって、協調性があって、優しいんだ」
そう言ってそっと順司に近付き、腕を組もうとする瑞樹に、順司はひゅっと息を飲み、一歩後ずさった。その様子に瑞樹は目を丸くしたが、すぐに笑みを取り戻すとポケットから小袋を出すと順司に渡した。
「これ上げるね。私から頑張ってるねのご褒美」
「え!?い、いや、いらな……」
全て言い切る前の順司に、瑞樹は無理矢理押し付けるとそのまま走って行ってしまった。
一部始終を見ていた絵梨奈は、ぐっと奥歯を噛みしめ、手に持っていた台本をぐしゃりと握り潰した。
「あの女!!何してるのよ!!実砂と安藤くんの邪魔をするなんて、汚らわしい!!」
絵梨奈にとって、神聖視しているカップルの邪魔者の登場で、怒りは頂点に達したようだ。
そのまま順司の元へは行かず、トンボ返りした絵梨奈は突然、実砂に宣言をした。
「実砂!私は久々に最終兵器を使おうと思うのです!」
「は?最終兵器って何?」
突然意味不明なことを言われた実砂がぎょっとして答えるが、それを聞かずに絵梨奈は「絶対に実砂のこと守ってやるんだからー!!」と叫びながら廊下を爆走して行った。
何事かと実砂は呼び止めようとしたが、絵梨奈が教室を飛び出したのと同時に、順司が入って来た。
「おっと!……え、山川さんどうかしたの?」
「あ、順司……さっき、絵梨奈に会った?」
順司は問いに問いで返されたが、すぐに首を振った。
「そう。なんか、順司のところ行くって出てったはずなんだけど、すごい早さで帰って来た後、なんか最終兵器とか叫びながら出てったんだけど……」
「さ、最終兵器?」
心穏やかじゃない言葉に、思わず反芻したが、順司は瑞樹といるところでも見られたのかと顔を青くしてしまった。
その挙動不審な様子を見て、実砂は訝しげに見た。
「順司?なんか様子変じゃない?」
「ええっ!!?そ、そんなことないけど!?」
「えー、怪しい……」
実砂にじろじろ見られた順司は、「そんなに見つめないでー!」と赤面しながら教室を出て行ってしまった。

一方その頃、絵梨奈は校庭の端まで来ると叫んだ。
「メイドー!久々に学校に現れなさーい!」
「はい!ここに!」
しゅたっと忍者のように現れたメイドを見て、絵梨奈はにんまりと笑った。
「ちょっとお願いがあるの。あの柴野瑞樹って女の素性を明かしてきてちょうだい」
「かしこまりました」
そう言うと、さっと消えていくメイドを見送ってから、絵梨奈はぐっと拳を握った。
「見ていなさい!柴野瑞樹!絶対に本性を暴いてやるんだから!」

それからの日々は、文化祭の準備で忙しくしつつ、同時に絵梨奈がひたすら瑞樹を牽制するという日常が繰り広げられていた。順司も、あれから瑞樹からの接触はないものの、かなり警戒していた。
「お嬢様、とんでもない情報をお持ちしました」
再び校庭の片隅で絵梨奈とメイドが話していた。
メイドは絵梨奈に耳打ちをすると、驚いたように目を見開き、すぐにメイドに指示を出した。
それに相槌を打つと、メイドは再びその場を後にした。
「……とんでもないことになったわね。絶対追い詰めてやるわ」
絵梨奈はそう吐き捨てると、何事もなかったように教室へと戻って行った。
準備ももう終盤だ。早ければ、明日にでもリハーサルが始まるだろう。その前に、絶対に追い詰めなければ。

「じゃあ、今日はリハーサルするよ!」
その言葉と共に、全員が立ち位置やら小道具の確認やらでわらわらと動き始める。
絵梨奈は、魔法使いの役のため、舞台に立ってしまったら実砂を助けに行けない。そのため、メイドを近くに侍らせていた。
「よくって?今日、あの女は動くはずよ。必ず現行犯で捕まえて。実砂を守るのよ」
「はい、お嬢様。お任せください」

