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NO UNDER CONTROL

自分にとって、思いをこめて針を打ち込むこと無しに、変わらぬ気持ちを心に誓う方法が他にあるだろうか。その頃には大事で仕方なかったものが、今ではゴミのように感じるようになってしまったことなんてたくさんあるけれど、ピアスを開けた時の動機というのは、卑下したり後悔したり忘れたりしてはならないと思っている。

私の耳にはピアスホールが7箇所ある。それらはひとつひとつ、自分の手で開けて、ひとつひとつ、それぞれに思いがある。開いた穴に今はもう痛みを感じないが、ピアスを付けるたびにどんな思いでここに針を通したのかを思い出す。というより私にとっては忘れないための刻印のようなものだ。あの頃何を感じて生きていたのか、未来の自分に訴えるために、消えない傷を作る。自傷ともとれるこの行為を、ファッションの一部として正当に受け入れられる時代で良かった。よく考えれば自分で身体を痛めるなんてどうかしている。

私は、身体を傷つけることには、自分への暴力がもたらす「業」や「呪い」みたいなものが伴うと思っている。自分の命を守るために必死に生命活動をしているこの身体が、気まぐれやファッションという理由で傷つけられては、ただで済むとは思わない。きっとその報いがいつか身体に現れるはずだ。出血や膿とともにじわじわと不具を訴え、寿命や健康な精神を蝕むのではないか。傷はできるだけ少ない方がいいに決まっている。

しかし先日、自分にとってのピアスホールは、なんてことのないかすり傷のひとつであることに気がついてしまった。結局自分にとって大事なのは、痛みへの思いより他人からどう思われるかなのだ。だから私は他のどんな方法よりもピアスを選んだ。可愛い自分に反吐が出る。

そう思うきっかけとなったのは、家族で訪れた寿司屋のカウンターで、母親の向こう隣に座った兄の左手首に黒い筋が見えたことだ。父親の形見の時計のバンドの隙間からくっきりと見えてしまった。

その瞬間、自分の中の何かがひび割れて粉々に飛び散った。ピアスの傷なんて可愛いものだ。ピアスなんて傷でもなんでもない。兄の腕には、もう逃れようのない鎖がついている。突然現れた墨色のメッセージは、逆光のように眼裏に焼きついた。となりの母親の顔が見られなくなった。

最後に兄の手首を見たのはいつだったか。必死に記憶を呼び起こして、焦燥と怒りを抑えることに必死だった。何を食べていたか覚えていないし、寿司屋の大将と笑顔で何かを話している兄が、突然違う誰かに思えた。

私と違って、人付き合いが上手な兄、幼い頃から野球一筋で、甲子園に私達家族を連れて行ってくれた自慢の兄、私にファッションを教えてくれたおしゃれでかっこいい兄、父親の葬儀で、立派に喪主を務めた兄。その左手を見て、何を思うのだろう。消えない思いを抱えて、もうどうにもならない傷跡を見て、何と戦うつもりなのだろう。

他人のそれを見てもどうも思わないし、むしろ憧れのようなものを感じていたけれど、自分の身内に起きた時、こんなに悲しい気分になることを知った。兄が違う世界に行ってしまったように感じる。しかし兄がそうして生きたいと思っているなら仕方がないし、生きる苦しみを受け入れようとしていることには、ありがたいとすら思う。兄の行為を言及したり咎めるつもりもない。兄が死ぬまで知らないふりをするつもりだ。

私のピアスが一つ一つ増えていったように、身体を傷つけて得られる安心感というのは、快楽に似て、きりのないものなのだろうと思う。兄の腕を見るたびに兄の痛みと苦しみを想像させられる。身近な人ができるだけ傷つかずに生きて欲しいと願うのは当然のことだ。せめてこれきりで済みますように。きっと私はもうピアスを開けることはない。もう身体を傷つけようなんて思わない。

#エッセイ

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