織元たるもの、生地を作ってなんぼ / 久留米絣の織元シリーズ@野村織物

福岡県南部の筑後地域では、約200年前から「久留米絣」という綿織物が作られてきました。ときには普段着の着物用の生地として、ときには嫁入り道具でもあった布団の生地として、ときには農作業着のもんぺの生地として。時代に合わせて変化し続けてきた織物です。

しかし最盛期には300件あったといわれる織元も、時代の流れで減少を続け、現在では26件ほどが久留米絣の織元として残っています。

激しい時代の変化の中で残ってきた織元は、どこも個性も思いも強いところばかり。今回はそんな久留米絣の織元の中で、私たちうなぎの寝床が企画する「もんぺ博覧会」に参加いただいている織元さんをご紹介します。

まずは久留米絣の王道派で、技術力を生かした柄に挑戦し続ける「野村織物」さんをご紹介します。

ほぼ一貫生産の技術で、難しい柄にも果敢に挑む。

野村織物さんは1898年創業の老舗織元の一つで、戦時中の統制を経て1953年に2代目が本家から独立をし、もともと軍需工場だった現在の土地で再スタートを切った織元です。現在は4代目・野村周太郎さんが社長として、代々続く家業を引っ張っていっています。

3人兄弟の次男として生まれた周太郎さんは、小さい頃から家の手伝いはしていたものの自分が継ぐとは思っておらず、一つ上の優秀な兄と比べられるのが嫌で、中学卒業と共に地元を離れて、三重県の全寮制高校へ進学します。

その後東京の大学を卒業後、大手自動車会社の法人営業として勤めていたある年のお正月、公務員を目指す兄が結婚を機に家を出ることになり「あとはよろしく」と言われたことで、周太郎さんの運命が大きく動きます。

10数年ぶりに故郷へ戻ってきたのは、2003年3月、周太郎さんが26歳のときでした。周太郎さんは工場を手伝いながら営業や販売をメインに担当し、オリジナルの生地作りなどにも取り組んでいきます。

催事などで販売できるように、もんぺや洋服なども20数年前から少量ながら作っていますが、2代目の祖父の「織元たるもの、生地を作ってなんぼ」という基本方針を踏襲し、織物作りをメインに続けることが最優先だと周太郎さんは語ります。

野村織物さんの最大の強みは、糸のくくり以外のすべての工程を自社で行っていること。特に多くの織元で外注している「図案描き」と「染色」の自社で行っているため、お客さんの要望にも柔軟かつスピーディーに対応できるのが特徴です。

そして、高難度のたてよこ絣(たて糸もよこ糸も縛って先染めした模様)も常に生産しており、久留米絣の醍醐味である柄物を織る体制も整っています。

業界全体での需要が減っていっている中、いい生地をしっかりと作り、生産反数を落とさずに織り続けていくのが目標だと語る周太郎さん。その堅実で安定した姿勢で、今後も産地としての久留米絣を引っ張っていかれることと思います。

第8回 もんぺ博覧会
八女展 | 八女伝統工芸館 | 5月25日(金)〜6月3日(日)
福岡展 | 松楠居| 7月14日(土)〜7月22日(日)

九州ちくごものづくり文化祭 Year zero
ワークショップ | 5月25日(金)〜5月27日(日)
企画展 | 5月19日(土)〜6月3日(日)

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