「……合上さん」
「わっ!ビックリした……柴野さんか。なに?」
「これ、小道具」
そう言って、王子役の実砂にいろいろと渡していく。その中に一つ予想外の物があり、実砂は首を傾げた。
「え?短剣?何で?」
シンデレラのお話には不要な物に驚くが、問われた瑞樹は口角を上げた。
「だって、王子ならいざって時に戦える方がいいかなって」
「そうは言っても、シンデレラだから舞踏会のシーンなんだし、いらないでしょ。本格的すぎるでしょ。しかも、重くない?」
何となく持ち上げた実砂の言葉を聞いて、瑞樹は笑みを浮かべたまま近付き、実砂が握っている短剣の柄に手をかけた。
「ええ、そうね。だってコレ、本物だもの」
「え?」という実砂の声と同時に瑞樹は剣を抜くが、それよりも早く実砂と瑞樹の間に影が入った。
「庶民!無事ですか?ついに本性を現しましたね、悪女!」
そう叫んでメイドは瑞樹の腕を捻り、短剣を落とし、取り押さえた。
同時にこの騒ぎを聞きつけ、クラスメイトたちが集まって来る。状況を見て、ざわざわと騒ぐが、駆け付けた絵梨奈が叫んだ。
「よくやったわ!さあ、柴野瑞樹。白状なさい!あなた、安藤くんを狙って、邪魔な実砂を亡き者にしようとしたわね!」
「どこにそんな証拠があるのよ!」
瑞樹の怒鳴り声に、絵梨奈は楽しそうに笑った。
「あら?あるわよ?山川の力を舐めないでちょうだい」
「お嬢様に言われて、あなたの動向は全て把握させていただきました。全て証拠として押さえているので、このまま警察に提出します」
メイドが写真を数枚見せるが、その言い分だと他にもいろいろ残っているのだろう。瑞樹は口を震わせた後、力なく項垂れた。
「連れて行きなさい!」という絵梨奈の声と共に、メイドに連行されて行く。
「ちょっ、ちょっと絵梨奈!どういうこと!?」
刃物を向けられたとは言え、驚いている間に全て終わってしまった実砂は、意味がわからないとばかりに絵梨奈に声をかけた。
「……この前、あの女が安藤くんにちょっかいかけてるのを見たのよ」
「え!?」
実砂は驚きの声を上げてから順司を見るが、彼も気まずそうな顔で頷いた。
「やっぱり、山川さん見てたんだ。なんか、すごい近い距離感でぐいぐい来られて……でも、俺は実砂一筋だから、言い方悪いけど……その、気持ち悪くて」
「元々、転校して来た当初から少し引っかかる部分があったのだけど、それを見たらとても怪しくて。そもそも、私の大事な実砂から安藤くんを奪おうなんて罪でしょう。だから、山川の力を使って総出であいつのことを探ったのよ」
さらりと家の力を使ったことを言う絵梨奈に、実砂は若干引いたが、一先ずは黙って続きを聞くことにした。
「その結果、柴野瑞樹は転校してくる前から、実砂と安藤くんのことを狙ってたみたいなのよ」
「は?だって、彼女とは知り合いじゃないけど?」
