「新たな創業」という気持ちで継いでいく / 久留米絣の織元シリーズ@丸亀絣織物

8回目の開催となった久留米絣を体感するイベント「もんぺ博覧会」。うなぎの寝床のオリジナルのMONPEだけではなく、さまざまな久留米絣の織元さんのもんぺがずらっと見られる年に一度のイベントになっています。

そんな中、ハーフパンツやサルエルパンツなど、毎年新たな形や柄などを提案し、独特な大柄やドキっとするような色でも固定ファンの多い織元が「丸亀絣織物」さんです。

4代目の丸山重徳さんから、息子さんで5代目の丸山重俊さんへと4年前に代替わりをした織元で、東京にも2店舗で販売も行いながら、織物から洋服作りまで新しい挑戦を続けています。

丸亀さんのところは、実は5年前に大きな火事にあっています。工場も自宅も全焼して、140年以上前からの図案や反物、そして大切な織機まで、貴重な財産を失ってしまいます。

そんな中からどうやって復活を遂げたのか、若き5代目が織元としてどんな将来を思い描いているのか、ご紹介したいと思います。

「やっぱり続けたい」。火事で全て失っても、残ったものとは。

今の丸亀絣織物さんを引っ張っているのは、5代目で息子さんの丸山重徳さん(31歳)。小さい頃は家業に興味はなかったそうですが、料理や工作が好きで、高校の先生に「自分ちが絣屋さんなんだから、絣しなさいよ」と言われて「やってみようかなー」と思い、高校卒業後は服飾の専門学校へ行きます。

最初は予備知識もほとんどなく、学校のファッションショーのために生地を30反ほどを家から持ってきて使ったところ、先生から「あなたたち、この生地がどういう生地か分かって使ってるの?」と言われて、初めて絣について調べ始め「すげえな、うちの生地!」と気づいたそうです。

現代はプリント生地やジャガード織機で織った柄物の生地が多い中、ただの平織りでこれだけの柄が表現できることの凄さや、何世代も続けて着られることが当たり前ではないことなど、外へ出てから気づくことも多かったといいます。

そんな最中の2013年9月、丸亀絣織物の工場とご自宅が火事に遭われてしまい、織機も織物も思い出の品もすべて、焼かれて失くなってしまいます。

「正直なところ・・・これでやっと辞められるなぁと。家も工場も失くなって、良かったという意味ではないけど、やっと楽になれると思った」と父・重徳さんは火事の後、思われたそうです。

ところが息子の重俊さんからは「絣を続けたい」という言葉が出ます。しかも、生地をよそから仕入れて、洋服を作ることになるだろうと思っていたら、重俊さんは自分のところで製造する気満々。

その気持ちに引っ張られるように、廃業した織元さんや同業の織元さんからのサポートで織機を手に入れ、2年半かけて少しずつ生産を回復し、2016年1月には無事に新工場が完成。

インタビューの中で「自分は5代目だけど、1代目という気持ちでスタートしてます」という言葉があって、とても印象に残っています。たとえ織機も図案も在庫も全て失くなってしまったとしても、必ずしもモノには縛られない哲学の部分、新たなチャレンジをしたいという精神的なDNAは脈々と続いていくんだろうということも、仲良く話す丸山さん親子を見ていて感じました。

今後、産地としての久留米絣は織元の数が減っていくのは確実で、商売が楽になることはないだろうけど、いま後継ぎのいる織元はどこも個性的で、それぞれの色がはっきりとあるのが希望だと、重俊さんは話されていました。

本当にこの個性と多様性が、久留米絣の強みであり、面白さであると感じます。そしてものづくりを継いでいくというのは、必ずしも工房や道具に依存するわけではなく、思いの強さなのだなと丸亀さんのところへ行くと感じます。

第8回 もんぺ博覧会
八女展 | 八女伝統工芸館 | 5月25日(金)〜6月3日(日)
福岡展 | 松楠居| 7月14日(土)〜7月22日(日)

九州ちくごものづくり文化祭 Year zero
ワークショップ | 5月25日(金)〜5月27日(日)
企画展 | 5月19日(土)〜6月3日(日)

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