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肉体の声

筋肉が軋む音を知っているか。血と砂の混ざった唾液の味を知っているか。折れた骨から滲む熱の熱さと痛みを知っているか。震えと恐れの中、限界まで肉体を動かすことで、初めて自分を知ることが出来る。あぁ、お前はここまでなのかと。

絶望するのは辛いことではなかった。その度に自分を省みることが出来たからだ。ここまでしか動かないのだと、自分の身の丈と直面した時の絶望感と言えば、なんともすがすがしいものだった。何もかもどうでもよくなるのだ。これはDNAか何かに植えつけられた感覚なのだろうか。生物として、生存競争での敗北はすなわち死を意味するので、その先に希望はない。悟るふりをして噛みつかれるのをただ待つしかない。それなら逃げる事はやめて、いっそ正面から受け入れようと思えるほどに、どうでも良くなる。絶望とは希望を失うこととは違う気がする。限界との戦いからようやく解放される快感というか、喜びすらある。

私には、毎日毎日ソフトボールに明け暮れた日々があった。無理を言い続けたこの肉体を今になっても愛しく思う。骨折後曲がったままの右手の小指、雨が降ると軋む肩、まぎれもなく私のものである「これ」がある。自分が何者かわからなくなっても、目印のように引き寄せられる。私はこの肉体の唯一の持ち主なのだ。この肉体が存在する限り私は私で居られる。そう信じている。

肉体にとって1番の試練だったのが、中学と高校の春と夏に行われていた部活の合宿だった。その度に肉体の限界を試されていた。決められた量のご飯が多すぎて飲み込めず、泣きながら食べた昼食後にノックがあった。足が動かなくなるまで続き、限界寸前になると、蹴り上げても足が上がらず、膝が笑うように震え、振り下ろした腕は何かが千切れたような音がしていた。ノックが終わるとコーチに引きずられるようにしてグラウンドから出た。息を吐いてるのかさっき食べた昼食を吐いてるのか立っているのか座ってるのか分からないくらい朦朧としながら、限界のラインがずりずりと行ったり来たりするのを感じた。以前出来たことが出来なくなったり不意にできてしまったり、限界とは常に更新されるものだと知ることが出来た。

その頃はいくらでも壊れてくれと思った。自我を振りほどいて自尊心を破裂させるくらいの気迫のようなものがあった。リタイアしたいという訳ではなく、それくらい大切ではなかった。肉体は必要ではあったけど大切ではない。だからこそ限界の扉に触れることが出来た。限界の向こう側は、意図して近づける世界ではなく、偶然訪れる幻のようなものなのだ。そこにたどり着くには、自分と相談して向き合うというより、大切な自分を放棄して、どうにでもなれと売り払うくらいの気持ちが必要だと思う。

その頃は、自分を大切にしようとすればするほど、本当の自分が遠のいていくことを知らなかった。自分の心が納得するように動かしたり、心が傷つくことがないように境界を定めたり、誰かと比べたり、こんなものだろうと推測したりすることは、この健気な肉体への裏切りだ。肉体は、自分が思っているよりずっと遠くまで動いてくれるものだ。

競技を辞めて、二、三年経った頃だろうか。以前なら当然に出来ていた腕立て伏せが出来なくなっていた時、悲しくて涙が出てしまった。怠惰な生き方が自分の過去を踏みにじるのだ。あの頃の自分に申し訳なく思った。先生に鍛えられたこの肉体が、これくらいで終わるはずなんてないと言い聞かせるのに、震える肘は悲しく現実を見せつけてきた。この腕はもう私のものでないような感覚だった。今はもう聞こえにくくなってしまった、ほかならぬ私の肉体の声は、今も肉体の中に留まって、私が再び動き出すのを待っている。そんな気がする。私は覚えてなくても肉体が覚えている。

「他の誰もいなくなっても、自分がいるじゃないか」
と、大学時代の教授が口癖のように言っていた言葉を思い出した。そうだ。自分には自分という人間がいるのだ。一人ではない。少なくとも自分がいる。少なくともこの肉体があるのだ。消え散ってしまいそうな自分の心を、肉体という紛れもない私の所有物が、強く強く私を求めてくれる。


#エッセイ

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