「そうなのよね。どこかわからないけど……でも、二人がデートしてるところでも見かけたんじゃないのかしら?その時に安藤くんに一目惚れして、隣にいた実砂に激しい嫉妬をした。だから、わざわざ転校してきた」
絵梨奈の言葉に、開いた口が塞がらないが、順司は少し考えてから口を開いた。
「……それで、実砂自身を殺そうとしたってこと?」
「本当は実砂を傷つけるじゃなくて、実砂に傷つけられる、だったと思うの」
「え!?どういうこと?」
実砂の言葉に、絵梨奈はシナリオ担当だったクラスメイトから台本を借りた。
「じつは、柴野瑞樹が直談判してシナリオが少し書き換えられたのよ」
「え!?そんな話知らないけど!?」
「そうね。奇跡だと思うのだけれど、幸か不幸か実砂にうっかり伝え忘れていたのよ」
そう言ってそのページを実砂の前に出した。
「ここを見て。王子はガラスの靴を落としたシンデレラを探す指示を出した後、勇ましく短剣を抜き振り翳しながら舞台袖に捌けるの。問題はその後、王子役である実砂はこのまま短剣を小道具担当の柴野瑞樹に渡す、という手筈になってるんだけど……この時、抜いた短剣を渡すことになるわ。つまり……」
「そうか……位置が悪ければ柴野さんを傷つけることになる」
「ええ。ほんとは、それが目的だったんじゃないかしら。あなたに傷つけられたって騒げばいいだけだもの。実砂を加害者に仕立て上げて、自分は被害者を演じればいいだけなのだから」
それを聞いて、実砂と順司はすっと顔を青くした。
「でも、この変更点を奇跡と言うべきか、うっかり伝え忘れてた。結果、実砂が小道具がおかしいとツッコんだことで、彼女は追いこまれたのね。なら、次にやることは直接的にあなたを害すことだった。まあ、直接的すぎるけど……嫌な予感がしてたから、メイドに柴野瑞樹を見張らせていたのよ」
「なんで、山川さんはあんな大人しそうな子がおかしいって思ったわけ?」
順司の問いかけに、絵梨奈は口角を上げた。
「あの子、来た当初からあんな大人しそうな顔をして、静かにしていたけど、たまに酷く妬んだ表情を浮かべていたのよ。それで気になって調べたんだけど……面白いくらいに前の学校の情報が集まったわ。あの女、前の学校でも大人しそうに見えて、次から次へと気になった男にちょっかいかけていたし、その恋敵になるような女がいたら陰湿な虐めをしていたのよ。まあ、ここまで情報が集まったらもうその先は大体予想がつくじゃない」
絵梨奈はそう言って微笑むと、ぐっと拳を握った。
「私の大事な実砂と、安藤くんの仲を切り裂こうとするなんて大罪よ!徹底的に締め上げるわ!」
物騒なことを言う絵梨奈だが、それ以上に物騒なことに巻き込まれていた訳で、実砂は頭を抱えることしかできなかった。
数日後のHRで、柴野瑞樹の件が警察沙汰にまでなったことを知り、実砂が絵梨奈を見やると、彼女は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

