長男の大食いと、変化の話。

今日は八女で目覚める。朝までの締め切りの原稿をプリキュアとか見る子供の横で書き、終えて、少しだらだらしていたら、また寝てしまう。

そこからココイチにカレーを食べにいく。ココイチのカレーは量が多い。カニクリームコロッケとスクランブルエッグのカレーにトマトを角切りしたやつをトッピングしたものを注文したが、なんと食べ終えることができなく敗北感を味わう。その横で来年小学生になる長男が、とんかつカレーを完食する「カレーうめー!!カレーー!クー!!」と言いながら、完食してしまった。そのあと、コーラを飲み、コーラ飲んでたらまた、お腹すいてきた!といって、帰りポッキーを食べて、夜はしっかり蕎麦をくいやがった。なかなかの食欲に、今後の食卓が不安になる。

うちの母は、僕が高校生の時とかに、6食くらい食べて、ご飯も一食あたり4杯くらい、肉を食いまくっていたから、僕の顔をみたら肉を食わせないといけない恐怖症に陥って、実家に戻ってきてしばらくは、飯の量がはんぱばく多く辛かった。さすがに、僕も30過ぎた大人。食う量は減った。

夜は、テレビを家族でダラダラみて、今23時なろうとしている。今から運動して、今日出した原稿の修正が返ってきたから、それの手直しをする。

「10年。」これが長いのか、短いのかわからないけど、僕は何ごとにも細かくみると、1日単位で飽き、10年単位で大きく飽きる。といっても33歳だから、3回しか経験してないけれど、だいたい10年で大きな転機というか、考え方が変わっているようにも思う。30歳からこの3年間、何かを変えなければならないと常に思っている。でも、それが何なんかわからないけど、とりあえず毎日思ったことを行動してみるしかない。それは、花粉症のように、ある日突然変化する日がやってくることもある。コップにいれた水が溢れ出す瞬間を待つためには、コップに水を入れ続けないといけない。(あ、そういう意味では花粉症の話はマイナスだからよくないけど、これは、変化のプラスの話)。

いや、変化というものは、プラスばかりではなくて、かならずマイナスの側面がついてくる。でも、マイナスも許容しながら、変化していかなければならない。変態し進化していくことしか、人間には許されてないのか?それはわからないけれど、変化していく社会に対して、変化していかないというのは、ある意味、原始時代でとまっていくことを選択するようなものだ。

変化は怖い。怖いからこそ、恐れずにやるべきだと経験を通しても思う。何の話だ。そうだ、子供がたくさんご飯を食べるようになったなーという話だ。終わり。

本質的な地域文化の継承を。