脈打つ痛みこそ生命の証
迎えが来るのは13時30分だった。それまでにやらなければならないことが山ほどあった。式で流す曲のセットリストを作り、薄化粧をして、就職活動の時に使っていた大嫌いなベージュのストッキングとパンプスをクローゼットから探し出して、レターセットを用意し、一度も使ってないラミーの万年筆を試し書きして、飼っているダックスフンドに2日分の餌と水を用意したり、とにかく時間が惜しかった。
その隣で母親が埃まみれの桐ダンスの中をガサガサしていた。シワシワの長襦袢にアイロンをあて、足袋がないとか、帯がないとか、せわしなく動いていた。いつも通り落ち着きのない母親を見て少しほっとした。
続々と家を訪れた親戚たちが、リビングで落ち着かなそうにしていた。そういえば彼らにスリッパの一つも用意してなかった。気を使って買ってきてくれたコンビニの食べ物の袋が無造作に置かれた椅子を見て、あぁ、そこは父親の特等席なんだからと、袋に入ったゼリーやおにぎりを投げ捨てて叫びたくなった。
迎えが来る13時30分ぎりぎりまで、私は冷たくなった父の横で寝転んでいた。父の顔を真横からまじまじと見ると、自分の顎は父のそれそのものの形をしていたし、私にとっての一番のチャームポイントだと思っているまつげは父譲りだったことを初めて知った。窮屈そうに布で結ばれた手に触れると、指と爪はささくれていて、仕事着を着ていた父の姿がすぐに思い浮かんだ。25年間私を育ててくれた苦労や我慢や痛みがそこに現れていた。いつも言えなかった感謝の気持ちを込めて指を握るけど、すぐにやめた。後悔に呪い殺されそうになったからだ。父には手紙のひとつも書いたことがなかったな。あぁきつい。親にありがとうも言えない人間なんて人と呼べるか。
13時30分きっちりにチャイムが鳴り、ドアを開くとスーツ姿の葬儀屋の人達が深々とお辞儀をして待っていた。ついに13時30分なのだ。父がこの家から離れる13時30分。堪えられぬ涙ですぐに父が見えなくなった。
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