「なんか、二学期はいろいろあったわね」
随分寒くなり、絵梨奈は白い息を吐きながらぼやいた。
その言葉を聞きながら、実砂はぼんやりと文化祭の騒動を思い出した。
「ありすぎじゃない?一学期の時もいろいろあったけど」
「あら?何かあったかしら?」
「絵梨奈が来たことだよ!」
「ああ、そうね。自分のことだから忘れてたわ。ところで実砂、年末年始は何かご予定があるかしら?」
「年末年始?特にないな。あ、順司と初詣行こうって約束したぐらい」
実砂の返答に、絵梨奈はぱあっと顔を輝かせた。
「まあっ!私も実砂を初詣に誘いたかったのだけど、安藤くんと行くんじゃ止めておくわ。ええ、是非二人で縁結びして来て!」
「え、なんでそうなるの。というか、初詣じゃなくなっちゃうけど、別日に一緒に行く?」
「え?私とも行ってくれるの?」
絵梨奈は実砂の手をぎゅっと握った。
「え、うん。構わないけど。ただ、二人でだよ。順司もいないし、メイドさんもなし。それでもいい?」
「ええ、もちろん!では、また連絡をするわ!よいお年を!」
そう言って絵梨奈はすごい勢いで去って行った。

三学期

そして、年が明け、三学期が始まった。
「はーい。あけましておめでとうございます。今年も勉学に励むように。と、ここで早速ですが、最早始業式の恒例になっている転校生の紹介があります」
その担任の言葉に、クラス中に衝撃が走った。
「え!?また!?」「うちのクラスばっか転校生多くない!?」「もう事件はごめんだー!」と、そこら中から聞こえるのを、「静かにー」の一言で黙らせると、一人の少年が入って来た。
「土木(つちぎ)さとるです。よろしくお願いします」
爽やかな笑みを浮かべながら言う彼に、クラスの女子たちからわっと声が上がる。

放課後、女子たちがさとるの周りに群がるのを横目で見ながら、絵梨奈は実砂の元へと駆け寄った。
「みんな、ああいう男がいいのね」
「顔いいし、優しそうだもんね」
「あら?実砂もああいう男がいいの?」
その言葉に、実砂ははっと鼻で笑った。
「冗談やめてよ。私は順司だけで十分。順司、帰ろー!」
「う、うん!」
実砂に呼ばれた順司は慌ててカバンを取ると走った。
その様子をさとるが見ているのも知らずに。

「まあ、ほんとにモテるのね」
絵梨奈は溜め息を吐きながら言い放った。
土木さとる、爽やかな笑顔と、明るい性格、そこに運動神経抜群、というモテる要素が入っているのだから、クラスの女子からは圧倒的人気を誇っていた。
「それでいて、誰かを贔屓するでもなく、万遍なく、それはもう男女問わずで優しくするのだから、モテて当然よね。何をしたいのかしら、あの男」
若干悪意があるような絵梨奈の言葉に、実砂は苦笑いを零した。絵梨奈は、瑞樹の件もあって転校生を信用しなくなっていた。
「あ!合上さん!」
そんな中、さとるに呼び止められた実砂はぎょっとして立ち止まるが、隣にいた絵梨奈がキッと睨みながら「何かしら?」と答えた。
その棘のある言い方に、驚いた表情をしたが、さとるはすぐに笑顔を作る。
「あ、驚かせてごめんね。次、視聴覚室って聞いたんだけど、場所わからないから、一緒に着いて行っていいかな、って言おうと思って」
「着いて来るだけなら着いてくればいいじゃない」
そう言い捨てる絵梨奈を宥めつつ、実砂はやっと口を開いた。
「絵梨奈がごめん。視聴覚室、滅多に使わないから、場所知らないでしょ?一緒に行こうか。順司、行くよ!」
それを聞いて、順司はそのまま実砂の隣に駆け寄る。その様子を見ていたさとるが口を開いた。
「ほんと、二人って仲良いんだね。クラスのみんなが口揃えて仲良しって言ってるの、よくわかるよ」
そう、笑みを浮かべながら言うさとるに、絵梨奈はちらりと視線を送った。
「それを言ったらあなたこそ、とんでもなくモテてるわよね。好青年すぎると思うのだけど、それは演じているのかしら?」
「ちょっと!絵梨奈!」
あまりにも失礼な物言いに、思わず実砂は止めたが、言われたさとるは一瞬目を開いた後、お腹を抱えて笑い始めた。
「はははっ!そんな訳ないでしょ。そんなに演技上手かったら、俳優にでもなってるよ」
そう笑う彼をじろじろ見た絵梨奈は、ふんっとそっぽを向いた。
「確かにそうね。その顔で演技力もあれば、タレント事務所が放っておかないでしょうね。まあ、そのつもりがあるなら、紹介でもしてあげるわ」
そう上から目線で言い放つと足早に行く絵梨奈の背中を見つつ、実砂はさとるに声をかけた。
「ごめんね、土木くん。ちょっといろいろあって、絵梨奈捻くれてて」
「気にしなくて大丈夫だよ。山川さんってお嬢様なんでしょう?なかなか慣れなくて大変だろうし。あと、俺のことはさとるって呼び捨てでいいよ」
そう言いながらウインクをするさとるに、実砂は思わずぎょっとした。
「え、あ、いや、やめておく」
鳥肌を立たせつつ、実砂はやんわり断ると、「そこ、右手に曲がったら視聴覚室だから!」と早口で言い、順司の腕を掴んで走り去った。
「あーあ、なかなか合上さんは落ちないなぁ」
そうぼやく、さとるの声が廊下に響いた。

