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MORE THAN RIOT

昔は眠れない夜が怖かった。明け方の新聞配達員のバイクの音が聞こえてくると、その時点で取り返しのつかない時間ということを意味するので、その音を聞くことが何より辛かった。なんとかその音までには眠らなければ、という強迫が更に睡眠を阻害していた。昔から、その時々の年齢に準じた悩みや葛藤に毎回浅ましくハマり、その度に不安で眠れないことがあった。その頃は眠れない夜を迎えるのが怖かったが、今では逆に起きられないことの方が多くなった。

休みの日になると1日中ベットから動かず、日中に寝すぎたからといっても夜もそれなりに眠くなる。 たまに水を飲むために起き上るだけで、半日どころか、1日で5時間も起きてるかどうかだ。思い通りに寝られることは幸せなことだが、目を覚ます度に、眠れぬ恐怖とはまた違う恐ろしさが生まれる。

自身が不眠症である、哲学者のエマニュエル・レヴィナスは「眠りによって存在は破滅することなく中断される」と語っている。学生時代にこの言葉と出会った時は何の疑問もなかったが、この歳になって、その言葉の意味を痛感することになった。まるで、いつのまにか仕掛けられた時限爆弾が作動したかのような悔しさもある。

眠っている時はなんの思考も進まないので、寝る前と起きた後で、良くも悪くもなんの変化もない。起きたまま何もしないとこと(あらゆる活動を中止すること)とは違って、眠ることにより行動と思考を一時的に「中断する」することが、どれだけ私の人生を邪魔してきただろう。寝てさえいれば、何にも変わらずにすむから、とりあえず寝てしまうのだろうか。「私自身」は嬉しいも悲しいも辛いも感じず、まるでヴァーチャルな世界に飛び込んでいるような感覚だ。現実世界は隣に置いておいて、ただ夢見を繰り返す。その世界では脳が描く妄想だけが全てだが、それは現実の私にとってなんの意味も持たない。

悩んで苦しくて不眠になる方が余程前向きな気がしてきた。悩むということは進もうとしているということだから。人間にとって睡眠とは生理現象以外の何の意味を持つだろうか。生活を中断し立ち止まることは、必要な事だと言えるのだろうか。なぜ眠らずには居られないのだろう。今もあくびを繰り返す自分にがっかりする。

「実存から実存者へ 」
エマニュエル・レヴィナス/筑摩書房/2005


#エッセイ

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