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ファッションと制約

ファッションに自信がある人が好きだ。ストリートやモードやロリータなどの限定したタイプのみならず、全身でやりたいイメージを体現している人を見ると、目が離せなくなる。色、素材、長さ、統一感と混沌性を織り交ぜ、「たかが服」を超える時、その人は特別な生き物になる。服が似合うか似合わないかは自分自身が決めるのだと、そんな気概に蹴倒されそうになってしまう。遠くから見つけ、すれ違い、後ろ姿を見送るまで、美しいアートを見たような充実感が生まれる。さらに、街中ですれ違うだけのその人にふたたび会えることはほとんど無いのが、それもまた儚くて良い。

彼らがなぜ力強く自身の魅力を発揮し、他の誰よりも眩しく見えるのか。それは、自ら決めた制約に誠実であるからだ。彼らにはファッションにおいて決まり事がたくさんあり、そのルールへの従順な忠誠心が、彼らを特別で居させる。スカートを履かない、アクセサリーはシルバーしか着けない、シンプルでなければならない、流行的でないといけない、など、スタイルに決まり事を作ることで、ファッションにまとまりが生まれ、そこにようやくその人らしさが宿る。着たいものより着たくないものに真摯であることも重要だ。なぜなら服そのものは自分であり、ファッションの背徳は自分への裏切りを表すからだ。ブランドのロゴをアイコンとして取り入れる人もいれば、とてつもなく嫌がる人もいる。自分にとってのNGを削っていくことで、自分という人間が浮かび上がってくるものだ。

例えば、シャネルのカールラガーフェルドは黒しか着ない。コムデギャルソンの川久保玲は日本製しか扱わない。マルタンマルジェラはメディアへの露出を拒み、顔写真はおろか生存しているかも分からない。決めたことへの忠誠心に対する信頼が、彼らの希少性や価値をさらに高め、思想として服に反映され、世界中のファンから愛される理由ではないかと思う。

このように、自分自身への制約がファッションに欠かせない鍵だ。一見自由に見えるファッションにおいて、あえて不自由なルールを決めることで、不思議な魔法がかかると思う。制約を作れば作るほど、自由の行き先を封じるほど、覚悟の代償を手に入れることができる。誓うだけでは弱く、切に願うだけでも手に入らない。好きなものや皆が価値のあるとするものをたくさん身つけるより、自分にとって欠かせないものを限りなく厳選し、祈るように尊ぶことで、ファッションは遠い誰かのものではなくなるだろう。

ファッションは自由だ。どんな格好をすることも可能で、何を着てもどんな着方をしても誰も文句は言えない。だからこそ、だいたいの基準が曖昧で、「世間的に」合ってるのか間違ってるのかを皆が恐る恐る確かめ合っている気がする。それってすごく悲しいことだと思わないか。だって、服を着た自分も自分自身じゃないか。世の中では、自分らしく生きようとすることが何より大切とされているのに、服はどうでもいいのかと不思議に思う。奇抜であることが大切だとは思わないが、服へのこだわりや愛情がない人はなんだかさみしい。自分にとってどんな服が一番似合うのかを決めるのは世間の目ではなく自分自身だ。

#エッセイ
#ファッション


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UNBILICAL

1991/Japan/fashion/beer/book

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