「ほんと、いけ好かないわ」
絵梨奈の悪態を、苦笑いで返す順司。
普段なら、それを止める実砂がこの場にいないということもあるのだが。その実砂を目で追い、順司はぐっと口を噤んだ。絵梨奈も同じ方を見ながら、眉間に皺を寄せている。
「安藤くんは我慢しすぎじゃないかしら?よくあの状態で文句の一つも出ないわね」
「モヤモヤはするよ。ただ、実砂はあの性格だから周りから好かれやすいのは理解してるよ」
「だから仕方ないって言いたいのかしら?私なら、あらゆる手を使ってでも阻止するのだけど」
絵梨奈の言葉に、順司は「うーん、過激派」とツッコんだが、自分も彼女みたいな行動派なら、と羨ましく思ってしまったのも事実だ。
二人の視線の先では、実砂がさとるに話し掛けられ、それに答える姿が映る。
少しでも実砂が嫌がる雰囲気や、困った様子を見せれば、力ずくでも止めるつもりではいるが、今のところその素振りすらなく、順司も絵梨奈ももどかしい気持ちを抱えていた。
一方、そんな二人の疑う視線を視界の端に捉えていたさとるは、内心楽しそうにほくそ笑んだ。目の前では、自分の話にちゃんと答えてくれる実砂がおり、彼女はそんな彼らの想いに全く気付いていなかった。
「合上さん、ノートありがとう」
「それは構わないけど……頻度高くない?そんなに勉強苦手なわけ?」
「うーん、もちろん好きではないけど……合上さん優しいから、つい甘えちゃうんだ」
茶目っ気たっぷりに言うさとるに、実砂は眉を寄せた。同時に、クラスの女子がわっと集まって来た。
「ちょっと実砂。順司くんいるのに、さとるくんまで狙ってるの?」
「そんな訳ないでしょ。ノート貸してって言うから貸してただけ」
女子に囲まれながら答える実砂を見ながら、さとるが口を開いた。
「俺も、実砂ちゃんって呼んでいい?」
「はあ?お断り!」
ツーンとそっぽを向く実砂に、「残念だなー」と呟くものの、楽しそうに笑うさとる。他の女子たちは「実砂モテすぎー」と不満を述べていたが。

実砂と順司が帰宅の準備をしていると、絵梨奈がすっ飛んできた。
「実砂、話があるのだけれど、今日は空いてるかしら?」
「え?うん。どうかした?」
「良かった。では、うちでもいい?安藤くんも是非!」
それに驚いた順司は首を振った。
「いやいやいや!山川さんちとか緊張するから無理!」
「え?なぜ?」
自分が世間から見たらお金持ちだということを理解してない絵梨奈は、きょとんと二人を見るが、すぐに実砂が苦笑いをしながら答えた。
「だったら、駅前のカフェ行こう。一昨日から季節限定ケーキが出てるから、食べたいと思ってたし」
「あら!素敵ね!」
絵梨奈が喜びの声を上げ、実砂の腕を引くが、後ろから声をかけられぴたりと足を止めた。
「楽しそうだね。俺も着いて行っていい?」
さとるに呼び止められ、絵梨奈はキッと相手を睨んだ。
「まあっ!生憎だけど、私達三人でお喋りするのだから、あなたは邪魔だわ」
「うーん、でもさ、合上さんと安藤くんの間を邪魔してるのは、山川さんじゃないかな?」
若干、痛い所を突いてきたさとるに、絵梨奈はギリギリと奥歯を鳴らした。
「お黙りなさいな。私はあなたと違って二人の邪魔をしているのでなくて、応援をしているのよ!」
「えー。そんな風には見えないけどな。山川さんが行くなら、俺も行くー」
さとるの我が儘に、絵梨奈はキーッと怒り狂っていたが、実砂が助け舟を出した。
「ちょっとやめてよ。そもそも、絵梨奈が私に用があるって言ってるんだから、それは違うでしょ。三人になるのが嫌だったら、順司を外すべきじゃない」
正論を述べる実砂だが、順司は「え!?」と動揺した。一方のさとるも一瞬目を見開いたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「そっか。じゃあ、安藤くんは俺と帰ろうか」
「え!?やだ!」
物凄い速さで断る順司だったが、その手を実砂が握った。
「まあ、順司は私と帰るから一緒に行くけどね。じゃ!」
そのまま絵梨奈の手も掴んだ実砂は、逃げるように下校した。
置いて行かれたさとるがぽつんと立っているが、ふと溜め息を零した。
「ほんと、なかなか落ちないなぁ」

