Facebookアカウント凍結事件。個人と法人の人格は一致させるべきではないのか。

1ヶ月前くらい、Facebookの個人アカウントがセッション切れになって凍結されようとした。自転車旅に行っていた時で、更新場所がガンガン変わっていたことと、パソコンとスマホ両方から入っていたことと、僕が個人的な情報じゃなくて、うなぎの寝床のアカウント、BILのアカウント、旧寺崎邸のアカウントのシェアしか行っていないことと、おそらくところかまわず、気になるイベントや、ページにはいいねして情報収集していたこと。多分その辺が複合的に作用して、Facebookの凍結ルールにそいながら疑われたのだろう。

1週間以内にやりとりした友達や、いろんな質問に一つ一つ答えていき、全て正解したことで、凍結はなんとか逃れたが、僕個人という人格を、ある方向だけから判断されようとしたことに対して、おもしろくも感じたし、驚異的に感じた。

僕はFacebook内で、統一感を持った個人として振舞わなければならないのだなと理解し、最近は個人ページでの投稿も行なっている(意識的に)。そして、イベントページなどに無作為に興味がある。としないようにしている。

今からセキュリティ面などどんどん厳しくなっていくのだろうなー。

本質的な地域文化の継承を。