「ほんっっっとにどういう神経をしているのよ、あの男!!」
一気にアイスティーを飲み干した絵梨奈は、ドンっとグラスをテーブルに置いた。
「ちょっと落ち着きなよ」と言う実砂の言葉も聞かず、絵梨奈は店員を呼ぶとアイスティーのおかわりを注文した。
「そもそも、実砂は気を付けるべきだわ!あの男、実砂を狙ってるんだから」
「そんなまさか……私が順司と付き合ってるの知ってるのに」
「そんなの関係ないわよ。あんなゴリ押しなのよ?だからこそ、強引男だって話よね!」
アイスティーのおかわりを受け取りながら、絵梨奈はぶつぶつと言ったが、実砂の隣で小さくなりながらも話を聞いていた順司が口を開いた。
「俺も、あいつのことは信用できないな」
「え?順司まで同じこと言うの?」
その言葉に順司は無言で頷き、困惑する実砂に対し、絵梨奈は続けた。
「だから言ったじゃない。あんなモテるんだから、他の子じゃダメなのかしら?……こうなったら、メイドを使う時が来たわね」
さすがのそれには、実砂と順司は飲んでいた飲み物を吹きそうになった。
「ちょ、ちょっとやめてよ」
瑞樹の時のことがあるだけに、止めようと必死な実砂を、絵梨奈はジトッと見る。
「じゃあ、実砂はもう少し気を付けてちょうだい」
「は、はい……」
「あとは、もう教室内で二人でイチャイチャしてれば諦めるんじゃないかしら?それでも声かけて来るなら確信犯よ」
「や、やだよ!」
実砂の返答に、絵梨奈は再びアイスティーを飲み干すと呟いた。
「なら、本当に気を付けなさいな。あの男、結構強引だもの。まあ、最悪メイドを差し向けるわ」
絵梨奈はそう言うと鞄を持って立ち上がった。実砂も頭を抱え、溜め息を吐きながら立ち上がった。

翌日、教室で絵梨奈は順司の背を押した。
「さあ、実砂とイチャついてきて」
「ええ!?ほんとにやるの?」
驚きのあまり叫んでしまった順司に、絵梨奈は「当たり前でしょう」と返して、窓際にいるさとるを見た。
「あの男が実砂にちょっかいをかける前にやるのよ!」
ぐいぐいと背中を押す絵梨奈に、順司は意を決し、机で筆記具を締まっていた実砂の前へと躍り出た。
「実砂!これ、あげる!」
そう言って、実砂の手をぎゅっと握り、お菓子を握らせた。
「チョコレート?」
「それ、実砂の好きなチョコの、新発売の味!」
「え、こんなの出てたんだ。知らなかった」
そう言って、口に頬張る実砂は、「わっ!美味しい!」と笑顔でもぐもぐしている。
それをにこにこと眺める順司は、実砂に見えないところで小さくガッツポーズをしていたが、全てを見ていた絵梨奈は「イチャイチャには程遠いけど、最高に推せる!」と内心ガッツポーズをしていた。
が、突然肩を叩かれた絵梨奈は思わず悲鳴を上げた。
「ひぃっ!!誰!?」
驚いて振り返った絵梨奈は、相手を見てぎょっとした。
「なななななっ!」
「そんな滑舌の練習みたいに言わないでよ」
「土木さとる。私に何か用かしら?」
さとるの顔を見た絵梨奈が、嫌そうに顔を歪ませながら問うた。
「そんなに邪険にしないでほしいんだけどな。あの二人が面白いことしてるのは、山川さんのせい?」
さとるが、仲良く話している実砂と順司を指差しながら聞くと、絵梨奈は楽しそうに鼻で笑った。
「あら?私のせいじゃなくて、あの二人はいつも仲が良いわよ」
「確かに仲良しだよね。俺の入る隙がないくらい」
「ええ、そうね。だから、あなたはさっさと諦めなさいな。あなたに寄って来る女なんて、そこら中にいるでしょう?」
絵梨奈の言葉に、さとるは少し考えてから絵梨奈に視線を合わせた。
「合上さん、全然俺のこと見てくれないのは認めるけど……だから燃えるっていうか」
「……あなた、性格ひん曲がってるって言われない?」
「えー?そんなことないと思うけど」
「あら、そう。とりあえず、あの二人には近づかないでちょうだい」
ギロリと睨む絵梨奈に、さとるは肩を竦めた。
「うーん、困ったな。そしたら、安藤くんと直接対決しようかな」
「はあ?なんですって?」
絵梨奈は思わずツッコんだが、その台詞を聞く前にさとるが実砂と順司の元へと足を向けた。
「安藤くん、そういう訳だから直接対決しようか」
「え!?なんの!?」
突然声を掛けられた順司が驚いて素っ頓狂な声を上げた。
「合上さんを賭けて、かな」
「え!?」
驚きのあまり、そこから言葉が出ない順司の隣で、実砂は訝しげな表情を浮かべてから口を開いた。
「待って。私、物じゃないんだけど。勝手にやめてくれる?」
「そ、そうだよ!実砂はダメ!」
実砂のツッコミに乗っかる形で、やっと否定した順司だったが、未だにオロオロしている。
そこに絵梨奈が走って来た。
「いい加減になさいな!」
「山川さんは黙ってて。これは、俺と安藤くんの戦いだから」
「あ……戦わなきゃいけなんだ」
遠くを見つめながら言う順司を横目で見た実砂は、ふと息を吐いた。それを目敏く見つけたさとるが嬉しそうに口角を上げる。
「安藤くんは俺と争うの嫌そうだけど、それって合上さんのことは諦めるってことでいいんだよね?」
その言葉に「え?」とぼやく順司だったが、返答する前に実砂が口を開いた。
「順司はそんなこと言ってないでしょ。そもそも私の意見は関係ないわけ?あと、順司は単に優しいだけ。優しすぎてヘタレなだけだけど……そういうところも私は好きだけど」
「っ!!実砂!!俺も好き!!」
実砂の告白に喜びすぎて抱きつく順司を、実砂は「はいはい」と受け止めている。
「あれ?俺の出る幕ない?」
「ふふっ、だから言ったじゃない」
絵梨奈は勝ち誇ったように言いつつ、二人のイチャイチャに内心ガッツポーズをしている。
「そうだね。じゃあ、今回は引こうかな。でも、二人に危機が訪れたら、颯爽と掻っ攫うつもりでいるね」
爽やかな笑顔を残して去って行くさとるの背中を見送りながら、やっと平穏が訪れそうなことを悟った順司がいた。
それから、さとるの実砂に対するちょっかいは正直減っていないが、実砂が呆れて塩対応することが増えた。
「あーもう!ほんっとうにいい加減にしてちょうだい!やっぱり、メイドを召喚するしか」
「落ち着いて、絵梨奈」
絵梨奈の苛立ちも変わらないが、なんだかんだで実砂、順司、絵梨奈の三人に絡むように、さとるがつるむことも増えた。

終業式の前日、絵梨奈はふと口を開いた。
「意外と早い一年だったわね」
「めちゃくちゃ濃い一年だったからね」
実砂もいろいろ思い出しながら、溜め息を吐きながら答える。
「ねえ、安藤くんは春休み、合上さんとデートでもするの?」
「はい?いや、まあ会うけど……」
訝しげに答える順司に、さとるは笑顔を浮かべた。
「じゃあ、俺も着いて行っていい?」
「いい訳ないよね!?え!?なに、その考え!怖い!」
「ほんっとに邪魔な男ね!」
相変わらずの絵梨奈のツッコミに、さとるはニヤニヤしながら答えた。
「山川さんもよく邪魔してるから、大して変わらないでしょー」
「私のどこが邪魔よ!あなたはいい加減、実砂を諦めなさいな!他に取り巻きの女子たちがいるでしょ」
「うーん、言い方。でもさ、合上さんと一緒で、山川さんも俺に興味ないよね」
「はい?あなたに興味を持ってほしかったの?」
絵梨奈がドン引きしながら問う。
「山川さん、お嬢様だから性格キツめだし、世間知らずなのかなって思う部分もあるけど……でも、見た目は華やかなタイプだから、モテると思うんだよね」
「……なんですって?」
失礼な物言いをされて、絵梨奈は苛立ちを隠さずに声を出した。
その様子を黙って見ていた実砂は少し考えてから、さとるに向き合った。
「もしかして土木くん……絵梨奈のこと、好きなの?」
実砂の言葉に、さとるも絵梨奈も「え!?」と声を合わせて振り向く。さとるはそのまま絵梨奈を見ると少し固まった。
「いや……だって山川さん、いつも俺のこと顔は良いって褒めてくれるから……むしろ、俺に気があるのは山川さんの方じゃない?」
「そっ、んな訳ないでしょう!?私は安藤くんぐらい優しい人の方が好みよ!あなたはただ、顔が良いだけって話でしょう!?」
「そんな言い方しなくても良くない?俺だって山川さんは顔が良いからもったいないって話をしてるだけだけど?」
「なんですって!?あなた、誰に向かって言ってるのかしら!」
再び言い争いを始めた二人を、冷めた目で見ていた実砂だったが、隣にいた順司に思わず声をかけた。
「結局あの二人、なんだかんだで仲良しじゃない?」
「んー、似た者同士なんだと思うよ。それに、喧嘩するほど仲が良いとは言うよね」
順司の言葉に、今まで口論をしていた絵梨奈とさとるがくるっと振り向いて、「そんなことない!!」と息の合ったツッコミをし、少しビビった順司が「ひっ」と声を上げながら実砂に隠れた。
「いっそこうなったら、二人でデートでもしてくれば?」
実砂の提案に、ぎょっとした絵梨奈とさとるは再び「はい?」とハモる。
「そこまで言うなら、ちゃんと話し合ってお互いのこと、深めた方が良いと思うけど」
「実砂!この男はお断りよ!」
「俺もできるなら合上さんとがいいな!」
「いい加減になさいな!」
また言い争いを始め、「やっぱり仲が良いじゃん」と周りが思ったのは言うまでもない。

翌日、終業式の日。
「と、いう訳で、合上さんの意見を取り入れ、一度デートすることにしてみました」
突然のさとるの告白に、順司は驚いて目を見開いた。
「ほ、本気で?よく山川さんがオッケーしたね」
「これであなたの本性暴いてやるわ!って言われたけど」
「あー、納得」
そう言いながら順司は、実砂と絵梨奈の方に視線を向ける。
絵梨奈は絵梨奈で「仕方がないから一度出かけるだけよ!」とか言いつつも、実砂に服の相談をしている辺り、これは意外と上手くいくのでは、と思う順司。
実際に実砂も、「これは春休み明けには進展してるんだろうね」と順司にぼやいていたぐらいだった。
まさか、始業式の日に「付き合いました」報告が来るとは露知らず。

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